NPO法人 ニュースタート事務局関西

発酵する考え (鍋の会300回おめでとうVer)

By , 2013年5月23日 10:55 AM

発酵させることと腐ることは紙一重

私は、何かに飼われているように思うことが多々ある。 そんな時。 都会の人混みは何らかに追いたてられている群れの羊となり、 牛丼屋の店員は飼育員、カウンターにいる客たちは食事時に集まってくる体(てい)のいい牛たちで、お金を払って食券まで買わされて共食いまでもさせられている。 ショッピングモールは放牧型の牧場 遊園地なんかもう拷問器具が集まっていて 就職説明会は競りで、行きつく先は社畜 引きこもりなんかは競りにも出されない家畜 こんな風に思いながらも、この世界から抜け出すこともできない自分は何よりも畜生だと。

みんながそう思わないにしても、たぶん私だけではないはずだと思っている。 この社会の中で、あるいはこの社会から抜け出す「意志のようなもの」を持ち得なく、この社会の中で腐っていく考えである。

ところで、人間は植物を発酵させるという調理法を発見した。 発酵させるのと腐らせるのは紙一重で、どうやら人間に都合のいいものを発酵といい、都合が悪ければ腐ることであるようだ。 たぶん、冒頭のような考えは、人間には都合の悪い腐敗した考えだろうが、無き事とはせず発酵させることはできないのだろうかと思っていた。 なぜなら、何かに飼われているようであったり、この社会で意志を持ち得なく思うのは事実あって、どうにもしようがないからだ。 そして何よりも、発酵食品は美味しいから、考え方も発酵させられるならば、身体に良いばかりでなく、幸せにもなれるではないかと。

先月号の通信で、「建設的な考え」というのはまやかしである、という内容の話を書いた。難しいとの感想があった。 私としては難しいことを書いたつもりはなく。 積み上げていくような考え方は、私たちが幸せだと思うこととは根本的に関係がないことを書きたかったのだ。 なぜならば、今の若い人たちが昔の若者に比べて幸せであるとは、どうしても思えないからだ。 昔の方が良かったというのではなく、もしいま幸せに思えないのならば、幸せになれそうもなければ、今なお縛られている建設的な考えから解放された方がいいはずだ。 建設的な考え方というのは、今この社会を成立させている土台を疑わず、積み上げていくことだ。私は、いまこの社会を成立させている土台のようなものを腐らせず発酵させて、食べてしまいたいのだ。 たぶんそれが食いしん坊である私の欲望なのではないかと思う。

そのままであっても発酵させる

発酵とは。

糖分を微生物に分解させると、アルコールと二酸化炭素が発生する。その微生物(菌)によって、分泌する酵素なども違い風味なども変わるし、腐敗もする。二酸化炭素の方をうまく扱えばパンのようなものができ、アルコールの方を扱えば酒となる。 要するに、適した環境下で自らの内に全く異質な生き物を飼い、分解されるに任せるのである。 うまくいけば保存も効き、より美味な食べ物となり、うまくいかなければ腐敗し食せば人には有害なものとなる。納豆やチーズ、お酢、漬物とか味噌なんかも発酵食品だ。

私は発酵食品が引きこもりにいいからと納豆を売りつけようとしているのではない。考えを腐らせるのではなく、といってねばならないと切り刻み更生させたり治したりするのではなく、そのままであっても発酵させるという知恵はあるだろうと。

「鍋の会」が100回目を迎えた時、もう8年前くらいだが、この集まりはいつまで続くのだろうかと、200回300回となっていくのだろうかとふと考えたことを思い出した。毎回手入れがされているからか、この集まり自体はいまだに腐敗はしていない。 「鍋の会」は夏にもなれば、室温は40度にもなり発酵するにはいい温度であったりする。(実はクーラーがついていたりするのだが) 無菌状態の部屋にいるのであれば、鍋の会に来て一緒に酒を飲みませんか?

2013年5月16日 高橋 淳敏

コメントをどうぞ
(※個人情報はこちらに書き込まないで下さい。ご連絡が必要な場合は「お問い合わせ」ページをご覧下さい)

Panorama Theme by Themocracy | Login