NPO法人 ニュースタート事務局関西

直言曲言 第322回 「六十七」

By , 2012年9月14日 10:30 AM

67歳、私の年齢である。「それがどうした?」と言われそうである。要するに生まれて来てから67年が経った。ただ、この時間は日本が戦争に敗れてからの期間と同じである。つまり、私の年齢は戦後の経過年齢と同じであった。10歳の時は終戦後10年。50歳の時は終戦後50年。終戦後の経過年月と、自分の年齢が同じだということはこれまでもずっと同じはずだったのに、今年初めてそれに気づいた。きっかけはこの夏の韓国行きだった。ニュースタート事務局関西が発案してNPO法人スローワーク協会ができ、同協会が経営するカフェコモンズが運営されている。その中で、有志メンバーが「コモンズ大学」を運営している。このコモンズ大学に参加しているのが韓国青年たちの「スユノモ」というグループだ。この夏、彼らのグループと交流を深めるための韓国旅行が企画され、私も参加した。ソウルに着いたのは遇々8月15日であった。現地のテレビは67周年とけん伝しており、日本の敗戦により韓国が開放されて67年目に当たることが分かった。市内には韓国国旗が飾られており、国のお誕生日を祝うありさまであった。つまり私と同じ年齢の67回目のお誕生日であった。

韓国の開放、日本の敗戦と同年齢。ということは戦後日本の復興や成長と私の年齢は、同じ年を歩んできたことになる。67年も経って、ようやく老境を迎えた私だが、日本社会はそれほど成熟したのか。もちろん、私自身それほど成熟の境地に達したとは思っていない。しかし、日本社会の67年を振り返れば、戦後の焼け跡時代とは比べ物にならないほど復興し、成長した。復興や成長はほぼ、経済の歩みを捉えている。そこに住む人間たちが、経済の成長にふさわしい成熟を遂げたのかは、はなはだ疑わしいのである。引きこもり問題を考えて14年目になる私は、子育ての「視点」から戦後の時代変化を考えてみる。

戦後の時代変化を考えると、まずは生き延びるということに必死な時代、高度経済成長期から安定成長を経てバブル・バブル崩壊などの時代をたどる。引きこもりの子の親御さんであるということは、いわゆる団塊の世代以後のお生まれである。団塊の世代は戦後のベビーブーマーであり、生存競争が最も厳しかった世代である。良くも悪くも、人生のあらゆる局面で競争に直面した。だから、子育てにおいても、子どもたちに「競争に打ち勝つ」ことを強調してお尻をたたき続けたことは想像に難くない。しかし団塊の世代も今や60歳代中盤。長子の誕生も1970年以降であるはずだ。1970年ということは、高度経済成長期を超えてオリンピックや大阪万博を過ぎて未曾有の好景気を体験している。子ども達が本格的に社会をのぞき見る頃には、オイルショックなどの社会現象も体験している。記憶に新しいのは、オイルショックによるトイレットペーパーの買い占め騒動である。あの時代はともかく、あの騒動が過ぎた後、トイレットペーパーの買い占めに狂奔したことはばかばかしい取り越し苦労であったと気づかせられたはずである。たとえ、それがマスコミにあおられた不安であったとしても、メーカーの陰謀であったとしても。図らずも、経済成長の果ての恥ずかしいショッキングな体験であったはずである。私はあの事件の報道を見ていて、戦後三十数年の日本の成長と成熟なるものの、頼りなさを痛感した。

1970年のあれだけの経済的充足を前にしても、未だ欠乏感を断ち切れずにいたのである。競争に無理やり参加させられる嫌悪感と恐怖感こそ、対人恐怖や引きこもりの出発点である。

 私自身、偉そうに言うほど社会を俯瞰していたわけではない。1964年、どん底暮らしの釜が崎を抜け出して、大学に入りやっと10年目を迎えていた。大学へ入って見た光景は欠乏とは無縁な遊園地の情景であった。しかし彼らの親にとっては、子どもたちの念願の城壁入りであり、そこで繰り広げられた学園闘争は、手に入れたはずのものをもう一度手放すかどうかのギリギリの選択であった。その選択肢を手放さずに済んだ人たちこそ、今の引きこもりの親御さんたちではないのか。人々の体験は、実体験か伝聞によって多少前後するかもしれない。

 彼らは一度手に入れたものを、あるいはすんでのところで失いかけたものを、今度こそ手放してはならないと、深く心に刻んだ。それがその後の、子育ての信念であったのかもしれない。競争に打ち勝つことこそすべてであり、夢々それを疑ってはならない。本当はそんな競争の時代などとっくに通りすぎてしまっていたはずなのに、またしてもトイレットペーパーの争奪戦を繰り返してしまった。大学に入れば、競争社会の先行保証の小切手が手に入る。それは既に小切手ではなく、紙くず同然の空手形に過ぎなかった。

 彼らの親がそのから手形に狂奔している頃、子どもたちは空洞化しているそのからくりを見抜きはじめていた。まず、競争の予備段階としての学校システムである。学校というものに真面目に通い、その道案内人としての先生の言うことを素直に聞けば、より良いところに自然と案内される。大人たちのほとんどが信用してきたそんなシステムを素直に信じるほど、今どきの子どもは騙されやすくなかった。大人たちの虚構を見破るための道具は世の中に満ち溢れていた。特別な道具を用いなくても、大学に入れば幸せな人生を歩めるなんて「嘘っぱち」であることは「明々白々」である。それは日常の大人たちの言葉の裏側に隠されていた。大人たちは子どもたちの理解力や想像力を軽んじ過ぎていた。

 戦後67年が経過した今、本当に日本社会が経験してきた苦労とは何であるのか。その結果、獲得した知恵とは何であるのか。私自身が今67歳を迎えて、55年前の12才の時に既に見破っていたこの社会のからくりと実際はどう違っていたのか。55年の年月を経て、やはり「そうでしかなかったのか」と思い知らされる日々である。大人たちは自ら励ますように一生懸命働き続けてきた。その大人自身が裏切られてきた日々ではなかったか。終身雇用のはずの会社に忠誠を誓って出会ったのがリストラ、払い続けた年金もあてにならず、果ては過労死。裏切られてきたからこそ、わが子だけにはそんな目に会って欲しくない。他人にひけ目をとって欲しくないからこそ競争に負けるなとはっぱをかける。12才の少年に「大人たちを信じて良かった」と思わせるような未来はやって来るだろうか。それは、少なくとも、今の大人たちが言うような「幸せになるためには」他人との競争に打ち勝ちなさいというような指針ではないような気がする。

2012.9.13 西嶋彰

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