10月21日(土)の定例会、参加は8名でした。(内3名の方がご家族)
初めに25周年祭の報告をすこし。「めんどくさいことを手放さない暮らし」という映画を見たり、暮らしについて考えた。祭りと言えばハレになるが、今回は手間をかけてみんなで一泊二日をどうにか過ごすという、華やかなものではなく皆の身近にある暮らしでもあり、ハレとケが混在したような祭りだった。
今回の文章にもある「責任」について。友人の話で、施設にいるときは何をしても施設の管理の責任になる。施設を出て一人暮らしを初めてすぐの時に車いすでこけて傷を作った時に、初めて自分の責任になったこと。引きこもっている状態も同じで、何かできなかったり失敗しても親の責任になる。学校生活でもそうで、校内でケガをしても、成績が上がらなくても、学校の管理や教え方の責任ともなり、管理の中では子は自分で責任を取れない。自分がやったことを自分で引き受けられるようになること。生きる上での責任を持つことが大事になるだろう。
皆様の話からは。引きこもりの状態の子が家にいる。家のことは親が全てしてしまっている。「よくできた親をある日突然やめること」「親が変わること」は難しく、「子を外に出すこと」もできないなら、このままの状態が続く。それなら親が出るしかない。子と別々で暮らすことができるならそれもいいが、現実的にそれは難しいなら1週間でも親が家を空ける。子のために不便だけどどうにか家を出て行く、のではなく、親が自分自身のために、自分が行きたかった場所や会いたかった人に会いに行ったりするために時間もお金も使って家を空ける。それは「1週間私がいなくてもあなたは大丈夫。あなたはやろうと思えばなんだってできる力を持っている」というメッセージになる。逆に家のことを親がやってただ家にいる状況というのは「あなたは一人では何もできない」というメッセージを毎日送り続けてしまっていることになる。親が家のことをやらないようにするというのではなく、親が本気で自分の人生を生きようとしてみたらできなくなる家のことを子にも役割を持ってやってもらうということ。
社会に適応できる=普通の人、適応できない=障害を持っている人その個人のせい、そうではなく、社会の側に障害がある。その社会に適応できず、生きにくさに気づき立ち止まった人たちこそがこれからの生き方を作っていけるはずだろう。難しいことをするのではなく、とりあえず集まって話しをしよう。(くみこ)
◎11月12日(日)おしかけ鍋の会
集まってからみんなで何鍋にするか考えて買い物に行って準備します。
初めての方も是非ご参加ください!
時間:12時~16時 第486回
場所:カフェコモンズ(JR摂津富田駅近く)
待ち合わせ:11時45分JR摂津富田駅改札口
参加費:カンパ制
参加資格:鍋会前か後に引きこもりを共に考える交流学習会に参加
※場所についてなど説明が必要ですので参加希望の方は必ず事務局までお申込み下さい。
11月の定例会◆(不登校・引きこもり・ニートを考える会)
11月18日(土)14時から (296回定例会)
場所:クロスパル高槻 4階 第4会議室
当事者・保護者・支援者問わない相談、交流、学びの場です。
参加希望の方は事務局までお申込みください。
詳細はこちら
※参加者は中部から西日本全域にわたります。遠方の方もご遠慮なく。
責任について
コロナウィルスに感染した。そんな話題はそこらにたくさんあって聞き飽きたと思うが。コロナウィルスがこの世界で認知されて丸4年が経ち、この間には世界でも身の回りでもいろんな出来事があった。2つの大きな戦争が起きた。それらは拡大はしても、収束するようには見えない。このまま世界を巻き込んでいくならば、コロナウィルスの流行と共に、世界史的なターニングポイントになるかもしれない。コロナウィルスも今ではオミクロン株と言われるようになって、この4年間で少なくとも14回の変異をしている。そのウィルスが世界中に蔓延して、ようやく自分の身体の中に辿り着いたと考えると、感慨深いというか、感染しないよう気はつけていたけども、仕方ないというか。朦朧とした思考で、降伏するしかなかった。一方で身体はその侵入に対して応戦の本番を迎えて、40度近い熱と共に発症していた。全身に炎症があり、常に疲労感が伴った。そして、身近な人にも感染をした。自分や人の身体へのケアの期間になった。症状などを比較していると、生活環境は同じでも、人によって発言の仕方がだいぶと違う。