NPO法人 ニュースタート事務局関西

「自立とは何か~自治について考える序」高橋淳敏

By , 2022年3月20日 10:00 AM

 季節は移り変わっても、関心事はいつでも他人との協働であり、個人の自立についてである。そして、なぜか引きこもり問題においては、家族も含めた当事者の関心事は自立へと偏る。たぶん、自立ができなければ協働はできないという学校や家庭教育の刷り込みによるものだと思われるが、そんなことはない協働がないところに自立はないと考えもするが、それはさておき今回は結論は置いておいても自立についてである。引きこもり問題は、子や個人の自立について考えることが多く、今までも「ひきこもり」という存在は、自立について話題提供してきたように思う。日常生活における会社への所属やお金への依存、親依存や他者依存、そもそも何にも依存しない状態なんて考えにくい人の自立とは何なのか、今の日本社会や経済における自立した生活や精神性とは何かなど、自立について考えることは引きこもり問題に限らず、年齢問わず人が生きることや生活、社会について考えることでもあった。最近は、ここでも初心に返るシリーズとして、社会問題としての引きこもりについて、何度も考察を繰り返している。「ひきこもり」と呼ばれるような人は、引きこもりが問題になる以前から居たわけだが、突如として90年代後半あたりから日本社会では「ひきこもり」が問題であるとして浮上してきた。それが現在もある「ひきこもり」の誕生である。「ひきこもり」状態はそれ以前から、日本社会でなくても人が生活する中で存在したが、「ひきこもり」はその時から社会問題となった。それから四半世紀もたったが、初めから引きこもり問題は、「ひきこもり」が問題なのではなく、「ひきこもり」が増えた社会問題であった。端折った言い方をすると、特別ではない誰かが自立(就職や就職に向けた登校など)できないことがこの問題の入り口で、個人や子が自立できない社会が明るみになった。「バブル崩壊」「失われた10年」「就職氷河期」「フリーター」「非正規雇用」「非婚」など様々な用語が生まれ、当時はそれらの特異点にいるように思わされていたが、用語は常態化し「経済成長」はなくなり、「失われた10年」は30年となり、「フリーター」がフリーなのではなく企業にとってのフリーとして持続化し、「非正規雇用者」の割合はそれが非正規とは言えないほどに増えた。当初から「ひきこもり」と名指された個人を病者として治療しようとしたり、就職させる支援が流行したが、それらの支援が個別には支援者の思い込みや努力いかんに関わらず、ほぼ偶然に上手くいくようなこと(おおよそ人生は偶然の産物であるという考え方はあっても、その開き直りは危険である)はあっても、基本的には引きこもり問題に対しては何らの成果も上げられなかったことにも依る。日本社会において、「ひきこもり」は減らず、高齢化し「8050問題」などとも新らたに出てきたかのような問題の個別化が蔓延し、「ひきこもり」も常態化した感が否めない。世界がいち早く「hikikomori」として、日本社会の特色を発見したように、私たちの社会において「ひきこもり」は特別なことではなく、文化的なものとも言えるだろう。
そこで、考えなくてはならないことが出てきた。冒頭の関心事についてだが、「ひきこもり」と言われた子の親世代、「ひきこもり」を問題化した親世代は、そもそも他人と協働していたのか。自立をしていたのか?についてである。便宜的な用語の使い方について、ひきこもり個人を指す時は「ひきこもり」と仮名表記にし、個人ではなく社会問題としての引きこもり問題について書くときは「引きこもり」と漢字混じりの表記にする。ちょうど、障がい者を仮名混じり表記にすることにも似ていて、障がい者が障害を持たされた人とする場合は「障がい者」と表記するようなことである。障害は社会から設けられるものとして「被障害者」とする方が間違いはないと考えているが、それもさておき。

 さて、小さな自治体が比較的大きな自治体と統合するのは、案外簡単にできてしまうようだ。それは、今の日本社会で小さな村や小さな町が比較的大きな市に併合されたり、あるいは町と村が統合して市になったり、そういうことが日常茶飯事に起きてきたことを見ても、それほど難しいことではないようだ。だが、その逆はどうだろうか、大きな市から小さな村や町として独立しようとするならば、そのようなことはほとんど近年は前例もないだろうし、不可能にも思える。近代において、小さな自治体が大きな自治体に吸収合併する方向はあっても、分離されて小さな自治体が誕生するようなことはなく、統合と分離というのは同じ地平で考えてはいけないことで、不可逆的な変化であるといえる。身近では、目の前の損得や利益不利益で論じられてはいた大阪府と大阪市のような話しはあったが、最終的に反対にあったのは損得はあっても、この不可逆的な変化を大阪市民は直感したからかもしれない。あるいは、その不可逆的な変化を凌駕するほどの得はなかった。ではなぜ統合はできて、分離独立はできないか。小さな町として分離独立が可能として、いかにすればそれが可能なのか。結論としては、統合や併合は政治的に上からのトップダウンで容易に効率的にもできるが、分離独立は戦争でも起こるかボトムアップの住民同士の運動でもなければできないといったところで、日本社会に限ったことでもないと考えているが、この自治体の分離独立の不可能性が個人が自立できないことの原因になると思い始めて、この文章を書き始めたが前置きが長かった。本題はさておき、また続けます。
2022年3月19日 高橋淳敏

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