「引きこもりの表現」インタビュー
引きこもりの表現
インタビュー : アンヌ=ソフィ・テュリオン
エリック・ミン・クォン・カスタン
インタビュアー: 高橋淳敏(ニュースタート事務局関西)
「ひきこもり」は、個人の無能力や怠惰を原因とされたり、病気や障害とも誤解され見えにくく、差別やハラスメントの温床となっている。会ってもいないのに「ひきこもり」と名指されることがある。部屋の中に閉じこもっていて、家族などから日常的なハラスメントに遭あっていても、本人の自覚がないこともある。フランス人アーティストのエリック(以下 E)とアンヌソフィ(以下 A)には、引きこもりは社会問題だと何度か説明して、意見交換をしてきた。引きこもるという動詞から派生し、90年代後半に流行した「ひきこもり」は、個人を指す日本語名詞だが、元々は「ひきこもり」が増えた社会の問題であった。引きこもる行為や引きこもる人に問題があるのではない。「ひきこもり」は、個人の問題や評価ではない。状態であり、現象である。経済成長によって地域社会が崩壊した後で、バブル経済は行き詰まり、企業社会は行き場なくあからさまな保身のため雇用を不安定化させるなどした。次世代を抑圧し権力や経済を維持する。核家族では正規雇用者が引き続き威厳を持った。一方で、非正規雇用が社会や時代の核になった。それなのに、「ひきこもり」だけに限らず、フリーターやニート、発達障害などへのバッシングや自己責任化は、現在も留まるところをしらない。そのところに欠けているのが、「ひきこもり」は社会問題だという当初からの問題意識である。「ひきこもり」はなぜ増えて、長期化し今も社会問題として深刻なのか。「ひきこもり」の増加によって社会が閉じられる被害妄想を抱いてはいけない。引きこもり問題を通してこそ、閉ざされた社会は開かれる。そこでは「ひきこもり」個人を変えようとすることには何の意味もない。今回は、日本の「ひきこもり」に関心をもって、自らの芸術活動を行うべく来阪した2人に、彼らの引きこもっていた人へのインタビューの合間に逆取材をした。
・ あなたたちはShonenカンパニーという団体をフランスで作っていますね。
(E)Shonenカンパニーは協働組合でアソシエーションです。設立は2008年です。劇団のようでもあり、非営利組織で会社ではありません。私たちは舞台芸術や、舞台などの興行、映像フィルムの制作をしたり、私は振り付けをしたり教えたりしています。私の肩書は芸術ディレクターで公演など、プロジェクトごとに働きます。名前の由来は、少年漫画が好きで、「Shonen」としました。それでアンヌソフィの「等身大」という名前のついた芸術活動と出会ったことが今回の活動につながりました。
・あなたたちは今回のプロジェクトに日本語の「HIKU」というテーマを掲げました。
(E)共同で行うときに、二人共の頭の中にあったのが、引きこもりや世になかなか出てこない人の言葉を借りた舞台がしたかった。表に出る機会の少ない人が、生の現場にでてきて披露してもらうことに関心があった。それで私たちも劇場というバブルを出て、外で出会った人を劇場に招くことを考えた。それが理想にあって、日本の「ひきこもり」に特に関心をもった。
(A)「引く」という日本語には、跳躍するための助走のような意味もあると聞きました。私たちのアソシエーションにとっても良い意味であり、人とコンタクトする上でも大事なことが含まれていると思いました。
・2年前に来阪した時は、どうだったか?
(A)遠い国なので、母国語も通じないし、世界の端に来てしまった感覚はあったが、そこで出会ったニュースタート事務局関西の「鍋の会」という集まりの居心地が良かった。全く知らない人たちなのに、誰もが誰に対しても一定の決めつけをすることがなかった。それがとても心地がよかった。
・2年間、フランスでのコロナ期間はどうしてましたか?
(E)私たちの間にはじめての子どもが産まれた。それが全てと言いたいが、仕事が打撃をうけ、生活が大変になりました。過去の活動を整理したり、映像作品にして売ったり、インターネットなどを通じていろんなところと連絡を取り合っていた。そんな中で、インターネットを通じれば私たちが今まで「障害」としていたものがなくなったり、リモートコントロールなどを使った芸術活動の可能性について考えることもできた。目標は2023年の舞台になったが、「ひきこもり」との関わりに時間をかける覚悟もできた。コロナ期間がなくて、すぐに舞台になっていたら、今のような交流はできていないので、表現も違っていただろう。新しいものを熟成させる準備期間だったと、今は考えられる。
・フランスでは「ひきこもり」がありますか?
(A)フランスにも「ひきこもり」はありますし、HIKIKOMORIはフランスでも通用しつつある言葉です。昔の日本の引きこもっている人の印象に近くて、青少年とか不登校とかテレビゲームをするオタクのイメージが強い。日本は年齢の幅が広く、もっといろんな人がいて、長期化高齢化している印象があります。
・先の「鍋の会」もそうですが、引きこもり問題においては居場所が度々のテーマになります。どのような居場所が必要だと思いますか?
(E)例えば、外の社会では無力だとされた人が、オンラインゲームの中でゲームの世界の案内をする場面があった。それも居場所になるかもしれない。隣で料理を作っていてその匂いがあったり、美味しいと感じるような身体的な感覚が伴う建設的な場所がいい。そして、嫌な質問をされるでもなく、ここにいてもいいんだという、心の錨を下せる場所。
・今回は引きこもっていた人とたくさん会って、個別に話しを聞きましたが。
(A)自分の人生を一本の道に例えた人がいて、その道から落ちて履歴書に穴が開いたという表現が印象的だった。人間関係の濃淡がさまざまであった。あなたはお母さんから愛されたと思いますかという質問に対して、ずっと長い沈黙があって、その沈黙は永遠のように感じられた。そのあと「わからない」という言葉が返ってきたが、沈黙が言葉より意味をもっていた。
・引きこもりデモ(高槻市駅前で、この後5月20日に行われた)への意気込みを
(A)たくさんのエネルギーが集まる場所になってほしい。
(E)アーティストとして「自由」とか「希望」とか、付け加えられるものがあれば協力して何かをやりたい。同じ時間、同じ場所に、そこにいることに何かを見出したい。