ドラマ「下流の宴」とすれ違う親と子への処方箋 報告
7月31日(日)高槻市総合市民交流センターにて、シンポジウム『ドラマ「下流の宴」とすれ違う親と子への処方箋』が開催されました。ゲストはNHKドラマ「下流の宴」演出の勝田夏子さんと、ニュースタート事務局理事長二神能基さんです。シンポジウム第1部でお話いただいた概要をご報告させていただきます。
■ ドラマ制作の狙いは? ■
勝田さん)原作はとにかくいろんな立場の人が出てくる。それぞれの価値観をぶつけあうが、一向にわかりあえないまま終わるという、林真理子さんらしい毒のある話でとても面白いと思った。このドラマで言うと、翔君はいわゆる無気力といわれる若い世代の代表として象徴的に描かれているが、この彼がドラマの最後で大学に行くとか、農作業なんかしてみるということが全くないところが、なかなか現実に即していて、ある意味深刻だし、人の本質は変わらないというということを示唆しているのが、見ている方にとって面白いと思ってドラマにした。
いろんな見方があると思うが、誰かが一方的に正しいとか誰かが一方的に悪いとかといことではなくて、それぞれに痛みを抱えてたりする。それぞれに頑張っている。でもそれが一向にかみ合わなかったり、うまくいかない。翔ちゃんは翔ちゃんなりに頑張っているし、由美子さんは由美子さんなりに頑張っている。そこのところがお互いに見えていくといいなという気持ちでドラマを収録した。
■ 番組の反響は? ■
勝田さん)私は黒木瞳さんと違いますという人も多かったが、もう一方ではあんなに極端ではないけどもすごく思い当たる節があってなんだかチクチク刺さってきて痛い人と同じ位な感じだった。黒木さんに限らず、翔ちゃんの気持ちが分かるという人もいたし、翔ちゃんは本当にけしからん「ダメンズ」だと、ダメな男だという人もいた。親子で見てたという人が、例えば「自分はこんなにひどい親じゃないでしょ?」と思っているのに、息子さんや娘さんが「あれはお母さんにそっくりだ」とポロっと言ったのを聞いて傷ついたり。親御さんが自分の息子とか娘が翔ちゃんみたいに無気力で困っていると言って、それを聞いた息子さんがうちの親は一生懸命「下流の宴」を見ていて、自分と翔とを重ね合わせているみたいでいたたまれないから家を出るとか。やっぱり親御さんとお子さんとで見方が違うっていう場合が結構あって面白かった。
親子ということに関して言うと、この番組を作っているスタッフもハイティーン以降の息子さんを持っている親が結構いて、脚本家の中園ミホさんなんかもそうなんですけど、「自分の家の子供が翔ちゃんに見えてしょうがない」と。要するに全然言葉が届かないとか、なんかやる気なさそうにいつもしていると。どうすれば言葉が届くのかっていう答えを知りたいから、この番組を通して翔ちゃんを考えていく中で答えを見つけたいみたいなことを言ってる人がいて、普遍的な問題なんだなという風に思った。
■ 「翔ちゃん」という可能性 ■
勝田さん)翔ちゃんは20世紀の価値観を由美子さんから刷り込まれ、その呪縛があるが、翔ちゃんはまだこれから可能性があるかなという気がしている。翔ちゃんは頑張りたくないと、頑張っている珠緒の隣にいるのが辛いと
珠緒と離れたが、翔ちゃんは身の丈以上のことを望まないという、ある種地に足の着いた、良いように言うと品のいい生き方をしている子だ。これ以上望まないと言って、ずっとアルバイトで30代40代50代になって働いていけるの?大丈夫?というのはもちろんあるが、ただ彼の場合はこのドラマの中では彼が自覚するしないに関わらず、お母さんの期待に応えられない辛さみたいなものをずっと引きずってきた子なので、ドラマの最後でお母さんに自分の生き方をあきらめという形かもしれないが一応認めてもらった時に、彼はこのドラマで初めて涙を流すのだけど、そこで呪縛からの解き放ちみたいな片鱗があるので、多分彼は時間をかけてゆっくりと次のステージに進んでいけるんじゃないかなと思う。
多分、震災が起きたら由美子さんは全財産を持って自分の家族だけを連れて関西に逃げるだろうと思う。だけど翔ちゃんは自分だけ助かろうとか、そういうことになんとなく拒否感を持っている子だと思う。その拒否感は理屈じゃない。じゃあ自分が積極的にボランティアに行くとかそういう実行力はまだないかもしれないが、人を差し置いてどうこうとか、人を出し抜いてどうこうとかいうことは恥ずかしいというのを体感として持っている子なのかな。その感覚というのはもしかすると将来いい方向に花開いていけば、芽があるのかなという気がした。
■ 穢れなきニート ■
二神)翔ちゃんというのは、すっきりしたニートと言うか、穢れなきニートと言うか、かなり哲学がしっかりしている。彼は多分これからも淡々と美しく生きていくだろうというのはすごく良く分かった。
僕たちは浦安市に住んでいるが、3月11日の時に浦安市も液状化で一週間水が出なくなったりして、郷里の松山にしばらく孫を連れて逃げようかと真剣に考えたのだが、うちの若者たちは全然じたばたしようとしなかった。我々は自分さえ良ければいいみたいなもので、そういうことばっかり考えるのが染みついているなと思った。
