NPO法人 ニュースタート事務局関西

まっとうな若者達

By , 2012年5月24日 1:36 PM

これまでニュースタートに関わってきて色んな親御さんと会ったりお話をしてきました。
どのご家庭も相談に来られる前は我が子の問題は特殊かもしれないと思われがちですが、話を伺ってみるとみなさん共通する話が多いものです。

よくある話のひとつに、引きこもっている我が子と会話が出来ず、何を考えてるのかわからないというものがあります。
「わからない」と親御さんは言いますが、本当に子供の声に耳を傾けているのかは疑問です。
というのも、「これからどうするの?仕事はどうするの?」「何かやりたいことはないの?」「私達は先に死ぬかもしれないんだから」と、まず生きていくためにしなければならないのは働いてお金を稼ぎ、親が死んでも自活出来るようになるのを目指す事を前提に話をされます。
本人の意思や希望を問い、確認しようとされますが、他人との関わりを避け引きこもっている中で、希望について語れるのでしょうか?当人は生きていく自信を失っているから引きこもっているのではないでしょうか?

仕事をせず家に居る子供を見ていると、自立出来るだろうかと心配するのは至極当然の親心と思われるかもしれませんが、彼らが家に居られる環境を作っているのは親御さん自身でもあります。

疑問も持たずに、もしくは嫌でもやらなければならないものとしてしか働く事を考えていない親の姿や、就労する事も、働く環境そのものも厳しい状況になっている事が歴然としている社会に対し、希望を見出せず、何のために生き働くのかを悩み、立ち止まってしまうのはまっとうな感覚です。

親も含め、これまで見聞きしてきた生き方、限られた世界の中で希望が無いのなら、他の道に出会わなければ、当人はいつまで経っても自分や社会を否定し続けなければなりません。

子供の自らの意思で動き出すのを待つ親御さんが多くいますが、そもそも自信を失くしている当人が自分一人の力でどう奮起すればいいのでしょうか?
その親の対応は、本人を信じて待つというより、ただ問題と向き合わず手をこまねいているだけです。
そうしている間にも彼らの時間は刻々と過ぎていき、益々外へ出る事が不安になっていくでしょう。
もう一度彼らが生き方を模索していく為に外へ出て行くには、親が背中を押さなければ踏み出せない場面があるんです。

何がしたいとか、特別なものが無くても、とりあえずはいいはず。人との関係の中で見出していけるものを、自分一人の中から見出そうとしたって無理なんですから、とにかく人と出会い関われる場へ出てくる事からです。

家族の為に身を粉にして働いてきた親御さん達が求めた豊かさとは異なりますが、自分を活かす生き方を求めていくのは、正しい贅沢ではないかと思うのです。
人の中で活かされてこそ、ようやく生きていく気になれるのではないでしょうか?

                                                                                                                   富永 静華

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