「障害者とは誰の事か」髙橋淳敏
障害者とは誰の事か
病気は治ると言うが、障害は治るとは言わない。治らない病気もあるが、病気は身体や臓器などの状態の異変を意味していて、それは状態であるから良くも悪くも時々に変化する。だから、自然治癒であろうと西洋医学であろうと病気は治ることがある。障害は、身体や臓器の一部欠損などを意味することがあって、状態とは逆で時々の変化はなく変わらないこと意味している。だから治ることはない。「治る」とは、そのような区別があって、比較して分かりやすい。一方で、病気も障害も「持つ」という。「あの人は病気を持っている」とも言うし、「私は障害を持っている」とも言う。この「持つ」という場合、病気や障害が主語になっても区別できないが、どうしても「障害を持っている」と言われていることに違和感がある。たぶん私だけではないんじゃないかと思って、そのことについて書いてみる。
違和感の答えはここでも何度かは書いていて、感覚的にも簡単なことである。障害はその人が持っているものではなくて、その人が持たされているものであるという話しだ。そもそも「障害は持てる」ものではなくて、自分の外にあるか、あるいは社会との間に障害は設けられている。要するに、「障害者」ではなく、普段「障がい者」などとお茶を濁して記述している名詞は「被障害者」と呼ぶ方が分かりやすい。簡潔に言えば、「健常者」と想定されている人にとって過ごしやすく今の社会は設計されがちで、段差や階段なんかは健常者ではない人にとっては「障害」になることがあって、その障害を持たされている人は「被障害者」ということになる。当然、「障害」は自分の外にある。「障害」を持っているか、持たされているかは、その人と周りの環境に依る。「健常者」も、無関係ではいられない。
最近中学校で、今まで障害物リレーと言われていた競技が、チャレンジリレーと言われていることを聞いた。障害者の害の字を平仮名にした時以上の違和感があった。「障害」をないことにしようとしているか、それ以上に「障害」を設けている今の社会に無知であろうとする態度、事なかれ主義以上の積極的事なかれ主義、リスクマネジメントというか、とにかくそこには外にあるはっきりとした「障害」を隠す意図がある。自分たちが設けている「障害」に向き合わないどころか、見もしない。そういう学びが、教育現場で推進されていることに希望はない。それがどんな障害であるかは問わず、個人が隠された障害を乗り越えることにチャレンジし続けることでしかないという狂気もみえてくる。
「被障害者」のことを、生まれながらにして障害を被っている友人に聞いたら、障害者も被障害者も一括りにされている感じがあって、そういう呼び名は気に入らないとのことだった。障害を持っているのではなく、障害を抱えていることであって、もっと一人一人の事情を見るようにすべきじゃないかと言われた。確かに、「ひきこもり」が社会問題であると私たちが主張するときも、一人一人に引きこもる原因があるのではなく、それらは概ね同じではないが共通して、その人の外に原因があると考えているわけだ。それは人ではなく抽象的な社会や家族しかみていない印象はある。障害を持っているのでも、持たされているのでも、その人のアイデンティティとしてある。当事者としてのアイデンティティがあって、可能になるコミュニケーションはある。「ひきこもり」の場合は、その定義が人との関りがないということなので、人前やコミュニケーションの中でそのアイデンティティを持つ矛盾が生じる。
障害は、介護保険制度やバリアフリー化、合理的配慮などがあって外では見えにくくなり、制度化された代償として隔離され隠されるようにもなって、どんどんと拡散し多様化していった。その最たるが、コミュニケーション障害や発達障害と言われるものだと考える。それでも、障害が個人の内面にあるのではなく、個人の外にあるのは変わらない。障害化した学校など、私たちが普段常識的に設けてしまっている障害を取り除けば、コミュニケーションや発達の障害が取り除かれることもある。障害が自分の内側にあるのではなく外にあると考えるならば、障害が治る(直る)ということもありえる。障害を変えることはできるが、それが出来るのは障害を抱えている当事者「被障害者」ではなく、障害を無自覚に設けている私たち「(加)障害者」である。私たち障害者は、障害は乗り越えるのではなく、そこに自分たちが障害を設けていることを自覚すればいい。
社会との出会いなんて明確な出来事はないし、あったとしても覚えてはいないが、社会を意識して、その後どのようにして付き合っていけるのか、ずっと悩まされ続けたことを覚えている。そういった意味で、私というか私たちの世代は「被障害者」でもあった。たぶん幼稚園ごろから、親や学校や近所の人や親戚なんかとの関係の中で、その障害はあった。さしたる能力がなくても、それほど大したことでなくとも働けば、それが人のためにもなり、さして大きくもない承認欲求も満たされれば、食って生きていくことができる、そのように設計されていない社会に対する失望から始まっている。インターネットはなかったが、世界は手元にあった。競争して勝ち続ければ青天井にその世界からより多くのことを享受できるが、競争しなければ負ければ手元にある世界からも疎外される。人と協力して生きるのではなく、人から奪ったり嫌なことを押しつけたりできなくては、この世界では生きていけないという現実はすぐに理解できた。学校で人よりもできるだけ優れた成績をとり、大きな権力と競争力を持つ企業の従業員になることが社会へ出る、社会人になるということだった。その道から外れることは、一人で世界地図にもない荒野を生きることであり、受験勉強をしないで適当にやっていくことは、一生世界の底辺で何かに従属していくことでもあった。それは事実ではなかったが、私たちに社会との間に設けられた障害であったことは事実だ。その被(障)害者意識から抜け出すことは容易ではなかったが、転じて私こそが加(障)害者であったという自覚は、その「障害」は社会との新たな出会いを私にもたらすことでもあったのだ。
2022年10月15日 髙橋淳敏