鼻やのど、肺なんかの炎症が一般的だが、私は特には嗅覚がなくなったのと、後遺症として皮膚炎に今も悩まされている。嗅覚は完治と言えない、7,8割は戻ったが、2週間ほどは世界から匂いが完全に消えて、それはとても過ごしにくかった。ガスの匂いや焦げた匂いのような危険を察知できなければ、腐ったものや汚物などの匂いもなく、自分の匂いも自覚できないのは、日常的な分別が不能になっていった。味覚はあるけども、嗅覚がないのは、不思議な経験でもあった。「味がしない?」と聞かれて、「いや、味はするのだけども、匂いがなくて美味しくない」という感覚の不可思議を何度も説明した。塩味、甘味、酸味、苦味、旨味なんかは分かっても、例えばこの酸味が酢によるものなのかトマトの酸味なのかが分からない。私はかつて重症化したこともあるアレルギー性鼻炎があったので、嗅覚がほとんどないという症状は何度も経験したが、嗅覚がほとんどないのと今回のように嗅覚が全く機能しないのは、また違った経験だった。アレルギー性鼻炎の場合は、嗅覚との間に厚いベールがあっても、その奥で嗅覚自体は働いている感じはあって、かすかな希望によって匂いは想像くらいできる。しかし、今回は嗅覚が全く働いていないので匂いを想像するのに記憶をたどるしかなくて、その記憶もかすかな匂いによってしか手繰り寄せることは不可能で、1割でも1分でも嗅覚の回復がない状態では、この世界から匂いという存在はないものとして諦めるしかなかった。そして、もっとも苦労したのは料理をすることだった。料理はかなりの部分を嗅覚に依存していたことに気づかされた。感覚の中で、料理という行為の初めから終わりまで継続的に関与しているのは、嗅覚くらいだった。なので、匂いがしなくなったら、料理をしていてもふとした瞬間に、一体何をしているのか分からなくなることが度々あった。料理は楽しいことではなくなり、できたものも嗅覚がなければ何を作っても美味しいくはなく。人が喜んでくれても嬉しくなかった。
コロナとのミクロな戦いはまだ終わらない。発症して一週間以上もたって、当初出た肺や鼻の炎症が緩和に向かっていた時期に、急に手の平やら足の指が痒くなった。乾燥し出した季節でもあったので、始めはコロナとの関連を疑わず、保湿クリームなど試してみたがよくならず、洗剤なんかのせいかと思って使わないようにしたり、外的な要因を防ぎ非ステロイド系の炎症止め外薬など試しても良くはならなかった。平行線か徐々に悪化するくらいで、もしかしたらこれもコロナウィルスに対する内側のアレルギー反応だと考えるようになった。もともと慢性的なアレルギー症状があったので、コロナウィルスによって引き起こされた新たなアレルギー反応で、アトピー性皮膚炎にも似た炎症が身体の内側から起きていると考えればおかしくはない。外的な刺激がある場所への内側からのアレルギー反応によると思われる炎症は続いてはいるが、当初のように急拡大するのでもなく小康状態でもあって、経過観察している。私や周囲の身体がそのようなミクロな戦いをしている最中に、遠く中東では一つの大きな戦争というか1000年以上も続いている戦いが新たな口火を切った。このような戦争が起きるたびに、遠くであっても人は、自分がどうすればいいか、もうすでに自分がどのような関係にあるのかを考える。考えてはみても、あるいは考えようとする以前に、自分たちの暮らしとあまりにも遠くに起きていることで、何かができるわけではないとか、関係ないなど無関心を装うことはあっても、知らないのではなく無関心であろうとすればするほど、戦禍の火の粉が飛んでこないかに、人はとても神経質になる。意識しなくとも、戦争が起こると人は、普段の争いごとにも神経を使うことになる。遠くであっても、人の命や人権がむごたらしく蹂躙されていることへの、大きいとか小さいとかでは測れない同時代的な「責任」がある。ほとんど何もできることはないかもしれないが、自分がこの世界に存在していることは、他人とのつながりを考えることに等しい。引きこもっている人を外に出そうと考えるとき、学校や職場への復帰なんてことが優先される。あるいは、元の状態に戻るために病院へ行くことなんかが推奨されたりもする。だが常々、引きこもっている人が外へ出ようとするとき、人と関わろうとするときの思いは、そういう元いた場所に戻ろうとする思いではないと考えている。手段としてのコミュニケーションではなく、目的としての交流であり、自分さえ良ければいいのではなく、他者が存在していることの「責任」が大事となる。
