NPO法人 ニュースタート事務局関西

直言曲言 第329回 「子ども」

By , 2013年4月22日 4:27 PM

私は子どもの頃、自分のことを天才だと思っていた。いや、「思っていた」のは子どもの頃ではなくて成人した頃から、つい最近まで「子どもの頃の私は、天才だったのではないか?」と。唐突なようだが、私は小学校を卒業していない。父の事業の失敗のせいで、極貧の放浪生活を送り、中学校に行く頃になって「不就学児童一掃」という運動に引っ掛かり、いきなり中学校一年生に編入された。その頃の私は、学校に行っていないということに、ひどくコンプレックスを抱いており、中学の担任教師からもひどい差別扱いを受けた。最初のテストのとき、私がクラスで一番の成績だったらしく、そのテストを返す時、わざわざ私のところで中断し、他人の答案を盗み見て「カンニング」をしてはならないとクラス全員に注意を与えた。また、学級委員選挙の時、私の隣席の女の子が私に一票を入れたらしく、この時も開票を中断して「選挙というものは民主主義の基本をなす真剣なものである。冗談で投票などしてはならない。」とお説教をした。この先生は、生活指導主任で私のクラス担任だが、小学校も行っていない浮浪児上りの私に相当警戒していたらしく、私が後に大阪市長表彰を受けたり、学校一の秀才になるなど思わなかったのは当然かもしれない。しかし、私としては私に何の「非」があるわけでもなく、クラス全員の前で露骨に恥をかかされ、顔が熱くなるほど恥ずかしかったのを覚えている。月日が経ち、私が本当に勉強ができるというが判明し、すべての教師が私のことを認めるようになった時、その担任教師も私を認め、私を秘蔵っ子のように可愛がり、私にとっても大恩のある教師となったが、最初のこの二つの事件は忘れることが出来ず、今でも教師とはこのように酷薄なものだとの印象を変えられずにいる。

小学校を卒業せずに、中学校からの編入であるにもかかわらず、私がその学校一の成績にもなったのは今では、「学校」というものに憧れ、勉強できるということに喜びを感じ、授業を真剣に聞いていた、に過ぎないと思っているが、ほとんどの教師が私を「代用教員」のように扱い、同級生の前で「西嶋君、何ページから何ページまで、授業をやっておいて」などと言い残して教室を去るありさまであり、だから私が増長したわけでもあるまいが、後で高校や大学の「秀才」と言われた人からも、そんな扱いを受けた人などおらず、私は「特別だったのだ」との思いを深くした。当時、私はそれほど傲慢であったわけではなく、少なくとも表面上は謙虚な優等生であったと記憶している。それでも、学校をあげての特別扱いを続けられていると、なぜ私だけがこのような特別扱いを受けるのかが不思議に思えるようになってきた。加えて、私はその頃から並はずれて背が高くて、その点でも特別な存在と自認していた。何故、私は先生方が尋ねる質問に何でも答えられるのか。おそらく、私が一番の秀才であったとしても、所詮、先生方は中学生に答えられるような質問しかしていなかったのだろう。しかし、私は小学校も卒業していず、ひそかに中学の教科を学んでいたのでもなかった。考えてみれば、私は誰からも学校の教科のことを学んだことはなかった。しかし、当時の私は中学生が身につけている程度の知識は殆どすべてマスターしていた。予習したのでもなく、誰からも教えられてもいなかった。私の頭に想起出来るすべての問題と答えはどこから与えられたものかは分からないが、世の中の仕組みのこと、生と死のこと、お金のこと、富と貧しさのこと。あらゆる問題について、私は知っているし、また人々がどの程度知り、どの程度知らないかについても知っていた。私は父から、英才教育のようなものを受けたこともなかった。私自身がそのことについて不思議に思い始めていた。どこかで、私の頭の中には生まれ付いての記憶装置のようなものが埋め込まれていて、必要に応じてそれを取り出せるようになっているのではないのか、とそう思い始めていた。

しかし、高校に入ると、奇妙なその想念も次第に薄れて行き、私もまあ普通の高校生だと思えるようになった。他人より、特別に優秀な生徒でもなかったし、使命感を持った存在でもなかった。ただ、子どもの頃の「向学心」というか、勉強に対する「飢え」のような感情は持っていて、いざ「試験」というような局面に差し掛かると、普段の不勉強とは打って変わって、頭脳をフル回転させて答えを導き出すという能力は持っていたようだ。これは良くある自慢話のようだが、大学入試の時も私は殆ど試験勉強などせずに現役で合格してしまった。

そんな、私自身の体験談は、人生に数あるけれど、それはすべて中略するとして、このNPOを始めた頃、引きこもりの子の親たちの話を聞いていて私には直感的に閃いたことがあった。それは、ほとんどすべての子に共通する体験に思えた。彼らはすべて、中学時代の望まざる競争体験に傷ついている。そこで初めて体験した「他人と比較され、他人に打ち勝つ」ことが優秀さの証しであるかのような学校のありように傷ついている。「そんな学校生活のありようの中で、他人との付き合い方を見失い、それを強制する社会を拒み、人間を拒むようになっている。」と思った。比較をされなければ、それぞれがおおらかな個性を伸ばして行けたであろうに。

最初に私が書いたのは、私自身がほぼ12才の頃までの私自身の成育歴であったが、それは私が中学に編入させられたことによって、ずいぶんと歪んだ自意識となって、長く私が大人になる頃までそれを引きずることになった。そのことに気付いた時、子どもたちは、中学生にならずとも、今の学校制度という、教育と競争のシステムの弊害にとっくに気付いているのではないかと、私は思うようになった。子どもの自我とは、子ども自身の記憶の連続性の積み重ねの中で傾向や性癖となって形作られるものと思っていた。しかし、私の中学生時代の記憶の中では、自分自身が意識するよりもはるかに昔から、記憶の連鎖というものが続いており、それが「意識」となって発現してくるものだと考えざるを得なかった。中学生にもなる前、例えば小学生である10歳前後から、学校という社会システムに批判意識を持つ、引きこもりの「前兆」のようなものが現れていても不思議なことではないのだということを知らされた。このことは、私の3歳になる孫との対話の中で気づかされた。彼は、もし今の私と別れてしまったら、数年後には私のことをほとんど記憶していないだろう。しかし、私によって、教えられた様々な記憶の断片は、彼の記憶の中で生き続けるだろう。誰からも教わってはいない不思議な記憶装置として。

2013,4,18 西嶋彰

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