NPO法人 ニュースタート事務局関西

「ニュースタート事務局」の支援活動について  髙橋淳敏

By , 2024年4月20日 5:00 PM

「ニュースタート事務局」の支援活動について
 パンフレットのはじめに載せているような表題である。千葉にある「ニュースタート事務局」が2025年12月にその活動の終了を宣言したので、今回は「ニュースタート事務局」の支援活動について言及したく、このようなタイトルになった。別法人ではあるが、私たちニュースタート事務局関西は「家族をひらく」など、「ニュースタート事務局」と似た理念を共有して、今は私が代表なので親子ぐらいだが、遠くで暮らす兄弟のように活動してきた。だが、今回の「ニュースタート事務局」の支援活動の終了は、ニュースタート事務局関西にとっては同じ意味は持たない。そのことについても、ここではっきりしておきたい。とはいっても、私たちニュースタート事務局関西の活動は25年の12月まで継続できるかも分からず、むしろ今回の「ニュースタート事務局」の終了宣言は、まだ一年半以上ある25年12月まで、責任をもって活動を続けますという前向きな宣言ともとれる。ただ「ニュースタート事務局」の引きこもり支援活動の終了は、同団体に限らず、引きこもり支援自体の大きな転換点であり、それこそ一つの時代の「ひきこもり」という長く特殊な問題の終焉ぐらいの意味をもっていると私は考えている。
 一緒にやっていたわけではないので、30年にも及ぶ「ニュースタート事務局」の活動が何だったのかを私が語るのは難しい。お互いの団体名の上に常に冠していた「家族をひらく」という言葉からは、直接的には親と子をいかにして引き離すかということが重要であったのではないかと考える。二神氏は終了宣言の中でも「ひきこもり」が減らなかった要因として、斎藤環氏の「親子の会話」やKHJ全国家族会が推進する「信じて待つ」など、親子や家族内の問題とする支援の在り方に苦言を呈している。引きこもる状況において、親と子が関わっても良いことがない場面が多くあって、如何にしてその間に他者が介入し、持続的にも離れた暮らし、離れた子が社会で生きていけることを、「ニュースタート事務局」は長らく支援をしてきた。具体的には、親への面談から始まり、レンタルお姉さん(訪問活動)、共同生活寮、就労支援など、そのどれもが親子の不毛と言っていいコミュニケーションを絶つためのコンテンツとしても、私たちからは見えていた。そして私たちも、結果として、そのどれとも似た活動をすることになる。友達づくり、親から離れた暮らし、社会参加など3つの目標を掲げ、鍋の会や訪問活動、共同生活寮や仕事づくりなどやってきた。
 二神氏は最後にこう言い残している。「ニュースタート事務局は2000人余りもの若者を社会へと送り出してきた。そのことについては満足を感じている。だが、現在も引きこもりは146万人と増えている」と。「ひきこもり」が増えているのであれば「ニュースタート事務局」が、その使命を終えるのは無責任にも思える。そして、私はこれを二神氏が批判する斎藤環氏やKHJ家族連絡会も含めた引きこもりの個別支援の終わりの始まりとも感じている。引きこもりを個別に支援することはとても難しい。「NOの中のYES」などの様々な言葉を「ニュースタート事務局」は作ったりしたが、例えばそれは多くの引きこもっている本人たちは助けを必要とはしていない(求められない)ところからもくる。彼らは能力や気力がないことを自分のせいにしたり、産み育てた親のせいにする。それは、自由の代名詞となった他人への無干渉や、自己責任や自助を基底とする社会になった引きこもり時代と共にある。自分を助けることができるのは、自分か親か国家くらいでしかない。引きこもりに限った話しではなく、今の社会の多くの人は、第三者(他人)が助けてくれることを信じてはいない。第三者が助けてくれないことを前提として人生は孤立して設計されている。「ニュースタート事務局」は親との面談から最後、子の自立まで、この社会への不信感と、向き合い続けなくてはならない。簡単に言えば、既存の社会に対する不信感の中では、個別の支援はできない。
 「ニュースタート事務局」は一人一人の引きこもりを支援し、社会へと自立をさせてきた。その過程で、引きこもっていた個人が変わったりする中で、社会に適応していく。それがため、一人の個人が自立し適応していった社会は、以前より強固なものとなる。神経質な言い方だが、それは引きこもる個人よりも社会の方が常に正しいことになる。もっと分かりやすくするため、安易な絵を描くと、今ある社会に一人の引きこもっていた人が自立適応し、その社会をまた少し盤石なものとしていくならば、そうやって強化された社会は、他に2人以上の「ひきこもり」をもしかすると生んでいるのかもしれない。引きこもりは社会問題である。ここ数年私たちはこの一つの主張しかしていない。引きこもるのは、個人の病気や障害や能力や努力や気力に問題があるのではない。問題は社会の側にこそある。引きこもる人は支援をされる対象なのではなく、この引きこもり問題を生み出すろくでもない社会を変えていく直接的な主体となる存在である。希望者は別にしても、彼らに就労支援などしている暇はない。 
 引きこもっている人があれば、あなたは少しも間違っていない、間違いがあるとすれば、それは私たちの社会であると直接的に介入し、本人や親にはそのことを訴え続けなくてはならない。親は引きこもり問題の当事者であるだけでなく社会の側にもいて、引きこもる人から見れば直接的な加害者である。だから加害者と共に、引きこもっているわけにもいかない。社会は変化を恐れ、頑なになっている。そして、この30年、引きこもり問題は解決しないどころか深刻になってきている。「親子の対話」や「信じて待つ」などの支援は問題外で、何もやっていないわけだから取り扱う価値もないが、引きこもりを自立させる支援には問題がないとは言えない。いや、ニュースタート事務局の支援活動の終了は、それが一定、成し遂げられたがためにも、引きこもりを自立させる支援自体の問題は、今後も表面化していくだろう。そのように私たちは自戒も込めて考えていく。ニュースタート事務局関西は、2019年に一足先に親子が継続的に離れて暮らすための共同生活寮を終了させた。それは、今の千葉の終了宣言のように、支援活動の終わりを意味していた。,だが私たちはそこで、今一度引きこもり支援について考え直し、初心に戻ることにした。なぜならば、共同生活寮は私たちの活動の初めにはなかった。個別の支援をやめたわけではないが、それで私たちは底なし沼のような社会の中での「自立」から解放された。引きこもり問題を直接的に社会に問う、そのために足場がある外(地域)の暮らしを小さく分散的に作っていく。さて、今から一年半、千葉にとってもこの危機は新たな機会なのではないかと思う。私は今まで以上に、「ニュースタート事務局」周辺の動きに期待をしている。
2024年4月20日 髙橋淳敏

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