2月の例会報告
2月17日(土)17名(内家族の方が9組)の参加でした。次回でカウントし始めてから300回ということで、25年以上毎月こうして勉強会を開催してきました。2001年頃からは、引きこもっていた人が出てきやすい場として「鍋の会」、そういう場や人に繋げる役割としての「訪問活動」がスタートしました。鍋会に来ていた人が言ったことですが「ここにきている人は人を信じようとしている人が多い。社会に出ている人の方が不信感が強いんじゃないか」と。そういう、社会には出ているが閉じられた家族の中に他人が入ることで風穴を開けて風通しを良くすることも「訪問活動」の大事な役割の一つです。
皆さんの話からは。少し前から聞くようになっていましたが、高校や大学の時期にコロナの動きに良くも悪くも巻き込まれて今に至っているという話もいくつかありました。あとこれは昔から多かった話ですが、父親(母親の場合ももちろんあります)と関係がより悪い、口をきかない、顔を合わせないなどです。これは父(母)の方がより「子はこうあるべきだ」(例えば高校→大学→就職など)という価値観が強く、会話ができないと感じているからかもしれません。親が想像するレールに乗らないことはとても勇気のいることで、自分でさせえできなかったことをしようとしている、その子に対して尊敬するところですが、逆になぜ他の子たちのように普通にできないのかと否定してしまっていることが多い。勝手に自分たちの想像できるレールを押しつけてしまっていたことに気づき、非を認められるか。そんな考え方もあるのかと一人の人として対等に接しているかが、子が会話ができるかどうかを判断しているところかもしれません。
久しぶりに参加してくれた、自身も引きこもっていた経験がある方が他の親御さんたちの話を聞いて意見を言ってくれました。「ゴールは仕事じゃない。10年引きこもった、それも経験になるんです。仕事の前に人と関わること。同い年でもみんな違う生き方をしている。そんなんでいいんかと思うような人もいるし、いろんな価値観の人がいるということを知ること。」そしてこの会の最後の方に「皆さんのお話を聞いていたら、やっぱり引きこもりが悪いことだと思ってるんじゃないですか?そんなことないんですよ。」と。一番傍で見ている家族がこの子はだめな状態だ、失敗しているという眼で見続けていることは本人には伝わっていて何倍にもなって重く受け止めより動けなくなっている。家族だけではなく、学校など社会の方の見方も今のように冷たく締め付けが厳しいままでは引きこもりは増えるばかりだろう。生きにくい社会であることに気づき、周りの大人の知っているレールじゃない生き方をしようと立ち止まった人にこそ、家で引きこもるという手段しか取れなくさせてしまうのではなく、「おー気づいたか!よし。どう生きていけばいいか一緒に考えよう!答えは簡単には出ないし何が正解かもわからないけど自分で決めて進んでみたらいい。何かあったらいつでも集まって話そう。」と言える大人でありたい。(くみこ)