2023年10月21日 髙橋淳敏
9月16日(土)の定例会、参加は7名でした。(内2名の方がご家族)
翌日から17,18日と周年祭(25周年)を予定していましたので冒頭はその話もしました。社会が作ったこの「ひきこもり」とは何だったのか。病名でもなければ障害でもないあいまいな言葉。個人を変えて社会に復帰させるという支援によって、引きこもり問題はどうなっていったのか。
周年祭でもテーマになっている「暮らし」についても話しました。暮らしが変わった。何が変わったか。親の世代の暮らしとは地方から都会に出てきて核家族になり、マイホームマイカーを持つ。ほとんどの人がそういう暮らしを目指した。一億総中流と言われた。バブル崩壊のあと時代は変わっていくはずなのに団塊ジュニアが親と同じような暮らしを目指そうとする。成長は止まり、人口増加も止まり、内需は止る。そして引きこもり、不登校が出てくる。非正規雇用。結婚をしない、子どもを産まない選択。希薄な地域、めんどくさいことを手放していく暮らしによってこれは進んでいく。そうではなくて生きることに手間をかける。人と関わってやっていくことはめんどくさいし、うまく進まない。時間がかかるから力を合わせないとできない。家族の中でも親だけでは回らない。子にも役割ができる。お互いに頼って感謝して必要とされること。家族だけでもできないので他人が常にそばにいる。周りに一緒に生きていく仲間ができる。
みなさまの話から。親が子が生きていてくれて嬉しいという気持ちがなければ、引きこもっている状況においては誰からもwelcomeと思われていないことになる。他人と関わっていれば親以外の人からも必要とされていくことで親がどう思おうが気にならなくなるだろうが。
逃げ場をもっと作った方がいい。
社会の方に、子どもwelcome。生きていてくれてありがとう。という雰囲気がないのではないか。
周年祭報告
9月17,18日ニュースタートとCPAO合同での周年祭が無事にいいお天気で開催することができました。一日だけ参加の人なども含めて総勢33名のみんなで作り上げた二日間でした。泊りがけだし不確定なことばかりでしたが、自分たちだけじゃどうにもならない、参加したみんなで考えて動いていかないと何もできないだろうということだけは分かっていました。着いて大体の人が集まってお昼ご飯を食べたころにはもう当初の予定の時間は過ぎていて予定は頭の片隅においといて、この過程こそドタバタする中でも大事にしていくことが私たちの祭りだろうと思って動きます。室内で過ごすというよりは外で過ごすことになりますので、ご飯を作る場所をまず第一に作って、各自テントをはったり、野外映画上映に向けて準備をしたり、そうこうしてる間に夕食準備も始まります。今日の夕食は皆様からの持ちより食材で作るお鍋です。昆布でだしを取って、豚肉や鶏肉、根菜類などの固めのお野菜を煮て、味を見たらびっくりするくらい美味しいおだしが出ていました。塩や醤油、酒などで味を整えたら葉物野菜を入れてもう完成です。やっぱりたくさんで作ると少ない調味料でもとっても美味しいお鍋ができるんですね。おにぎりとお鍋大好評でした。オープニングアクトでやる予定だった歌や演奏、クイズなどを映画上映の前の時間でできました。周りも暗くなりお腹も心も満たされたころ、「めんどくさいことを手放さない暮らし」を上映しました。各自見えやすい場所に椅子を置いたり、木や石の上に座ったりしながら観ました。その後椅子を丸く囲んで映画のことや暮らしについて話しました。その周りで子どもたちは遊んだり、おこし続けている火の周りでゆっくりしたり、みんなが想い想いの場所で時間を過ごしました。眠るために準備する人やまだまだ話しを続ける人。夜のうちに帰らなくてはならない人もいて少しづつ動いていき長い夜を過ごしてゆっくり朝を迎えました。そしてまた朝ごはん、昼ご飯に向けて動き出します。一泊二日するということは「食べること」という大きな柱が中心にあり、それをみんなでなんとかかんとか回していく。その過程を楽しむということなんだなと改めて感じました。めんどくさいことをみんなでやって話して食べて笑った祭りとなりました。当日来れなくてもその前に話し合いに参加してくれたり支えてくださった皆様も含めたくさんのご協力ありがとうございました。皆様に参加してもらうことで成り立っていく活動です。これからもよろしくお願いします。(くみこ)