NPO法人 ニュースタート事務局関西

「世間は言葉を換えて現れる」  長井潔

By , 2016年2月22日 10:00 AM

「『コミュ障』にならないためにどうすればよいでしょうか」

高校の部活動でニュースタート事務局関西が取材された。教室の一隅で誰とも話さず過ごす生徒を「コミュニケーション障害」というらしい。高校生はいつ自分もなるかもしれないという不安を持っていた。事務局田中氏がそれはいじめではないかと聞いたところ、いじめではなく無視しているだけだという。田中氏は、孤立するのは本人のせいではない、周囲からの関わりが必要と答えた。

コミュニケーションは双方あって成り立つ。自分もなるかもと思うのは自分だけではコントロールできないからだ。なぜ本人に原因があるように言うのだろう。関係の問題が個人の問題にすり替わっている。

コミュ障は専門用語の定義を変え使われるようになった俗語だ。

大学一年の娘にコミュ障を知っているか聞いた。「私コミュ障だから」と自分の人見知りを自虐的に言う。また仲間内で、目の前の人に「おまえコミュ障やろう」と言う時はある。その場にいない人を指すことはないという。

高校生とは違い、本人が自嘲する言葉として使っている。この使い方が変容して、関係の問題を個人に押し付ける言葉になったのではないか。

日本語は関係に注目する。目上か目下かにより尊敬、謙譲、丁寧語が使い分けられる。関係や範囲が定かでない対象は「世間」という。「世間からははみ出ないように」「世間体」を気にしなければならない。世間をお騒がせすると、法を犯さなくても謝罪に追われる。

若い世代は「世間」を使わないがその概念は持つのではないか。誰とも話さない生徒にどう対処するか教室内の世間は困っていた。「コミュ障」の使い方を変えることにより困った気持ちを言語化した。世間をお騒がせした本人が悪いだろうと。世間の範囲は定かでないから自分も不安だ。

引きこもり問題で同じことを見ている。

引きこもりとは対人関係を遠ざける状態だ。家族や社会との関係に問題がある。しかし家族は病院や保健所に相談する場合が多い。病名がつく時もある。本人に問題があるとすり替わる。

引きこもりの若者の親は子供に「好きに生きてほしい」などは言わない。「普通であってほしい」と言う。世間からはみ出してはいけないという意味だ。

この気持ちは本人が最も強く持つ。

ある若者は仲間がその場にいない人に言う悪口を聞いて苦しくなった。自分も同調しなければならない圧力を感じたからだ。

障碍者や引きこもりの若者と喫茶店をしている。仲間に自分が受け入れられているかばかり心配する人がいる。本当に必要な接客に目を向けない。

関係が定かでないと不安で、はみ出し者を作り出すことで安定を図る。世間は今もさまざまな言葉で現れる。はみ出さないよう苦慮するより、この集団心理の全体を直視することが必要だ。自分がコミュ障や引きこもりにならない最善の方法は、他の誰をもそうしないことだ。

2016年2月18日 長井潔

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