NPO法人 ニュースタート事務局関西

7月定例会報告

By , 2021年7月19日 2:54 PM

7月17日(土)16名参加(内家族4組)でした。クロスパル高槻での定例会は4,5,6月が中止だったので久しぶりだったせいもあるのか参加される方が多かったです。

 冒頭の話では、例えば地域の中で引きこもりに限らず心配な人(しんどそうな人)がいれば見ないようにして無視するのではなく、その本人も含めて集まって向き合って、共有して話し合うことができれば、期待されたりお節介を焼かれたり傷つくこともあるかもしれないが、その後も地域で動きやすいし隠れたりする必要はないだろう。(絵本の「ぐるんぱの幼稚園」を思い出しました。)しかし今の日本では多くの場合、社会の言う「普通」にのっとってない人がいれば、その人を含めることなく近隣の人だけで話すことになる。それは例え本気で心配していたとしても、本人にとっては陰でコソコソうわさされていると感じ、外になんて出られない、親はその子を出せない、と考えてどんどん孤立してしまうのではないか。その状況はその人個人の欠陥や病気のせいと見なされ、病院に行っても薬を飲むか入院をさせられるか、家にこもるしか選択肢はなくなっていく。みんなで話してその問題を外に出すことができず、家族だけで本人だけで抱え込むことになる。そんな状態で引きこもりがなくなるはずがない。

 皆さんの話では。小中高大学と、人間不信や対人恐怖と闘いながらも競争させられ続けてその先に「就職」という幸せが待っていると教え込まされなんとか耐え抜いてきたとしても就職して働き始めてすぐにまた次の競争社会、他人を蹴落としてでしかやっていけない社会の入り口でしかなかったことに気づいたとしたら、もう続けられなくなる。立ち止まってしまうとしても何も不思議はない。思っていた未来との違いにいら立ち、怒りは爆発する。小学校で気づき立ち止まる人もいれば、人それぞれだろうが、長く耐えて耐えてなんとかやってきた人に限ってその親は「大学の途中まで普通だったのにだんだん行かなくなって、働き出してすぐにやめてしまった。一体全体何がどうなってるのか。」と理解することが難しいかもしれない。立ち止まってからも本人は(他の人はそれでも嫌なことがあっても我慢して働いているのにそれができない自分が悪い)と自分を責める日々が始まる。でもそれはその人が真面目で敏感で優しいところがあるからこそではないだろうか。親や周りの人は、その人個人のせいではなく、競争させて比較することでしか人を評価しない社会、人よりどれだけ効率よく動けるかだけを求められるような社会のほうがおかしいのだということに気づくこと。そのことに気づかずにその先に幸せがあるかのようにレールに乗せて育ててきたことに対する自分たちの間違いにも気づいた上で、向き合って声をかけていくことしかできないのではないか。それだけでも本人との関係性は変わってくるだろう。

 他に、当事者としてもこの日参加してくれた方から、自分が今何を望むかは、もうこれ以上比較されたくない。評価されるかどうかを気にせずに生きたい。というストレートで重たい言葉がありました。家族や周りから常に言われるか言われずとも感じ取り自分で自分を抑え込んでいるということもある。自分がどう生きたいかを素直に正直に言うにはそれを肯定してくれたり率直に意見を言ってくれる仲間がいないと難しい。

今の自分ではない完ぺきな自分でなくては出てこれない社会ではなくて、そのままででこぼこのままで出てこれるような場をニュースタート関西では集まる場を作っていきたいと思います。鍋の会も大事な集まる場です。初めての方も大歓迎です。ぜひそのままの自分で出てきてください。(くみこ)

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