「誰とも何もつながらなくなった時」 長井潔
こうあるべきとする観念に縛られ、その息苦しさを誰に説明することさえ許されない。そんな時、誰とも何もつながらなくなる。
私が縛られていた観念は、立派な人にならねばならぬとする自分が自分に課した圧力だった。学生の時に高い進路を掲げた。親しい仲間や彼女や親から理解を得た。目標とする進路先に見学に行った際、無視され何も打ち解けることができず、そのことで望む進路を断念した。人間関係という理由で挫折したことを誰にも言えなくなった。
文字通り何日も誰にも何も言わなくなった。彼女や親友に愛想をつかされた。何より自分自身が許せなかった。周囲を裏切ったのではない、自分の血は潔癖なはずだ。ナイフを腕に当てたが、それ以上は動かせなかった。久しぶりに口から何かの音が出た。
高まる感情とぐるぐる回る思考の中で決めた。自殺できないなら精神的に死ぬしかない。私は自分をなくし、残った体に新たな何もない自分を入れる。自分を苦しめてきた観念、目標のすべてを自分から追い出す。しかしもぬけの殻で生きるつもりもない。悪魔との取引だ。私は私をなくす代わりに、私を苦しめる本当の敵をあばくという目標を新たに立てることで、せめて自分は自分が生きていることを許そう。
形としては進路を変え留年し大学院に進学した。考えるための時間を得るためだった。孤独が続き、自分と対話し続けた。自分を捨てるために、根本で正反対の自分になろうとした。それまでは他人とうまくできない、優秀でないことをいつも悔いていた。正反対のやり方は、自分にOKを出し続けることだった。毎日夜には一日を振り返り「問題ない。大丈夫だ」と自分に語りかけた。自分自身が自分の親になった。対人関係に揺れることがなくなった。この時期私は誰とも親しくなく何の結果も出していないゼロの人間だったが、今までの人生で一番貴重だった。
30歳を前にようやく社会に出た私は勤務初日から叱られた。隣の部署を訪ねることさえ怖かった。緊張がひどく机に向かっていると睡魔が襲った。電話を取るのが怖くて鳴ると机から逃げた。通勤途中で会社の人と出会わないかとびくついた。対人恐怖症が変わることはなかったが、逃げ出すこともなかった。
その後結婚して子供もできた。やがて新商品開発に成功し、自ら企画した大きな商品開発プロジェクトのリーダーとなり推進した。どの部署にも仲間ができた。結果ならいくらでも語れる。しかし、何も結果を出していない時の自分からすべては始まったのだ。
私を苦しめた本当の敵の正体は、家族の中で特に親しかった私の父親からの期待だった。わかってみれば何ともけち臭い敵だ。自分の子供が成人間近になるこの歳になるまでわからなかったことはうなずける。親は誠意で尽くしても子供にとっては害悪になりがちだ。
すでに悪魔と取引した私自身は人生の最期まで孤独で終わることを知っている。しかしニュースタートの若いみなさんは理解ある他者と対話できる。自分を変えることが良いとも限らない。他の人との差を見つめれば生まれるものがあるだろう。
「何もない今が貴重だ」