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私は恵まれている?

By , 2015年7月19日 10:00 AM

私は恵まれている。

そのように考えることは、危険なことである。何が危険なのかというと、餓死する子どもがある国などと比較して、それと比べたらまだ恵まれているのだからと何でも食べさせられたり、おかしいと思う日常を無理矢理に飲み込まされたり、果ては恵まれているのは日本のおかげだからとお国を守るために戦わなければならなかったりと、身近な人が自分と同じようであると高を括っていると、この思いはあぶない思想へ単調に変わっていく。精神衛生上はよいだろう。しかし、管理する側は、不満をもってもらいたくないので、そのように思ってもらうためだけに躍起になっていることを忘れてはいけない。当然ながら、恵まれていると思えるか思えないかは、その人の生活や今属している社会の様態によるだろう。あまり良いことではないが知らない他人と比較することであり、刹那的でもなければ自分一人で比べることもなくそのように思ったりすることはできない。

 

私は恵まれている。

最近しみじみ、というか、つくづく感じた時があった。それは朝、駅のホームで電車を待っていた時のことだ。私のつま先からわずか50センチにも満たない接近したところを、とてつもなく大きく長く連結した鉄の塊が時速100キロほどのスピードで通り抜けたのだった。わずか3秒ほどのことであったがその間は生きた心地がしなかった。私は通勤通学時間のしきたりのようなものを忘れていたのだった。人の流れを少しでも避けるようにして、ホームの端にいたところを、いつもより速度を上げたラッシュ時の特急電車が目の前を通過したのだった。息もできなかったその数秒の後に、いろいろ考えることもあり数分して落ち着いたと同時に思ったのが、この私は恵まれているであった。本来、こんな目にあったならば、怒ってもいいはずである。でもその恐怖の後に訪れるだろう怒りはどこにぶつけていいのか分からない。ホームにいる他の人はシレっとして、次に来るこの駅に止まるだろう電車を、感覚を閉ざしうつむきながら待っているようである。ここで私が怒りをあらわにしても、周りの人は全く理解を示さないだろう。駅員に言ったところで、おかしいと思われて、行く先は何も治すことができない精神病院へと収容されてしまうくらいのことだ。それで、こんな感覚というか経験を毎日でもしなくていい今の自分の境遇を恵まれていると思ったのだった。かつては毎日経験させられていたことであったし、これからは分からないが。

 

さらには、この鉄の塊に身を投じるような話が後を絶たない。私は、むしろその気持ちのほうが分からなくもない。電車はそのつもりはなくとも、そこに殺意のようなものを感じるので、弱っていればフラッと身を委ねてしまいたいと、いってしまいそうな気持ちというのは分からなくもない。でもわからないのは、わずか1時間くらいでこの電車が復旧してしまうことだ。もちろん時間だけの問題ではないが、こういうことは毎日あってもう大したニュースにもならなければ、4.5駅先で起こったその事件を殆どの人は、まただとダイヤに遅れが出ることを迷惑なことだと、むしろ身を投じた人に文句が言いたいようである。このような対応は、狂気の沙汰ではないかと思っている。先の私がホームにいた状況を考えれば、例えば人混みに紛れた誰かが少しでも背中を押せば、分からないはなしである。そうでなくとも、ちゃんとその場を留めて検討せずして、何事もなかったかのように再開されているのだから、殺人の道具としての電車を利用するすべての人が容認していることにならないか。せめてホームを通過するときは速度を落としたり、電車は遅れるものだとしたりとか対応はいくらもあると思うのだが、銃やナイフと同じく電車もものは使いようといったことなのか。

 

とにかくすごいストレスだ。電車に乗ったらもっとストレスだ。車だって変わらない。皆が同じようなストレスを抱えて、解消はされず、毎日のように受け続けていることになる。どんどん蓄積もするだろう。やらないよりはましだが、多少速度を落としても転落防止柵をつけてもそこへ向かって身を投じる人はこれからも後を絶たないだろう。そのようにしてまで働いている人は偉いと、周囲の人達は気を使って持ち上げてまた同じ電車にのる。引きこもる人は、そのような仕事をしなくていいから恵まれていると思われていて、引きこもっている本人たちもそのような仕事をせずご飯が食べられて恵まれていると思わされている。でも、それはどう恵まれているのか?ただ今の社会が行き過ぎておかしいだけで、それと比べているだけではないのか?

 

電車も止められなければ、経済成長も止められず、原発すらも止められなかった今の日本の社会に、戦争に向かうことを止められようはずはなく。比喩ではなく、今まさに私たちは戦中にある。私たちは恵まれている?否である。その暴走電車を留めよ。心優しき人よ、一緒にこの日常を止めてくれないか。私たちは武器を持たなくても、もっと豊かな社会を作っていけると思うのだ。

2015年7月17日 高橋淳敏

 

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