「わたしたちはいつから」髙橋淳敏
わたしたちはいつから
わたしたちはいつから、人のケアを、国の制度や資格による賃労働に依存するようになったのだろう。
わたしたちはいつから、育児を、母親一人の責任にするようになったのだろう。
わたしたちはいつから、食べものを、遠く機械化された大量生産、輸送、陳列されたサプライチェーンのスーパーで購入するようになったのだろう。
わたしたちはいつから、医者に責任を取ってもらわなくては、身体に現れた症状と向き合えなくなったのだろう。
病院はいつから、死を迎える場所になったのだろう。
わたしたちはいつから、多大な犠牲を出したエネルギーに頼らなければ、自らの生活ができなくなったのだろう。
わたしたちはいつから、西洋の方が優れていて、自分たちと似たアジアが劣っているような考えに至ったのだろう。
わたしたちはいつから、人に優劣があるように考えたのだろう。
差別はいつから、差別される側の問題になったのだろう。
わたしたちはいつから、労働で賃金をもらうことになったのだろう。
プロはいつから、素人よりも偉くなったのだろう。
仕事はいつから、協力することではなく、人を助けることでもなく、自分のために奪ったり押しつけたりすることになったのだろう。
わたしたちはいつから外貨を稼ぐようになったのだろう。
わたしたちはいつから、その日の暮らし以上に稼ぐようになったのだろう。
人はいつから、紙に書かれた数字を蓄えるようになったのだろう。
人はいつから、その紙を神や人よりも信じるようになったのだろう。
人はいつから、迷惑をかけてはいけない存在となったのだろう。
友だちはいつから、競い合う存在となったのだろう。
教育はいつから、誰が受けても変わらないテンプレートなものになったのだろう。
民主主義とはいつから、一人の意見が尊重されることでもなく、話し合われることでもなく、多数決になったのだろう。
民はいつから、国家に従属することになったのだろう。
故郷はいつから、国家となったのだろう。
聞くことはいつから、受動的行為になったのだろう。
コミュニケーションはいつから、目的ではなく手段となったのだろう。
わたしたちはいつから、近くの人に関心をもてなくなったのだろう。
わたしたちはいつから、自分たちの住む地域にも関心をもてなくなったのだろう。
わたしたちはいつから、自分の思っていることを話せなくなったのだろう。
思考はいつから、一人でする行為となったのだろう。
精神はいつから、人が所有するものになったのだろう。
子どもたちは何があって、笑わなくなるのだろう。
平和はいつから、戦争を容認するようになったのだろう。
開発はいつから、加害性が問われなくなったのだろう。
誰にでも訪れる死は、病は、苦悩は、老いは、障害は、危機は、なぜ忌避されることになったのだろう。
光はいつから、影をつぶすためのものになったのだろう。
希望はどのようにして、絶望に変わったのだろう。
なぜ恐怖や不信が、私たちを支配するのだろう。
わたしたちはいつから、貧しかったのだろう。
自由とはいつから、安全に拘束された身体の夢になったのだろう。
わたしたちはいつから、引きこもりだしたのだろう。
わたしたちはいつの時代から、自立できていないのだろう。
ここで言うわたしたちとは、一体誰の事なんだろう。
引きこもりはいつから、引きこもることしかできなくなったのだろう。
今、あなたはどうしているのだろう。
2023年1月21日 髙橋淳敏