NPO法人 ニュースタート事務局関西

「指数関数的減衰」髙橋淳敏

By , 2024年7月21日 7:01 PM

指数関数的減衰

多くの人が教科書などでも見たことのある、時代ごとの日本の人口の推移を現わした折れ線グラフがある。江戸時代くらいまでは徐々に増えていくが、1900年前後明治期に入ると一気に人口は増える。増加というか爆発、急斜面の山でもなく、ほとんど壁のような増え方をしている。1人の女性から2人の子どもが産まれるのが、合計特殊出生率という言い方で2.0とされている。合計特殊出生率が2.0だと人口は横ばいになる。江戸時代まで何千年以上はたまの飢饉や戦争で減るくらいで、2.0くらいでほぼ横ばいで人口は微増程度だった。合計特殊出生率が4.0なんかになると、一人の女性が4人の子どもを産む社会だと、一世代は人口が倍になるくらいだが、次の世代は8倍になり、さらには16倍と、多少出生率が下がったとしても、数世代でもとんでもない数に増えていく。それを指数関数的な増加という。有名な話だと、知り合いを6人でも辿れば、80億世界中の人と繋がっているというのも、一人当たり30人くらいの知り合いがいると想定した指数関数的な計算方法である。指数関数というのは馴染みはないが、感覚的に言うと想像できないほどの増加や拡大が、日常生活の中に潜んでいるようなことだろう。日本では江戸末期くらいから、500万年とも言われている人類の歴史上では、想像できないくらい大変な人口爆発が、ここ150年くらい、しかもピークはここ数十年くらいの間に起きた。

さて、話したいことは、この先である。数学的な指数関数であれば、人口のピークは訪れることなく人口はあっという間に無限へと近づいていく。1950年くらいの出生率は3.0くらいだが、それでも今でも続いていたならば、続けることもできないのだが、億とか兆なんかの単位ではなく、人口は数年でも無限に近くなっていただろう。ではなぜ、そうならなかったのか。数学的には簡単に説明はつく。皆さんご存じように現在は合計特殊出生率が2.0どころか、1.0近くまで減ったからだ。2.0を割ると今度は減少の指数関数になる。当たり前だが、特殊出生率の増減ついては、数学では説明できない。簡単に言うと、女性がなぜ子供を産まなくなったのかについては、数学では説明できない。そして、たぶん他でも、その理由は説明できない。出生率があがった理由は数学ではないが、想像はつく。一言でいえば「近代化」である。化石燃料や電気などを使用し、食料を大量生産するようになったり、工場など人間の労働における生産コストは大幅に減少した。それだけが理由ではないが、近代医療の発展なども含め「近代化」が人口増加に貢献したと、抽象的にだが言っていいだろう。では、「近代化」されたものは続いているどころか、先鋭化され空間や時間における生産性は以前よりも増し、労働コストも以前より切り詰められたのに、なぜ出生率は上がらないどころか下がったのか。核家族化したからとか、子育てにお金がかかるようになったとか、非婚晩婚化したとか、いろいろと言われていることはあるが、どれも二次的な要素であって、一時的な理由ははっきりとはしていない。国家行政は子育て支援などしているが、やるのは良いが、出生率を上げるのになんの効果もあげていないようだ。一番の謎は、比較的貧しいとされた時代(日本では戦後すぐとか)に出生率は上がり、近代以後は物質的に豊かになるごとに出生率は下がっている。現在、政府は出生率を上げるために子育て支援など、主に経済的援助をしているが、それでは筋違いである。出生率を上げることと、子育て支援は別でやるべきだ。出生率を上げるための政策は明確に一つある。それは独身者への支援だ。戦後まもなく、出生率が上がったのは子育て支援が充実したからではない、個人が豊かになっていったことが背景にある。独身者が今の生活を続けていても、生きる希望があることや現存在や生の肯定感が、出生率の増加へとつながるのではないか。婚活アプリとかせこい話ではなく、直接独身者に対する生活支援をするべきだ。結婚して子供を生めば報酬を与えるのでは意味がないどころか、独身者であり続けることに罰則を与えているようなものだ。子どもは行政から報酬をもらうために産むのではない。子育て支援に意味がないと言っているのではない、別建てにするべきだ。

あれ、話したいことは、実はこの先にあった。ともあれ、指数関数には増加もあれば、減少がある。数学的には減少ではなく減衰というらしいが、その方がなんというか文学的だ。指数関数的減衰、爆発の反対、とても怖い感じがある。日本社会は2000年初めごろに人口はピークを迎え、その後は指数関数的減衰をしていくと予想されている。合計特殊出生率が2.0を下回るのが継続するのは、前代未聞である。折れ線グラフ的に言えば、減るというより落ちると言った方が分かりやすい。まあ、なので減少など生易しい言い方ではなく減衰と、数学でも表現を変えたのだ。私たちが普段、生活の中で、日本の人口は減少しているなんて甘い言い方をしているが、その認識はやっぱり間違えている。正しくは、日本の人口は指数関数的に減衰している。ただ、今はまだジェットコースターで言えば、最後尾がてっぺんにかかっているギリギリで、あのフリーホールのような落ちる感覚は、今まさにこれから体験されるところである。それ以上に、恐ろしいことに、人類はまだこの規模では、初めての前例のない経験となる。さてこの先、レールは繋がっているのか。激突するのではなく軟着陸できるのか。今まさに落ちていく状況の中では、今までやってきたことの何もが役に立たないだろう。国家レベルの政治や政策なんて、焼け石に水どころか見当はずれもいいとこで、金や愚策を投入するほどに重力は増し、どんどん落下速度は加速していく。かつて上がっていった時の所得倍増化計画も、ただ上がっていくに任せただけのことであって、政府は何も余計なことをやらなかっただけだ。100年後、江戸時代に戻るわけではないが、江戸時代と今が大きく違った世界であるぐらいには、これから来る世界はまた今とは大きく違った社会になっていくだろう。そして、私たちはその新たな世界に一歩踏み込んでいる。しばらくは落ちているだけで政治コントロールも不可能だろうけど、このフリーフォールの中、私は楽観的な気分でもいる。近代化における最大の果実は、金でもなければ権力でもない。知識と知恵は、国家や資本にはなく、私たちの手の内にある。これから落ちていく国家や資本には頼らずに、一人ではなくできるだけ自分たちで協力して生きていく社会に希望を見ている。そして、その萌芽として、引きこもる行為はある。
2024年7月20日 髙橋淳敏

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