「第2回特別例会のご案内」 高橋淳敏
今回記事で報告もありますが、第1回目の特別例会は「引きこもりの暮らし」をテーマに話し合いがもたれました。そこで、親元での暮らし、一人暮らし、共同生活などが比較もされたわけですが、何が貧しくて何が豊かなことなのかそれぞれで考えることになっただろうと思います。引きこもられるのは豊かだからだと、今も言われているかもしれないしかつてもよく言われていましたが、引きこもる生活は本人もその家族も貧しい暮らしになっていきます。そこで、世間並みに豊かな生活に戻ろうと、一般的に就労させたり就学させたりすることを本人も家族もまた追ってしまうわけですが、肝心の世間並みというものは貧しかったりもします。非正規雇用ばかりが増えて仕事自体が貧しくなり、地域近隣や親族などの人間関係も薄ければ、恋人もつくらず結婚もしなければ友人もなく、引きこもりでなくとも、お金がなければどのような暮らしも続けていくことができないのが、現代的に共通する私たちの生活であるようです。独りであることやお金が悪いものではないでしょうが、私たちの生活の土台にあるものは、誰かとともにあることやお金にならない日々の労働であったりするのだと考えています。引きこもるということは、現代的な暮らしに身体的に異議申し立てをしているわけで、引きこもることがきっかけで私たちの今の豊かさや貧しさについて考えることができるのだと思いました。
さて次回、第2回目の特別例会の案内です。
今度は「大学」をテーマに大学内で引きこもりについての勉強相談会をします。
2月中には時間や詳細も決定する見込みですが、現在はまだ予定ですが案内をさせてもらいます。人数に限りがありますので、必ず問い合わせの上ご参加ください。
日 時:2016年3月18日(金)時間未定
場 所:同志社大学 志高館SK265
テーマ:引きこもる大学生活(仮
参加費:飲食など実費分
申し込み必要です。
ニュースタート事務局関西は「大学生の不登校」を考える会として18年前にはじまりました。学費も上がり、就職予備校化しても雇用状況が悪くなる中、18年前は30%くらいであった進学率も今では50%を超えました。そんなしわ寄せで、「大学生の不登校」と言われる状況も増加しているように思いますが、大学の存在に振り回されてばかりいるのでなく、一度乗り込んで引きこもりの話を大学の中でしようというのが、この集まりを考えたきっかけです。
引きこもる大学生活(仮
(引きこもり・大学生の不登校についての勉強相談会)
引きこもらずにはおられない。原発は飛び散り、テロはいつ起こるかもしれない。家の外では消費者でしかなく、お金もなければ居場所もない。公園では不審者を見る目で、足を伸ばしておられない。SNSで監視されれば、秘め事なんかもありはしない。恋愛も友人も面倒だ。独りでいたい。
大学行けば解消されるか?そんなことはない。大学はそんな社会の最先端。教室には監視カメラ、時限的に部屋から閉め出され、グローバル店舗は営業しても、酒も飲めず外から酒を持ち込むこともできない。学生のことなんて、そりゃあ他人事だから信じちゃいない。出席は親にネットで管理させ、就職率ばかり見ては、学費の値上げ分を警備やキャリアコンサルタントに支払っている。大学は誰にとっての場所なのか?で、大学っていったい何をするところだったかしら?
対話もなければ、出会いもなければ、教育なんかもありはしない。ないないづくしの大学だけど、学びたいすべての人に開かれているはずでしょ?と、大学くらいはちゃんとしてもらいたい。引きこもりの問題を大学で学びたい。
まことに心もとない。しかし、最高学府だと名乗っているし言葉は通じるだろう。無理な願いを承知だが、大学は外にひらいて受け止めて、大学の外からは勇気を出して来てほしい。大学は呼ばれていくところではない。学びたい人や考え悩んでいる人が寄り合ってその場がつくられている。厄介者だと思われてかまわない。たぶん引きこもりはこの場で解放されるのだろう。私は大学のことを考えるとき、「引きこもってはおられない」となぜかいつも思うのだ。
ニュースタート事務局関西 高橋淳敏