このドラマが急展開するのは、お姉さんの結婚式で最後に両家のご挨拶じゃないけど、翔くんのお父さんがぶち壊しの挨拶をする場面があった。人間いろいろ生き方あるじゃないかと、みんな周りの期待を裏切ってもいいじゃないか、みたいな話がある。いろんな生き方があると我々は口では言う。学歴なんてなくたって、と。ところが本当にいろんな生き方があるのかというと、我々の世代はなかなか浮かんでこないのだけど、若者たちの頭にはぼんやりと浮かんでるのは間違いなくある。だから彼らは多分、いろんな道があるとは言うけど、そうではなくて、高村高太郎のあの詩じゃないけど、「僕らの前に道はないけど、僕らが歩いたら道はできる」みたいなのかなという感じで付き合ってはいる。
■ 下流志向という進化 ■
二神)翔君なんか20歳で、彼は1990年くらいに生まれている。バブルが崩壊した頃で、彼は生まれてから成長の時代なんて味わったことがないというか、日本がだんだん下を向いていく、日本全体が下流に流れていく時に生まれているわけで、彼は進化論的に言えば正しい適応をして下流志向に行っている。
3・11後の震災の復興も、若者たちが復興構想会議なんかを聞いてると「また成長志向で何か作るの?」みたいな感じで嫌がっている。うちの寮生がボランティアで行っているが、ひたすら瓦礫の撤去をやって帰る。あまり生産的なことはやりたくないというか。それで「どうだった?」と聞くと「疲れましたよ」なんて。「じゃあどうするんだ?」と聞くと「いや、また行きます」みたいな。あそこらへんの感覚みたいなのは、結果を求めないというか、すごく頼もしいなと思う。黒木瞳さんみたいなお母さんとか、我々の世代が消えると、多分経済はあんまり成長し
ないだろうが、非常に品の良い、人間と環境に優しい良い国を作るんじゃないかと感じていて、今回の下流の宴は何かそこらへんを予見する番組だったんじゃないかという風に感じている。
■ お金以外の価値 ■
勝田さん)このドラマを作るにあたって、翔ちゃんという若者を理解しなければいけなかったので、例えば翔ちゃんは本当のところ将来についてどう思っているのか?とか、翔ちゃんも将来のことを考えて夜眠れないことがあるのか?とか、翔ちゃんが普段どういう持ち物を持って、どういう服を着ているのか?とか、いろんなことを掘り下げなくてはいけなかったので、ニュースタートさんとかにもお願いして、いろんな所でフリーターをやっている人だったり、カップルで同棲している人もいましたし、翔ちゃんも昔引きこもっていた時期があるんですけど、引きこもってて、今フリーターをやっているような人たち10組位に話を聞いた。
その中ですごく印象的だったのが、みんなお金以外のものにすごく価値を見出しているというところがあって、飲食店(チェーンのお寿司屋さん)で働いている男の子が、別にお金がたまらなくてもいいから、寿司の握り方を教えてもらって、家帰っておばあちゃんに寿司を握ってあげたいと。贅沢しろって言われても、高級なレストランとかに行くと身の丈に合わなくて自分は委縮しちゃうし、どうせ居心地が悪いだけなんで、分相応でいいです、と。それで自分にとって一番の贅沢は何かって言われたら、いつか彼女を作って彼女の裸の絵を描きたいと言った子がいた。彼はお金とかそういうことじゃなくて、大好きな人と親密な関係を築くっていうことに価値を見出している、ものすごく素敵な子だなと思って感動した。そういう人たちのいろんなエッセンスを翔ちゃんに込めて描いた。
ただ一方で、やっぱりまだまだ若いし社会的スキルもないから、何かひとつひとつ、些細なことでもいいからひとつひとつやっていかなきゃいけないって時に何からしていいかっていうことが多分翔ちゃんはわかってないと思う。ひとつひとつちゃんとステップを踏んで現実化していくということに関しては多分翔ちゃんはまだまだ疎いので、そういうことを誰かが教えてあげさえすれば、動機とかそういうものはピュアなものを持っているような気がした。
■ 仲間・働き・役立ち ■
二神)彼は多分そういうのでは、そういう階段は上らないというか、そういう人。就労支援みたいなことで、仕事に就きなさい、自立しなさいという支援をやってきたが、就労だけを追いかけていくと彼らは動けない。それで、3~4年前からニュースタートは「仲間・働き・役立ち」3本立ての人生を考えようということになった。就労っていうのは1/3じゃないかと。仕事は食い扶持稼ぎでなるべく短時間で済むように食い扶持だけ稼いで、あとは仲間と一緒にいろんなことをすることを楽しむと。もうひとつはやっぱり役立ちみたいに、自分の生きがいにつながるというか。その3本柱で人生を考えようという風にはっきり語れるようになってから就労率が急速に上がっていった。多分もう仕事中心の仕事は終わったんだろう。もっと役立ちみたいなところで人生を提案していこうと。
最近の国民性調査なんかを見ると、今の20代30代の若者は自分のためよりも他人に役立つ人生を送りたいというのを選んでいる子が半数以上。「自己実現」なんて言っていた時代があるけども、もう完璧に終わり。自分のためよりも他人のために生きたいみたいな。ニュースタートが「仲間・働き・役立ち」みたいに言ったことというのは、大体若者の中から出てきた言葉を整理したに過ぎないが、やっぱり新しい方向だなと思う。