「コミュニケーションという障害~前編~」高橋淳敏
コミュニケーションという障害~前編~
いつからか「コミュニケーション」はカタカナの日本語表記にされて流通した。会話や対話、嘘や比喩、身振り手振り、表情や態度、依存や信仰、言語伝達などコミュニケーションの中身である細やかな言葉もある中で、それらを総称するようにしてか「コミュニケーション」という日本語が、ある時代を境にして、どうして広がっていったのか。便利であったのか、そこになんらかの意図が含まれているのか。似たような時期に同じようにカタカナとして流通した英語はたくさんあるが、それらの言葉が日本語に置き換わるときの、妙な違和感は覚えている。それは全く新しい概念が入ってきたときの違和感に思えたが実は、それほど新しいこともなく、なぜ改めてカタカナで表さなければならないのか、英語の意味と変わっていたりするもような、単に言葉の意味が理解ができない違和感であった。だが、例えば「アイデンティティ」とか「シミュレーション」とか、それまでの日本語では表しにくい言葉がある中で、なぜ「コミュニケーション」は他に表現できそうな言葉が無数にあるのに、いやあるからか、現在のような意味として誰もが知るようになり、使うようになったのか。
私は最近になって「コミュニケーション」という言葉を、それがただ良い言葉であるかのように使われていることを疑っていた。コミュニケーションが「能力」や「障害」などとして、一個人に備わっているモノのようにして語られることが多いが、その使われ方に疑問があった。外来語として入ってはきたが、原則的にその意味を考えるならば、コミュニケーションは相手があって成立するコトで、そのどちらかに責任を押しつけるモノのような意味はない。「話の上手い人と寡黙な人のコミュニケーション」とは言っても、「寡黙な人がコミュニケーションが下手」とは言えない。なぜならば、コミュニケーションはどのようにして行われたかが意味であり内容であって、非言語的であることが劣っているワケではない。例えば、日本語ばかりしゃべる人の中に日本語が話せない人がいた時、その人は「日本語ができない人」とは言えても、コミュニケーション能力が低いだとか、その人に障害があるとは言わないように、コミュニケーションというコトは一個人が背負わされるモノではない。ある人と言語的なコミュニケーションがやりにくいとは言えても、コミュニケーションができないのは「ある人」のセイではない。コミュニケーションが「上手くいった」とは言えても、コミュニケーションが「上手い人」がいるワケではない。
ではなぜコミュニケーションが上手下手な人などと、一個人に押しつけるのか。それが問題である。コミュニケーションという言葉が必要になったワケとして素直に考えられるのは、今まではなかった「コミュニケーション」が必要になったがタメである。身も蓋もないが、一つは英語であり、もう少し言えば英語圏中心に発明されたコミュニケーションである。植民地主義的でもあり、民主主義的でもあり、自由主義的でもあり、資本主義的でもあり、個人主義的であって社交的とも言われるような文化、コミュニケーションの輸入である。江戸期に欧米列国からの差別や植民地支配の危機に瀕した日本国は、差別は甘んじて受けつつ欧米の植民地主義などを真似ることでその危機を回避するタメ、明治期に鞍替えをする。江戸期に燻っていた下級武士がクーデターを起こし国を牽引して、それまでは戦や戦争とは縁のなかった庶民を戦闘員に仕立てる教育が行われ、国家という意識がなかった民に、国民としてのアイデンティティと義務を強要した。成りあがった政治家は、それまでの不遇な分際を当時の被差別日本国と重ね合わせ脱却するために、アジアに対する差別国になるという卑劣な問題解決を謀った。例えばそれが、現在も国際的な場面で利用されている「侍」のような、民衆の思想とは対極にある国家隷属の精神性になる。元侍の植民地主義的戦略において、国民や兵隊に植民者としての自覚を扇動する一方で、植民国の市民としての権利を認めていかざるを得なく、民衆運動が広がりをみせる。差別扇動者の福沢諭吉はコミュニケーションを「人間交流」と棘を抜いて訳そうとしたが、その言葉自体はほとんど知られてもいなかっただろう。だが、このころあったコミュニケーションは、国家や権力に抗った民衆のコミュニケーションである。アナキストでもあり兵隊にもなりえた民衆のコミュニケーションを日本帝国は恐れ、さらなる力での支配を強めていく。この時期コミュニケーションは、各種権利闘争やデモクラシー、テロリズムにクーデター、米騒動にコミュニズム、地域や家族も含め、国家の言うことを聞かない抵抗であった。その外来語はまだ手元には届いてなかったが現実、コミュニケーションこそが国家に対する障害でありえた。
だが、植民者でもあり兵隊にもされた民衆のコミュニケーションは戦争には抵抗しきれなかった。差別国として産声をあげた国家は、地域や家族を巻き込み国と同化し、市民と共謀することになる。そして、民衆のコミュニケーションは冬の時代を迎える。ところで私たちは今でも「親の言うことを聞く」とか、「先生の言うことを聞く」、ある時はお上や神様の言うことを聞くなんて言い方をする。これを例えば字義通り英語で翻訳すると、誰かの言うことをとりもなおさず聞くのはコミュニケーションの基本のようであり、誰かの言うことを聞くだけでは何ら問題もないようには思える。だが、この親や先生の「言うことを聞く」という日本語は、親や先生の思想や良識など「意見に従う」意味として、誰もが一つの慣用句のように理解している。そのような理解がなければ、宿題をしなかったり授業中に席を立ったりする行為は、即座にコミュニケーション障害などと多くの人から名指される事態へと発展しかねない。親や先生の言うことを聞いた後に、聞された側が返答をするといった少しの余地もこの言葉に含まれてはいない。言うことに従えない場合は、学校のガラスを割るか、学校に行かないくらいの選択肢しかない。それが家であれば家出をするか、引きこもるしかない。「言うことを聞く」という双方的に成立するはずの字義通りの言葉が、なぜか一方的なニュアンスをもって語られ続けている。「言うことを聞きなさい!」などと言って怒っているような不可解さは、大人になっても会社などでも日々遭遇するだろう。学校や家庭における「人間交流」なるコミュニケーションは、今も昔も一貫してこの一方通行の理解である。「人の言うことを聞く」ことが本当はどういうことか、民衆のコミュニケーションがなぜ国家に対抗しうるコトとなるのか、戦後においてさらにも、そのような教育は日本でできないでいる。
2021年5月21日 高橋淳敏