NPO法人 ニュースタート事務局関西

「友人」高橋淳敏

By , 2020年11月21日 8:40 AM

 私よりも年配ではあるのですが、井上康という友人がいまして、最近彼が引越して、その部屋に酒を持って遊びに行ったことがあったのですが、そのときに長い間話し込みまして、とてもいい時間であったわけなんですが、その中で彼が大切にしている友人との話しの中で、他にもたくさん曲を聞かせてもらったのですが、友部正人という歌手を教えてもらったのです。名前は知ってはいたのですが、気になって彼の部屋と別れた後にネットなんかで、友部正人の他の曲を聴いていましたら、その歌詞がなんとも「ひきこもり」のことを歌っているというか、友部正人という人が「ひきこもり」なのか、知らずにいたのはもったいなかったと思いまして、ここで大いに紹介します。

 

ひとり部屋にいて(1991年発表、詩 友部正人)

ひとり部屋に居て 聞くのは遠くのレールの響き

僕のこころのいちばんたいらなところで いつまでも響いてやまぬ/

なんだ君の影だったのか 床の上に落ちた黒いもの

君がスカートを投げ捨てたのかと思ったよ/

窓を開ければ 夕陽に向かって熱い小便をする子どもたち

たまらなくまた酒が欲しくなり町へ出る/

ああ今日も陽が沈む また取り残されてしまったね

地平線はしっぽを持った哺乳類さ/

ああ あそこだな いつかあそこへ帰っていくんだな

君のからだの中の地平線 この夕暮れも君の仕業さ/

人ごみの中 遠くをにらみつける淋しいこころ

よいしょよいしょとかけ声の聞こえる

 

「ひきこもり」のことを歌った、歌っているような歌はあまたあっても、私自身が訪問などで会ったことのない人に初めて会うときに、相手がその詩のような気持ちになる時があるんじゃないかと想うような曲として、優れているように思います。しかも「ひきこもり」なんて名詞が作られる前のことだったことに驚いた。

 

こわれてしまった一日(1993年発表 詩 友部正人)

あなたのことをこう呼びましょう 遠くからでも見える人

夜の夜中にやってきて そうして笑って僕を見てる/

僕は夜明けを待つ患者です 胸には名札をつけています

ここは窓のない部屋なのに あなたはどこからやって来たの/

ひっそりとした夜の町は エンジンを切ったオートバイ

それとも誰かがふたをあけて 弾くのを待っているピアノ/

御徒町のプラットホームに 一番電車が来る前に

水飲み場という月夜のピアノで ハラハラ夜明けを奏でてよ/

どこかの国が打ち上げた グランドピアノの人工衛星

地球の裏側のジャングルで ふたを開けて笑うオルガン/

馬小屋でキリストが生まれた夜に 三人の男がやってきた

馬小屋にあったというピアノで 新しい夜明けを奏でるために/

時間の止まった世界の中を あなたはカラコロ歩きまわる

夜明けを一時間だけ行きすぎて 夜のままで止まった世界を/

世界中の時計を一時間だけ戻し あなたはベットにもぐりこむ

おやすみ こわれてしまった一日と 遠くからでも見える人

 

遠くから見える人であったり、オートバイであったり、ピアノであったり、人工衛星であったり、オルガンであるようなあなた(他者)として、私はありたいと思う。最後に。

 

どうして旅に出なかったんだ(1976年発表 詩 友部正人)

どうして旅に出なかったんだ、坊や あんなにいきたがっていたじゃないか

どうして旅に出なかったんだ、坊や うまく話せると思ったのかい/

おまえは旅に出るよって行って出なかった 俺は昨日旅から帰ってきた奴に会ったんだ

あいつはおまえとおんなじだったよ ただ違うのはあいつはまた昨日旅に出たけど

おまえは行かなかったのさ/

もう5年も前おまえが行きたいと思っていた場所へ きのうあいつは出かけて行ったよ

おまえときたら昼の日中から街の銭湯で 何度も何度も自分の身体ばかり洗っていたよ/

あいつは俺に言っていたよ さよなら、またいつか会えるさって

俺はおまえの顔を見るたびに もうこいつには会えないんじゃないかと思うのさ/

おまえがちっとも旅に出ないもので 俺はもうあきあきしちゃったんだよ

おまえがあんなに言っていたことも 今の俺にはみんな嘘のように聞こえるんだよ/

おまえが何にも言わないものだから この町もとうとう日が暮れちゃったよ

俺は明日旅に出るよ あいつとはきっとどこかで会えるような気がするよ

 

私の生まれた年にこのような歌があった。おまえでもあいつでも俺でもいい。このようなひきこもり性というのかは、救われるとか救われないとか正しいとか間違っているとかではなく。やはり、ちゃんとそこここに在るのであって、なかったことにしてはいけない。そういえば、井上康は障害者の自立生活を通して、電動車いすを自在に動かし色んなところを歩きまわり、障害者はその生が守られる権利だけではなく、自ら危険を冒す権利もあるのだということを、いつも教えてくれるのだった。

                       2020年11月21日  高橋淳敏

One Response to “「友人」高橋淳敏”

  1. funabaka22 より:

    ありがとうございます。3曲とも何故か懐かしいメロディーが浮かんできます。ゆったりとしてやさしく、しっかりとした。
    ・遠くからでも見える人になるには、見える以外のものになれば。
    ・乳色が混ざった暮れる地平線。それが、領域なのだと理解する。
    ・不動作はいつまでも対話を持ち続ける理由ともなる
    そして、これらは、次に何でもできる力がある。  全くの感想です。

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