「コモンズ大学について」髙橋淳敏
ニュースタート事務局関西の活動や集まりは様々にありますが、通信のスケジュールにも載せていなく、外部的というか、そもそもはニュースタート事務局関西が立ち上げた日本スローワーク協会という自分たちの仕事を作ろうとした法人の活動でもあるのですが、いまだに独立的にもやっている集まりがあるので、カフェコモンズという場所で毎週金曜日の夜に開かれている「コモンズ大学」という集まりについて少しここで紹介します。
コモンズ大学を始めるときは日本スローワーク協会が運営するカフェコモンズの経営は危機的な状況になっていた時でした。カフェコモンズは2005年からカフェやレストランの営業をしていました。カフェコモンズを借りている場所は駅前のビル物件で、家賃と維持費などを含めると月々に20万円近い出費があり、前店主であり最後まで奮闘していた宮路剛がカフェコモンズをやめることになって、店も開けられない状況が数か月続くことになりました。2005年にカフェコモンズが開業してからは、生活者でもある働く人が働きやすく、それと同時に地域経済を再生させようと、地域通貨などを構想する中で大きな理想を描き高槻市富田地区でカフェ運営をしていました。私は引きこもっていた人が働らいたり生活できたりする地域を、カフェコモンズを拠点にして作りたいと考えていました。今では発達障害などとして個人に押しつけてしまいがちですが、金儲けのことしか考えない成長の止まった企業の末端で働くことは、引きこもっていた人だけに限らず多くの若者にとっては障壁がありました。不登校、就職氷河期、フリーター、ニート、非正規雇用、ワーキングプアなどの言葉が、自己責任という考えとともにいっせいに泳ぎだし、本当に自立したい若者を、教育や企業や医療などがもてあまし、その人格を社会がもてあそんでいました。
グローバルな金融経済から身を守りながらも、自分たちで仕事を作り、生活を作り、地域経済を変えていくことは、特に都市ではすぐに実現しにくくとも、早くにでも取りかからなくてはならない課題でありました。その大きな一歩としてカフェコモンズを開業することになったのですが、家賃や維持費、働いている人の賃金の捻出は活動理念だけではもたず、中心になって働いた人の心身は消耗していくことになりました。ある程度は予想もしていたところで、踏ん張りもしましたが、リーマンショックなどを経ても、資本主義は危機的状況には陥らず持ち直し、今の体制を新自由主義的に強化していくのでした。思ったよりも抵抗する人や仲間が増えてはいかなかったのです。そこで、近所のグローバルチェーン店と変わらぬような、孤立した生活を犠牲にする働き方しかできないのならば、何のために私たちはカフェコモンズをやるのかが分からなっていました。私たちが思い描いていたものとは違ってきていて、自分たちがやりたかったことは何なのかというところで、開業以来カフェコモンズを支えていた宮地(当事同法人理事長)は生産者としてあろうと農業を志すことになりました。私も引きこもっていた人が主だって働く場や居場所としてのカフェコモンズを考えていましたが、アルバイト・パート的であったり、一過性にしかその場が実現されずにいて、もどかしい気持ちを抱いていました。残された人たちは¹分裂しながらもカフェコモンズをどうするかを考えました。そこで「コモンズ大学」は、このカフェコモンズをどうするのかがテーマとしてあり、毎週金曜日に²ストローべイルのベンチにただ座り話しをするということから始まりました。私はカフェコモンズを閉めるとして、何をするかということを今までのことを反省もしながらビールを飲み、集まる人達の中で話し合っていました。
京都や兵庫あたりから何度もコモンズ大学に訪れる人はありますが、それ以遠になると月1回でも通うのは難しいでしょう。電車賃や労力とを天秤にかけるような交換価値はコモンズ大学にはありません。私と一緒にコモンズ大学をやり始めた人が今年になって職をえて、大阪を離れたましたが、そのような時に「引きこもりは難しい」と彼は言いました。それがどういう意味なのか真意を尋ねませんでしたが、15年くらいの付き合いで、その間にずっと私が引きこもりの問題に取り組んでいることを知っている彼からの言葉は重いものでありました。引きこもっていたが出てきて近くで住みだした人を「コモンズ大学」に誘いかけますが、なかなかずっと来てはくれないのでした。一度くらいは身を寄せてくれても、面白がってくれる人が少ないというか。
引きこもっている状態から出ては来られるようになっても、働いていないことや学校に行っていないのは悪いことだとの社会規範は、なかなかに乗り越えられるものではありません。働いていないことや学校に行っていないことは悪いことで、やっていて当然だとの考えで疑うこともなく年老いていく人が世間には多い。それは、乗り越えられるべきことなのか、それとも当然のこととして従わなくてはならないことなのかは分かりません。でも、コモンズ大学に来る人は働いてもいなく、学校にも行っていない人があります。働きもするが、学校に行きもするが、それらが自分の価値を決めているとの考えはなく、仕方なくやっている人もあります。³働く暇もないという人もあります。それで、自前で読書会や勉強会をする人もあれば、働くことや生活していくことを企業に雇われずに模索し生活する人もあります。だが、働いていないことや学校に行っていないことは悪いことだとの世間との溝は思いのほか深く埋まってもいきません。数字だけ見ると今の20歳代の大学進学率や就職率は良くなっていて、「なんやかんやと言っても結局は企業に飼われていくか、福祉にでも頼らなければ生きていけないでしょ?」と聞かされて悲しい思いをすることになるのでした。
引きこもった人は働くことや学校に行くことといった社会規範にただ従うのではなく、乗り越えるべきこととしての運命のようなものを背負わされたと考えられるかもしれません。それは、働かないとか学校に行かないことになるかどうかは分かりませんが、当たり前のことではないとして「なぜ」との問いに答えられなくてはならないでしょう。その答えが、働かないことや学校に行かないことになる場合もあるでしょう。ただ、その問いは引きこもっていては考えることはできません。コモンズ大学に理念があるとすれば、⁴思考は一人でできるものではないです。だけど、その楽しみは分かってはいても、目の前の他者に対してはなかなか素直にはなれません。ややもすれば、働きなさいとか学校に行きなさいとかで片づけられてしまうかもしれないからです。絶望的に。お互いに人はなかなかに変わるものではないでしょう。でも、目の前にある他者との関係は変えることはできるはずです。思うよりも多くのことに異議を申し立てすることはできるし、その分協力したり仲良くすることもできるはずです。私がコモンズ大学やニュースタート事務局関西の活動を通して学んでいることは、目の前の他者との関係性が変わっていくことの他ではありません。
2018,6,14 髙橋淳敏
¹日本スローワーク協会は他にも精神病院内の喫茶店や売店、リサイクルショップや何でも屋さんなど様々な事業を行っている。その後、カフェコモンズは就労継続支援事業として、精神障害者とともに働く場として、ランチやカフェなど昼営業を再開する。夜は各種集まりを切り盛りしたり、場所貸しなどをしている。
²藁を使った土のベンチ。他にもカフェコモンズには石窯などがあり、セルフビルドした。
³ コモンズ大学に参加した人の名言である。
⁴これも参加者の名言である