NPO法人 ニュースタート事務局関西

「沖縄基地移設問題にみる当事者意識」髙橋淳敏

By , 2019年8月16日 12:00 PM

 「ひきこもり」と名指された人が、その父親に殺された。それでもなお、引きこもり問題は「ひきこもり」と名指された個人の問題として、あるいは特異な家庭の事情として放置されるだろう。それは繰り返されたことだ。40代以上の「ひきこもり」勢力が調査され、続いて事件として報道され、「ひきこもり」と名指される人は拡大された。だが、引きこもり問題は20年も前から、その本質は変わっていない。今に至る問題としても、解決していく中で他の社会問題と協力していける可能性がある。殺されたのは殺された側に問題があると、暴力はする側とされる側の問題であるのだと、度々表に出てきては大勢が見聞き消費し、仕様がないと消極的に賛同し続ける。日本では殺人事件の多くは家庭内で起き、自殺も多いのは知られているが、暴力も多くは家庭内で起き、出口もなく自分や家族を抑圧し続けている人たちがたくさんあるのではないか。閉ざされ隠され加害被害が入り交じり、外では何かと平静を保とうとして、さらに関係を閉ざし、個人主義ライクな生活はいつか破綻する。

 

 私たちの家庭ではそんなことは起きないと思っているような人に何を言っても無駄なのかもしれないが、殺されるには殺される側に問題があると結論したり、暴力を受けた側や弱っている側に問題がある所から考え始めたりする支援者的思想は、どうあったって間違えである。特に立場や力が強いとされる側が暴力をふるったとして、暴力を振るわれた側に問題があることから考え始めても、そこには一縷の望みもない。大した被害ではない、時間が解決する、ある程度の犠牲は仕方がない、「ひきこもり」に問題があるというのは、害はあっても益はない。抑圧された生活を強いられ、外に相談しても自らの問題として指摘されては、何度この社会に問題として現れても間違えが正しく認識されることはない。間違った生活に呆れ、飽きさせられ、あきらめる。生きながらえる生活。権力や慣習、媒介するお金、それらによって閉ざされた生活を疑ってみる。不登校、いじめられる側にも問題がある、家庭内暴力、虐待、国家や法律、警察による暴力、隔離政策、貧困・・・間違えを正そうとするのではなく、間違えたことを率直に話し合える対等な関係を地道に作っていくしかない。沖縄の基地移設問題は、今最も分かりやすい問題であり、引きこもり問題や他の問題を考えるうえでも重要であろう。

 

 本土(ここでは沖縄地域を含まない日本国領土とする)のアメリカ軍基地反対運動で1950年以降に移設されるなどもあって、日本にあるアメリカ軍基地の7割以上が国土の0.6%の面積しかない沖縄地域に押し付けられている。沖縄では基地をめぐる度重なる事件事故があり、日本の法律でも守られない日米地位協定により現在でも地方自治がままならない状況にある。騒音や環境破壊なども加え、日常的にさまざまな事が噴出している最中、アメリカ海兵隊の普天間基地は沖縄県辺野古に移設されようとしている。アメリカ軍基地に占有されていない本土の人たちは想像しなければならないが、法外の武力によって運営されている基地が地域にあるということは、自分たちのことを自分たちでは決めることができないことである。基地外で事件事故があっても、独自に調査することもできなければ、基地と基地外の境界線もなく、そこは自分たちの土地とはいえない。

 

 とはいえ現代の日本の本土を巡る状況を見ても、自治体が弱まり国や行政下の業者に管理などを丸投げしていて、自治のことなど大して考えもしない本土の生活を大半の人が過ごしているならば、占領されたままならない沖縄の自治は想像しづらい。都市部などは地域のことを自分たちで決めた経験がない人も多いだろう。しかし、沖縄戦で本土の捨て石にされてもなお基地が再び沖縄にだけ集中したのは全くおかしな事である。基地について考えないでいいような本土での生活は、沖縄の長年の犠牲や沖縄に対する差別によって成り立っている。近年の沖縄はこのように基地を押し付けられてきたこともあって、自治を回復しようと基地の県外移設を、可能な限りの民主的な手続きでもって、基地を本土に返そうと尽くしてきたのだった。当然本土の方が基地や自治についての考えは遅れているのだった。だが、沖縄民意がここまでにきて、本土はまだ見て見ぬふりをし続けられるのかという問題である。沖縄だけで国を動かすことはできない。沖縄が問題なのではない。本土でアメリカ海兵隊基地移設が問題にならないことが問題なのだ。ところで、国民の約8割が日米安全保障条約に賛同しているとのことだが、そうであったとしたらなおさら、アメリカ軍基地の移設問題の当事者とは誰なのか。アメリカ軍に守ってもらうといいながら、基地を沖縄に押し付け続けるのか。政府が勝手にやっていることでもなければ、沖縄への補助金で解決する話しでもない。沖縄はこの問題を本土にしっかりと送ってくれたのである。 

 

 さてここにきて私たちは大きな間違いを認めなくてはいけない。今までアメリカの基地自体がいらないともいってきて、結局は沖縄に基地を押し付けてきた過去がある。どんなに沖縄を良くいったとしても、何も言わなかったにしても、この事実は消極的にも沖縄を差別し、今でも差別し続けていることになろう。できるだけ基地問題に関わらず、観光するくらいで差別をしていないと思いたい気持ちは分からなくもないが、それでは基地問題の当事者ではない。そのような過去を省みず近隣国を敵とみなし、仕方がないと日米安全保障条約に賛同するのは間違えである。引きこもり問題は「ひきこもり」自体が悪いものとして、結局は「ひきこもり」といわれる人に押し付けてきた過去がある。どんなに「ひきこもり」を良くいったとしても、何も言わなかったにしても、それは20年に及ぶ「ひきこもり」差別に加担してきたことになろう。「ひきこもり」は分断されており、沖縄のようにしっかりと送り届けることはできていないかもしれないが、引きこもり問題の当事者はあなたである。自治のできない国任せ企業任せの今の社会が、「ひきこもり」を名指し「ひきこもり」をひきこもりたらしめている。それが引きこもり問題の本質である。自分たちがやりたいようにしていかなくてはならないのだ。それで、沖縄の基地移設問題は私たちの生活に何を問いかけているのか。引きこもり問題は私たちの生活に何を問いかけているのか。

 

 辺野古の海に土砂が投げ入れられる映像はショッキングなものであった。ああいうのを見せつけて、取り返しのつかないようなことをして、引き返せないと思わさせるのだ。傷は負ったが、しかし今からだからこそ覆せるはずである。このまま辺野古への移設が完了してしまえば、それは沖縄を殺したことにはならないか。私たちは沖縄をまた見殺しにすることにはならないか。本土と沖縄の次世代の関係を修復不可能なものにするのではないか。

2019年8月16日 髙橋淳敏

One Response to “「沖縄基地移設問題にみる当事者意識」髙橋淳敏”

  1. 何とか太郎 より:

    地代で暮らしている人も多いので何とも‥
    青い海を潰して基地を作るのは反対ですが。

    ところで、うちはとうとう親父が亡くなりました。
    8050問題のまさに、その通りの出来事です。
    靭公園の例会に来ていた多くの皆さんも、そろそろ年代的に考えないといけない事ですね。

    引きこもりを脱してどうなったかの情報がメディア、ネットだけでは全く入ってこないですね。
    「社会的引きこもり」にまで回復したとして、その後が非常に問題だと思います。
    卒業して結局、引きこもり関係NPOのスタッフになる。
    そんな話も聞きます。
    引きこもりで飯を喰う‥なんだか釈然としない話です。

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