NPO法人 ニュースタート事務局関西

「止まってるように見える」髙橋久美子

By , 2019年11月15日 9:57 AM

 ニュースタートを通して出会う人、子どもの関係で出会う人には、私が動いていった先で知りあうので、私がどんな人間かある程度分かってもらいやすく自信も持ってその場にいられる。でも、相方の知人に初めて出会う時は自分はからっぽで場違いではないかと感じてしまう時がある。彼らが話す話題は私には初めて聞く事も多くわからなかったり、それでも自分を大きく見せようとしてしまう自分が早々に嫌になり気持ちが下をむいてしまう。それはなぜか。彼らの間ではどこどこで働いている○○。誰々の母親、ということは関係なく、一人の個人として何を考え、何を大切にし、その為に何をしているのかということが求められる気がするからだ。今まで一応生きてきた自分にはあまりに何も考えが無い事に気付く。どうしてなのか。学校では何も考えずに教室の中に座って配られた物をこなしていれば毎日が過ぎていった。文句も何も言わずテストの点数を取っていた私は、一つ一つ疑問に感じて先生にぶつかったりこんなことやる必要あるのかと学校に反抗していた生徒より成績は良かった。先生が望む回答を書き、望む行動を取っているうちに、周りと同じような能力で同じような考えをもった、上からの命令に従う人間に、まるでベルトコンベアーで流れてくる版を押されたロボットのようになっていた。少なくともそこに生きにくさを感じて今ここに辿り着いてはいる。しかし、一人一人が個人として、肩書きも関係なく、問題意識を持って考え行動している人たちの中に入った時、自分には何もないと感じてしまう。

 37年間生きてきて、○○で働いているという肩書きもなくなり、一人の人としてどう生きていくか考え始めた。小さい頃から好きでずっと手放さずに温めてきた事に、今まで人と出会い経験した事とが合わさり、今やっとやりたいことが見えてきたところ。そのために何をしていけばいいか考えて日々行動できていればいいのだが、具体的に動けるのは少しずつで、止まっているようにしか見えない。でも毎日なんとか生きている。でもこのなんとか生きていることを良しとしたい。止まっているように見えるけど頭の隅には小さな炎がふつふつとしていて、たまにアイデアにぶつかったり人からの言葉に衝撃を受けて動く時もある。何をしていいかわからなくなったら、やりたい事に直接関係ないように思えても、自分が会いたいなと思う人に会いに行ったり、初めての人と出会える場所に行く。そうするとまたアイデアにぶつかると思う。「誰々の○○」ではなく一人の人として立っていられるようになりたい。           

2019、11,14髙橋久美子

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