4月例会報告
4月19日(土)11名参加(内家族の方は6名)でした。先月の通信の文章から障害について。「引きこもり」が発達障害かという話ではなく、「障害」に近い意味で使われている。障害は「持っている」と言われる。でも実際は障害者と言われる人が持っているのではなく例えば段差や階段など社会の側にある。
「引きこもり」はその本人に問題があるわけではなく、社会の側に、受け入れる側に問題がある。でも、自分が悪いんだ、自分が人よりできないんだと自分を責めることは自分一人でできる作業だから誰とも関わる必要がない。他には、自分の今のこの状況は親のせいだと親を責めることはどうか。これも親は例え言い返してきたとしても、他人とは違って完全に責めてくることも縁が切れることもなく、結局自分自身を責めるのとそんなに違わない。そうではなく、こんなに一生懸命生きているのに生きにくいのは社会の仕組みがおかしいのではないか、という考え方をすると自分一人でいてもいつまでも解決しない。一歩外に出て、同じような苦しさを感じている人たちと話したり、社会を変えようとするなんて難しいことだと思うかもしれないが自分たちの意見を言い合ったり話をすることでしか始まらない。
引きこもっていると、自分も親もできていないことにばかり目がいってしまう。でも本当にそうか、できていることもたくさんあるのにそれを本人も気づけず自信を持てないでいる。できていることもわかっているよという関わり方ができれば。例えばご飯を部屋の前に持っていかない。そんなことしなくても自分で食べにこれると信じている。親がご飯を作れなかったり家の用事ができない時は親は無理をして子どもにはできないだろうからとやってしまわず、やっておいてねと任せる。一人暮らしに興味があるなら具体的にどうやっていくか話してみるなど、子がやろうと思えばできるだろうと信じられているか。
引きこもっている本人は、「○○ができるようにならないと外にでれない。人と関われない。働けない。」「働いてお金を稼がないと一人暮らしはできない」など今の自分のままでは何もできないから、今よりパワーアップしてからしかできないと思ってしまいがちだろう。でも実はその考えではいつまでたっても動けない。今のままの自分でいいんだと肯定できないと動き出せない。だから今の自分より良くならないと行くことができないと思うような場(実はそういう場も今のままの自分で全然大丈夫なのだけどハードルが高いと怖くなってしまうので)ではなくそのままの自分でも行けそうな場から練習していければいい。そういう場として鍋の会や例会も使ってもらえたらと思う。(くみこ)