「引きこもりの歴史」髙橋淳敏
「引きこもり」という言葉が、世間に認知されるようになって20年くらい経ち、私たちの活動も今年で20年目になる。引きこもりの歴史というと、登校拒否に始まり、不登校に名称が改名され、引きこもりやフリーターが大きく社会問題として取りざたされ、世紀が変わりニートと呼ばれ、「ひきこもり」とひらがな表記にされたり、発達障害とも言われ、今では高齢化や生活困窮者まで含まれるような、この20年を言うのかもしれない。このような呼称を追うだけでも、引きこもり問題が「教育」、「福祉」、「医療」、「労働」、「経済」、「家族」など日本社会の主要なテーマに関連していることが分かる。それらは未だに現在進行の問題でもあり、少しずつはここでも言及しているが、今回は「引きこもり」という言葉が出てきた以前のことも省みながら、もう少し問題になった流れを明るみにしたい。最近、中学生に対して話す機会があって、「引きこもり」を理解してもらうために、今だけを切るのではなく、問題となった経緯を示すのが大切だと感じたことにもある。もっと昔まで遡って、モダニズム(近代化)や鎖国するような国民性も「引きこもり」に関係していると思うこともあるが、それら文化的な背景は入れない。「引きこもり」は、その人が明るみに出れば、「引きこもり」とも呼べなくなり、引きこもっている時は当人が自覚することもできない特異な名詞であると考えている。当人は不在であることに、この言葉の意味があると考えるところだ。
「引きこもり」がまだ「閉じこもり」とか「引き籠り」と言われて、定義もなかった時期、私たちは「大学生の不登校」という問題について考え、相談をはじめた。すぐに「引きこもり」という言葉が定着したが、当法人の前代表の西嶋彰や関東の二神能基にとっては、大学生が学校に行けないことが問題だったのではなく、「大学生の不登校」が問題になることが問題だった。彼らが学生であった時代まで遡ると、大学生が授業を受けないことは問題にはならなかった。1960年代の大学の進学率はわずか10%くらいである。その時代に大学へ進学する人は言わばエリートで、地方から旧帝大に進学することになれば、村をあげて送り出したなんてこともあったと聞く。彼らのうちのどのくらいかは分からないが、自分や親のためだけに大学へ行く人は少なかったと想像する。大学へ進学するのは、戦後の日本の社会をよくするためであり、故郷にいる親族や知人がよりよい暮らしができるようにするためであった。今のように自分さえ良ければいいとの思いもあっただろうが、それは格好の良いものではなかった。勉強をするのも、広い世界を見通すのも、人や社会に役立つためとの考えからだったろう。社会を良くしてほしいと周囲からの期待もされた学生だったので、大学の授業を受けなくても、自分たちで議論をし、学生運動に熱心になっても、教授たちは学生に理解を示し、そういった学生を支持する市民も多かったと聞く。一人であることはあっても孤立はしなかっただろうと想像する。だが、彼らのその多くは志し半ばで個々の欲を実現させていくところに経済成長があることを答えとし、売り手市場の中で企業に買われ雇用されていった。物欲や金儲けも大事だったろうが、のちに「人間関係の希薄」さや「生きがい」なんかが、マイホームやマイカーを得た核家族の中で解消されない問題として叫ばれていたことを、当時子どもだった私は鬱積した大人たち一般の感情として今でも覚えている。
ひと世代が過ぎ「引きこもり」が問題になった20世紀末は、大学の意義が大きく変わっていた。進学率は30%以上になり、地方から都市へ出てきたサラリーマン家族の子供たちが多く進学するようになる。私が学生であったのはそのころである。受験勉強が一般的になり激化する。大学へ進学する理由も、できるだけ大きな企業に就職するためであり、自分や親の経済生活の安定のためであり、それこそが経済成長する社会のためであると思い、親世代の欲望が学校教育にも詰め込み教育などと言われ色濃く反映されることになる。閉じられた中で若者は、自分にはどんな職種がいいのかと、陳列棚にある職業選択に悩み、自分や親のために働く理由も見つからず「自分探し」や「モラトリアム(執行猶予期間)」などの言葉が流行った。大学に行けなくなった彼・彼女らは支持もされず、ひとりぼっちであった。社会に出ることは企業に就職することであり、働くことに希望はなかった。さらには、物欲や人口もピークが見えてきて、買い手市場になった企業から若者は必要とされなくなり、「就職氷河期」や「フリーター」などの言葉が出てくる。そのような時代背景において「大学生の不登校」や「引きこもり」は社会問題であったはずなのだが、個人主義的にも関わらず関係の希薄さが放置された社会では、引きこもる原因は個人のコミュニケーション能力など自己責任の問題として収束していった。私たちはそのような流れに抗うために「引きこもり」問題に取り組んだわけだが、「引きこもり」は精神病院や薬やカウンセラー、就労支援事業や福祉事業の商品とされ、公共事業的な経済に回収されていった。引きこもり問題は解決するどころか、名称を変えるなどして社会のより深いところに埋没していく状況が続いていく。
私たちの間でもしょっちゅう話されることだが、引きこもっていたあるいは引きこもらされていた人はいても、「引きこもり」というのはいない。いつも「引きこもり」が問題になるのは家族であり社会である。だから引きこもりの歴史というのは、その名称が代えられていった日本社会や経済の変容であって、家族や教育の在り方にあるだろう。社会や家族の問題であるのならば、うちの子が引きこもっていても仕方がないのではない。引きこもっているからこそ、期待できるし、当人やその家族は「引きこもり」を多く生み出さないような社会をつくる課題や力を持っている。引きこもり問題が大きく取り上げられるようになって、思想家であるはずの吉本隆明が「ひきこもれ」(孤独であることを恐れるな)と、引きこもり問題を見誤ったのに対して、西嶋と二神は引きこもり問題の本質を始めから見定めていたように思う。引きこもりやその家族が恐れているのは社会や孤独ではなく、世間である。吉本が言うにはほど遠く、日本には社会という概念が未熟である。私たちが恐れているのは他人のまなざしや世間体であって、法律や権力ではない。「引きこもり」問題をめぐる少なくともこの50年でなおざりにされ、解消されていないのは、社会をつくる以前の他者に対する不信感である。
さて、2020年近くなった現在の大学進学率は50パーセントを超えている。しかも人口減少によって、労働市場は売り手市場へと再び変化した。大学へ行くことは「選択」であるという意識は変わって、大学へ行くことが「普通」だと言われる時代になったのだ。世間はより強化されることだろう。排他的であり不信感も色濃い。大学生に奨学金を背負わせ、負債を抱えた状態で半ば強制的に長期就労させ、奨学金債権が商品化され出回るような負債経済が拡大している。「引きこもり」問題はこのように振り切れた経済社会でも、解決はされない。そのような社会や経済に背を向けてでも、たくましくもしたたかに生きなければとは思うのだが、それには仲間とより多様な問題に瀕した人との支え合いが必要なのは言うまでもない。 2018年2月15日 髙橋淳敏