「普通なんてどこにある~対人編~」長井潔
「よろしい。君含め課の若手全員の勤務評価を見せてあげよう。内緒だよ」
どのように勤務評価されるものか聞いた私を課長は別室へと促した。
5段階評価で同期のSだけが「1」、私含め3名が「2」、1年先輩の女性Hが「3」だった。
「Sさんだけ評価を上げた。年齢給制で若いSさんの給与が低いからだ」
それは納得できたがHの評価に目はくぎ付けになった。
苦しくなってきた。
(Hさん、あんなにがんばっているのに…)
*
進路を挫折した学生の頃、自分は生まれ変わろうと思った。そのために、それまでと正反対の考え方を取ることにこだわった。
毎日寝る前に行動を振り返り「大丈夫だ」と自分に言い聞かせた。他人から何を言われても気にせず心の奥に自由を保つためだ。その上で他人の反応を見た。他人という鏡があってこそ変われるからだ。
慣れると他人の心理も見えてきた。
親しくない先輩が突然話しかけてきた時には、彼がふだんの友人関係に干され苦しんでいるさまが透けて見えた。
「何があっても私は仕事で謝ったりしない」という人からは自信のなさが見えた。
男性に怒鳴られ悩んでいた女性は、男性を傷つけた一言に気付けなかった。男性からは高いプライドと対人関係の不安が見えた。
悩みや欠点が多かった。すべての人が何かにとらわれている。
普通の人ってどこにいるのだろう。
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会社では研究開発の仕事をしていた。人が味を判定する試験でよい結果が得られない時があった。わざと劣化品を作り、人が適切に判定できていないことを証明した。課長に
「悪いデータを出してどうする」とかんかんに怒られ、悩んだ。課長は部下の欠点を示され不安に陥ったのだ。しかし心理が見えても悩みは取れなかった。
(考え方をまた変えるべき時が来たのではないか?)
人の悩みや欠点を見るだけでは前に進めない。その人間同士で何を生み出せるかが問われている。自分は他人を変える鏡でもあるのだ。
*
そのような時にHの「3」評価を見たのだ。
確かにHは周囲の意見を研究に取り入れられず、研究職は不向きに見えた。だから「3」の理由は理解できた。
(ただし、そこで終わってよいのか?)
入社以来、失敗ばかりの私にHは優しい声をかけてくれた。気持ちを明るくさせてくれる素晴らしい女性だ。
(そうだ、勝手に彼女を勤務評価しよう)
私にできる最大は彼女に勝手に「1」をつけることだった。彼女は必ず「1」を持つ。その項目は…
(聞き上手だ!)
表現できてうれしかった。もやもやが吹っ切れた。
これをきっかけに、人の悩みや欠点だけでなく、「1」もまた見えるようになった。
*
数年後、彼女は人事部教育課に異動を命ぜられた。人目をはばからずに職場で泣いていた。何一つ声をかけられなかった。
しかし異動は欠点だけで決まったのではないと思う。
社員教育の仕事は聞き上手「1」の彼女にこそふさわしい。新しい職場で彼女の能力はいかんなく発揮された。
2016,5,11 長井 潔