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2月10日はニートの日だったのだが…

By , 2014年2月17日 2:35 PM

非正規労働者の割合が2013年になって全労働者の36.6%

コンビニの店員は以前からフリーターや学生などアルバイトが多かったが、前にはちらほらだっただろう平日の昼間のスーパーのレジ打ちに主婦ではなさそうな若い人が並んで働いている姿が最近は目立つようになった。パートとアルバイトは同じような雇用形態で、同じような労働をしているのでその違いは分からないが、正社員の夫と暮らす主婦が家計の補助的に働く枠組みとして設けられたのがパートで、そういった枠組みを学生などがこずかい稼ぎに利用し企業にも利用されだしたのがアルバイトくらいだろうと考えていた。だから昔からスーパーのレジ打ちはアルバイトでもあっただろうが、アルバイトというのは一時的であったり仕方なしであったが、その光景はやる気があったからかなぜかもうずっとアルバイトとしてやっていくつもりのような勝手だがそのような印象を受けたのだった。もともと時給800円なんていう話は、仕事をそれとして評価しているのではなく、主婦が一日に4~5時間で週に5日程度で年に100万円くらい稼げるように(それ以上稼ぐと税金を払わなくてはならなくなり、家計の補助としての目的を失うから)それくらいの仕事を割り振った話である。そのような仕事のおおまかな枠組み、時給で最低賃金ベースのような話はどんどん広がり、アルバイトに正社員同様の能力を求めるようなことも多く報告されるように今ではなっている。一日8時間で週に40時間働けば時給800円であれば月に13万円ほどの収入になるが、これくらいは介護職の正社員やNPOの職員の給与でも聞くこともあるような話であるが、それらのアルバイトの労働は企業の中での補助的な労働のはずで、そこで働く人たちがそれを主なる収入源として生活しているなんてことは、今までにまともに考えられたことはないはずだ。そして、正規労働も寄ってきているので非正規労働者だけの問題でもなくなってはいるが、少なくともその非正規労働者の割合が2013年になって全労働者の36.6%になり、過去最高を更新したニュースがあった。
どこに住むかによるが、大阪なんかでいうと先の月収13万円あったとして家賃に5万円食費など生活費に4万円、通信費水光熱費に2万円払うと健康保険や年金は払えなくなる。貯金なんてできるものではなく、住居を変えることも困難となるし、収入のない期間をつくれないので転職することさえ難しい。アルバイト労働であるので、それを続けていても特別の技能がつくわけでもなければ、正社員並みの能力を求められる仕事を与えられたとしても時間給すら上がるのでもなく、週40時間もどこに向かっているのかわからない働き方をすればくたくたになる。ルームシェアや結婚でもして一人では生きていけないから収入を合わせて生活費も下げてと協力できる人があればまだいい方で、アルバイトには特に競わせるような職場にしているところも多く、仲間を作るのも難しく、夢もなければ話す相手もいない。誰もが給与が上がるなんてことはもうあまり期待もしていない。先の生活がどうこうというよりも、これでは今の生活がいつできなくなってもおかしくはない。
ワンルームマンションに住み、隣近所の交流もなく、もちろん地域とのかかわりも持てない、週の5日は使い捨て可能な仕事をして帰ってきて、自炊をして家で休息する。休日はお金もなく外に行くことはまれで、長く寝て家のことをして、ネットをしたりゲームをしたりする。それで友達もいないのであれば、引きこもっている生活といったい何が違うのだろうか?孤立させられた非正規労働者や引きこもりも、確かに何かに生かされてはいる。でも、その生活はあまりに変わらなく一人では剥ぎ取ることはできないような分厚い膜に覆われ生かされていて、普段はよく分からなくなってしまっているが、不本意なことではなかろうか。言い換えれば、こんなはずではなかったと。でも、はじめて出た社会がこうならば、こんなものでしかないと考えるのが当然であって、その狭い社会がすべてとなり、そこから抜け出せないのはお前の責任だと、何を言っても冷たくあしらわれる。何をやるにもお金がかかり、お金を得るために不本意なその労働から離れることができない。

私たちはかなりとんでもない社会に住んでいるという認識が必要

ちょっと前は、それでも日本は豊かなんだからというような言われ方もよくあったが、私たちはかなりとんでもない社会に住んでいるとまずはちゃんと認識した方がよさそうだ。たとえ頑張って上のような生活ができたとしても、隣近所の人と仲良くなれることもなければ、迷惑をかけまいとしてひっそりと暮らすしかないのだ。それで一人で暮らすしかなければお金しか頼れるものはなく、自分と同じような労働をしている牛丼屋チェーンに入り安い牛丼を食べ、自分と同じような労働をしているアマゾンの倉庫でできるだけ安く購入しようとネットで注文をし、届けてくれる人も自分と同じような労働者だ。そこで回ったお金はどこか私たちの知らないところに吸い上げられ、吸い上げられた内の微々たるお金が私たちの起きている時間の多くを拘束する労働という形で落ちてくる。もはや笑うしかない事態でもあるのだが、それが笑えるのならば元気はあるとは思うので、また一緒に鍋でも囲んで話しましょう。
2014年2月13日 高橋 淳敏

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