「自分だけは裏切ってよい」長井潔
最近、10日間で10人の、別々の人が別々の人を怒っていた。顔の筋肉を動かすのも面倒なので他人の「怒る」パワーには感心する。人は何に怒るのか?
ある人は、周囲に気を遣う自分を踏みにじるような他人の横柄さに怒っていた。つまり本人は周囲におびえていた。
その人なりだと、片づけてよいだろうか。
例えば娘が小学生の時、集団登校の仲間は正規の集合時刻の10分前に集合する内々のルールを設け、10分前に来ない娘を怒った。登校時間が遅れたらと集団はおびえていたのだ。
労働法規違反の独自ルールを守らせる企業がある。幹部が会社の目標を守ろうとした結果だ。幹部は経営者におびえているのだろう。
クラスで話せない生徒は「コミュ障」と揶揄され無視される。無視する側も「いつ自分もそうなるか」とおびえている。
「何か」におびえる普通の人々が誰かを虐げる。*
私の父は世間におびえていた。母が重篤でも近所の目を気にして救急車を呼ばなかった。
他方で私が出世することを望んだ。その信条は父親の語りや行動を通して私に定着した。定着したら自分の本心になる。添えなければ自分への裏切り。死ぬに等しい。出世競争には限界がきて真剣に自殺を考えた。
なぜ父が子に出世をあおったのか。子供を使って「恐ろしい世間によい顔をしたかった」と考えれば腑に落ちる。普通の父親だ。
つまり世間におびえる父親が私から信条の自由を奪っていた。
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当時の私は本心に背き自分を裏切らざるをえなかった。その瞬間にわかったが裏切ったのも自分自身なのだ。
(ということは別に裏切ってはいない…)
自分をコントロールする別の自分が生まれ、新たな親となった。新しい親は自分を責めず、それで大丈夫だ、明日を進もうと言った。
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人生最大の裏切りの後、私は何かと自分を裏切るようになった。私が今よく裏切るのはそれまでの生活習慣だ。体に悪いと、医者ではなく私の中の親が判断するからだ。思考や信条の習慣も、柔軟に裏切ってきた。
だから知っているが裏切りとは何かの始まりだ。例えば価値観の違う者同士がいがみ合わず、認め合う新たな出会いになる。
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ある若者は3年の訪問活動中一言も発せず強引に寮に連れられたのに、面談では「自分が生きていけるか、もう一度だけ試みます」と語った。無理やり連れて来たというのに、その発言はとても不思議に聞こえた。寮生活では誠実な人柄が現れ、後に仕事でも発揮されて卒寮10年後には正社員になった。久しぶりに会うと、以前の彼とは思えない大きな早口でしゃべった。ご家族とは会うのですか?と聞くと以前のように、ただうなずいてくれた。
引きこもりを脱する時は、それまでの自分を裏切る時とも言える。
悪くはない。世間に騙されたり、何かにおびえ誰かを虐げる普通の人より、すごくいい。
あなたの信条や本心は、本当に自らのものか。騙されてはいけないよ。それよりは自分を裏切ってよい。
2016、8,19 長井潔
西嶋さんの直言極言楽しみにしているのですが、、、更新がなくて。どうしたのかな~と思っています