NPO法人 ニュースタート事務局関西

「子どもを社会で育てるには」髙橋淳敏

By , 2019年11月16日 6:00 PM

 第二次世界大戦敗戦後、日本は大した反省もできずに朝鮮戦争の特需などを利用し経済成長期に突入し、それまで地方にいた人が東京や大阪などの都心部に移住した。団塊の世代が成人すると、それまでは地方で月に1万円か2万円ほどの出費でできていたような生活が、月に10万円20万円と費用がかかることとなり、このような大規模な引っ越しや家族の分散に伴う都市部での生活は、更なる経済成長に拍車をかけた。地方は過疎化し、都市部やその近郊(郊外)に人口が集中した。地方も含め地域性は失われ、教育は義務教育などの学校制度と各家庭(主に核家族の親たち)に押し付けられることとなった。都市部で生きていくことは出費がかさむこともあり、子どもたちへ教育は主に企業に雇用されるためのものとなり、それが受験勉強のような形式を作りこれも産業化した。大学へ進学し、安定した企業に雇用されるための教育システムが、学校や各家庭の教育の礎となった。

 

 一方、都市部への大移動によって完成したはずの経済成長は、終了しても地価のバブルなどを引き起こし止めようがなかったが、一旦自壊したのが1990年ごろであった。今思えば、阪神淡路大震災、地下鉄サリン事件、インターネットの普及がはじまった1995年ごろがターニングポイントで、後先考えない大量生産大量消費で地球環境を破壊し、バブル崩壊などの人災も引き起こした都市部での人の生活を見直せたかもしれなかった。だが、失われた10年20年といわれ、実体経済は減速し、後に新自由主義と言われる一部資本家にお金が偏在していくグローバル金融経済へと加速していく。人の生活はコストとして計算されることになり、労働は商品になった。それら資本主義社会の行き着いた仕組みに乗れない個人を追いやったことによる弊害で、就職氷河期やフリーター、勝ち組負け組、非正規雇用や不登校、引きこもりやニートなどが社会問題化し、若者が若者として社会に参入していくことが阻まれ、当然の結果として少子化になる。団塊の世代は団塊ジュニアを産み出したが、団塊ジュニアは子どもを産み出せなかった。

 

 かつては200万人近くあった出生数は、推計よりも2年早く90万人を割ったとのことだ。ここ40年下がり続けた出生数は、今後はより加速度的に減っていくことだろう。目の前から子どもという存在が消えてしまう事態はもう訪れている。自らの失策を「産む機械」などといい、女性たちに責任を押し付けてきた時代には別れを告げなくてはならない。子供の数を増やすのではなく、子どもという存在を社会全体で大事にしていかなくてはならない。大人になるための子ども、将来子供を産んでくれるようになるだろう存在としてではなく、子どもという存在自体を社会全体で大事にしていかなくてはならない。不登校だ虐待だなどといって親を責めている場合ではない。今の学校教育と親だけでは子どもという存在を守っていくことはできない。学校教育は、大学を最高学府とする企業に雇われるためだけの受験教育から脱していかなくてはならない。親としか関わりのない子どもに対して、その親に「学校へ行け」なんて言わせるようなことを社会が親にさせてはいけない。学校は子どもが頑張らなくても行きたい場所にしなくてはいけない。子どもを親の所有物のようにさせてはいけないし、親や学校だけに子どもを押し付けてはいけない。

2019,11,15 髙橋淳敏

One Response to “「子どもを社会で育てるには」髙橋淳敏”

  1. Funabaka より:

     今更振り返り思うことの意味は正直見い出せないが、確かに団塊の世代の社会では、若者が若者として淡くとも多様性をもったまま社会に参入してゆくことが普段に認められていた。少なくとも阻まれることは常ではなかった時代であった。
     都合の良い論調で自らを恥じるところではあるが、いまここでは、これからを考え、人々の多様性の回復に観点を移すことは卑怯なのであろうか、外国人受け入れなどという単純な観点ではなく、本稿で指摘されたように人の生活をコストとして計算し、労働を商品として扱うそしてそのことにより生産性を追求する社会の過程において、多様性を排する偏見と差別にこそ問題があったのではないかという問いかけである。
     現代の不登校と称する子供への学習支援についても、活動としての表面の実効評価にあせり、学習たるものの内容ではなく、引き出しの方法を目的として活動することに行き過ぎているような気がする。既に、東京の例では企業論理、共創の論理たるものも導入され、対象としての引き出し自体がまず第一の目的となっているようだ。本当に、子供達が自由に、自然に学校に親しむ気持ちを回復してもらうには、一人ひとりの学校との関係性を確かめる必要があるものと考える。さすれば、多様性の内に地域がこれを担うことが適当なのだろうと思うが。

コメントをどうぞ
(※個人情報はこちらに書き込まないで下さい。ご連絡が必要な場合は「お問い合わせ」ページをご覧下さい)

Panorama Theme by Themocracy | Login