NPO法人 ニュースタート事務局関西

「発達障害のほんとうのところ」高橋淳敏

By , 2021年2月19日 11:24 AM

「女性がたくさん入っている会議は時間がかかる」などの発言をして、オリンピック組織委員の会長が辞めた。そもそもこの発言をした会長は、オリンピックはやるかやらないかではなくてどのようなことがあっても「やる」のであって、オリンピックをどうしたら「やれるか」の決断を勝手にしている。この騒動の発端はむしろ理事会でオリンピックができるかできないかをちゃんと審議しなかったことにあったと診れる。昨年オリンピックの延期の理由を元首相が「オリンピックを完全な形でやるため」と説明したが、そのお仲間の舌の根も乾かないうちに、なぜ去年は延期して今年はやるのかという理由についても十分に話し合われていない中、どんな形でも「やる」のだという号令の下に、コロナ禍の社会を全く克服できておらず、開催に対する多くの疑問が噴出していても、今回のオリンピック開催を強行している。トップが行政人事となった顛末を察するのは容易い。オリンピックを利用して、コロナ禍の社会を乗り切ろうとしているのだ。本末転倒である。そのような会議に時間をかけようとする「女性」の方がまともなのであって、「女性」の存在を排除しようとする組織委員や会議の方に問題があることは、だれが見ても明らかであろう。余談だが、国家が宣戦布告するときの意思決定ってこんなもんなのじゃないかと考える。話し合いはされないままに、戦争はするかしないかではなく「やる」のだ、その前提でどのようにすれば被害が最小限になるのか、それを話し合うのが会議であると言っているのだ。どうして止めることができようか。

コロナ禍といわれる社会が到来して1年、多くの人が自由を失い、家に閉じこもり、人と会う機会は減り、マスクで笑顔も見られない。ひきこもる人の気持ちも少しは理解できるようになったかもしれない。「ひきこもり」という言葉が生まれた20年前「ひきこもり」は病気だと考えられることが多かった。重症ではなく「心のかぜ」と言われることもあって、安静にしていれば、治っていくだろうといった楽観的なところもあった。それでも、周りが待っていてどうにもならなくなれば、本人の努力が足りないとか、怠け、本人のやる気の問題だとニートと名指されるようなになった。それでどうにもならなければ今度は発達障害とも言われるようになっていく。「病気」と「障害」の違いを簡潔にすれば、「病気」は治るもので、「障害」は基本的には治らないものである。「病気」は医療や療養で解決に向かうが、「障害」は生活支援や福祉などに依る。「障害」を治せる医療もなければ薬もない。では、ひきこもる行為は一生続けていくことなのだろうか。

「病気」「怠け(ニート)」「障害」などとされてきて、引きこもり問題が解決せず、これらに共通することは何かといえば、引きこもり問題のすべてを個人の問題としているところにある。ここでは再三いろんな形で主張しているが、そもそも引きこもり問題はひきこもりの問題として始まったのでもないのである。それまでは問題とされなかった「ひきこもり」が問題とされるようになったのは、経済低迷などを理由に多くの若者が社会に参入できなくなった企業化社会の引きこもり問題としてあった。上の企業化行政に例えると、引きこもり問題は若者が会議に参加すらできない問題としてあって、その会議には今までやってきた経済成長を「やる」という前提が、バブル崩壊低迷にも関わらずあったのだ。「金の卵」や「新人類」とも言われ、厄介で我儘ながらも労働力として重宝された若者が、「病気」「ニート」「障害」などとして、厄介払いできるようになる。この時期を境に、個人と企業化社会とのコミュニケーションは180度転換、断絶された。社会に出たこともない若者にはじめから、即戦力、能力、努力、やる気などを待遇が悪く一方的なコミュニケーションの中で強いるようになっている。これは企業化社会が、そこに参入しようとする若者に設けた「障害」である。「障害」を与えられた若者は早くからいい成績を取ったり、資格を取ったり、コミュニケーションスキルを磨いたり、自分を良く見せようとアピールすることに追い立てられる。

さて、発達障害は、生まれつきの脳機能の発達の偏りによる障害云々と言われているが、この医学的根拠というのは実に乏しく、いわゆる状況証拠でしかない。コミュニケーションがしにくい、社会生活が困難である、得手不得手に偏りがあるなどの発達障害と言われる人の状況は間違ってはいない。それは障害としてある。だがその原因は個人の生まれつきの脳機能の問題ではない。医療は個人を診るので、その原因を個人に帰しているが、私たちは引きこもり問題を社会問題としても診る力があるので、そうは考えない。個人と社会の間に「障壁」があるというような言い方でお茶を濁してきたが、そうでもないようで、「障害」を持てるとすればそれは社会や会議の側でしかない。「障害」は、個人が「持つ」ものではない。そして「障害」を設けられた個人が、その生活の中で陥りがちなのは、心理的精神的な問題は基より、不眠や神経症や感覚過敏など様々な自律神経系の不調による症状である。引きこもり問題において、今の社会や環境を変えずして個人の状態や症状を変えようとしても無理なことは理解したいところである。

2021年2月19日 高橋淳敏

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