「新たな場所について」髙橋淳敏
新たな場所について
ニュースタート事務局関西が共同生活寮を閉じてはや5年が経とうとしています。その時から現在までの期間の半分以上が、コロナの流行したさなぎのような変化時間ではありましたが、のど元過ぎた今となってみれば、株価がバブル以来だとか、就職戦線が売り手市場になったとか、物価の高騰など、「ひきこもり」前夜の30年以上前に戻ってしまったと思うところもあります。少なくとも20年前は「失われた10年」と言われ、その後20年、最近までの「失われた30年」と言われ続けた喪失期は、ようやく終幕することになるようです。もう「失われた40年」と言われることはないと。そんな気(景気)がしています。一方で、日本の経済は少子高齢化が加速して止まることを知らず、低迷し続けています。内需が減る一方だから当然です。人口は増え続けた時期と同様、指数関数的にグラフでは滝のように落ち、減り続けます。こちらは40年以上前から指摘されてきて、予想通りで分かりやすい現実です。「失われた40年」と呼ばれなくなるのは、失われたものが戻ってきたからではなくて、失われ続けていることの方が常態化するからです。30年以上も喪失期を過ごすことになったのは、それ(経済成長)がいつか戻ってくると、それしかすがる思い出がなかったからです。コロナ流行期間に、よりを戻すのが不可能だとようやく諦めることができて、前のバブルのような数値が戻ってきたのは皮肉な感じもします。ですが、バブルもそうであったように、今も概ねまやかしの事態の中にあると考えていいでしょう。現実は一億総中流時代とまで呼ばれ、都市に流入した男女が対になって築いた核家族を支えた恋愛ドラマは崩壊の一途をたどっています。子どもが減り続けるだけでなく、結婚する人たちも激減しました。喪失期間ではなく、恋愛自体や対になることをやめた男女は、全く違った暮らしを考え実践しました。過去の失恋やドラマに浸っていては、自らの人生を棒に振ってしまうことになりかねません。喪失は誰か他の相手を見つけて穴埋めするのではなくて、経済成長やかつての恋愛モデルとさよならすることによって終えたのです。私たちが20年弱やってきた共同生活寮は、この社会が喪失している期間の新たな暮らしの模索ではありました。ですが、共同生活寮の出口は、一人暮らしかその先にある男女が対になる核家族のようなモデルしか見出しにくいのは事実でした。今回新たに作る場所は引きこもり問題に限らず、地域課題を共に考えていく場になります。私たちは30年くらい前のこの活動から、「ひきこもり」その原因は、引きこもっている人の問題ではないと考えてきました。ひきこもる問題は社会の側にあって、個人の能力や努力や気力や病気や障害が問題なのではないと世に問うてもきました。この社会の問題を、今まで以上に直接的に社会や自らの地域にも問う場を作っていきます。今までやってきた「鍋の会」などの交流会もします。「へそでちゃ」という名称になりそうです。とりあえずは、ぼちぼちと事務所も移転しますので、どうぞお見知りおきください。
2024年3月14日 髙橋淳敏