直言曲言 第270回 「就職技術」
「ハローワーク」って聞いたことあるよね。昔は「職業安定所」と言ったのだよ。私は大阪の釜ヶ崎出身です。釜ヶ崎の中に「三角公園」というところがあります。昔は釜ヶ崎の中心を南海電車天王寺支線というのが斜めに横切っていて、斜めに切り取られたような公園が三角公園です。ただし天王寺支線は今は廃線となり通っていません。その三角公園の斜線の一角から西へ約100mほどの区間が「安定所通り」と言われていて、かつては釜ヶ崎の中心部と言われていました。私はそこに昭和29年頃から住んでいて、私が大学を中退し、結婚して、長女が生まれた時も両親はそこに住んでいました。60歳で死んだ父にはそこが終焉の地になりました。父は40歳のころからそこに住んでいて、ついにそこから抜け出せなかったのです。私の家の前には阿倍野公共職業安定所西成労働出張所というのがあって人々は「しょくあん」とか「あんていしょ」と呼んでいました。職安というのは今のハローワークと同じで、本来なら人々に職業を紹介するところなのですが、そこでは職業紹介業務よりももっと重要な業務が行われていました。釜ヶ崎の朝は早く午前4時頃から人々が街角を行きかい始めますが、午前6時を回るとこのあたりは俄然、人でにぎわいます。午前4時から失業対策事業などの紹介を行うのですが、午前6時を回ると「紹介」は打ち切られ、「紹介」を受けられなかった人は「アブレ(ハズレ?仕事にありつけなかったこと)として「失対手帳(失業対策手帳)に「(失業)認定印」を捺してもらうのです。毎朝数千人の人が行列して認定印をもらうのですから、辺りが賑わって商店が並びます。私の家は食堂や飲み屋の並ぶ中で古書店を商っており、のちには中古レコードを商っておりました。人々は、最初から仕事の紹介など受ける意思はなく、失業認定印をもらいに来ているのです。1ヶ月に一定数の認定印を貯めると毎月の失業手当がもらえるのです。認定印をもらい損ねたり、下手に就労してしまうと認定印が足りなくなって大変です。どうも公共の職業紹介業務とは昔から実態と食い違ったことを平気でやっていたようです。
今でも職安やハローワークというのは雇用保険が支給されるために一定期間に一度は出頭しなければならないようで、大人の失業者は仕方なく出向いているようですが、何も知らない若い人は失業もしていないのにハローワークにせっせと出向く人も多いようです。就職を紹介してもらおうという人も多いようですが、職業訓練を受けようという人も少なくありません。
独立行政法人雇用・能力開発機構というのがあるのをご存知ですか?これがすべての不思議なことの元凶なのです。今は「独立行税法人」などと名乗っていますが以前は厚生労働省の一角だったのです。「労働者の有する能力の有効な発揮及び職業生活の充実を図るため、雇用管理の改善に対する援助、公共職業能力開発施設の設置及び運営等の業務を行う」という立派な目的で設立されたようですが、「職業教育施設」としていくつもの無駄な施設を建てたり、京都に500億円もかけた使われない施設を建て、運営費まで無駄遣いするために「民間に運営を委託する」と称してコンペ(提案競技)までしてついに閉館を決定し、おまけに法人そのものの廃止まで決定しています。この法人は独立行政法人とは謂うものの運営予算は厚生労働省から出ていて、雇用保険や税金で賄われています。労働者のための組織のような顔をしていますが、この組織がなければ雇用保険や年金がもう少しまともに支払われていたのは間違いないでしょう。こうした巨大な無駄を放置しておいて、民主党のマニフェストに対して「財源はどうする?」なんて白々しいことが言えるものだという気がします。
1980年代から経済構造が変化してきて、1980年代後半にはバブル経済が起きます。1991年にはバブル崩壊が起き、バブル経済のおかげで人件費が高騰していた日本経済は不況に悩みます。ある経済団体は「正社員を雇うな」との指令を出します。臨時社員、派遣社員、期間社員、パートタイマー、フリーターなどあらゆる不定期雇用社員が増加しました。やがて企業は大陸など人件費の安い地域に工場を進出させ現地で労働者を採用します。日本では当然ながら雇用が激減し、就職「冬の時代」「氷河期」などがやってきます。現在に続く「雇用不安」や「ワーキングプアー」などが始まったのはこのときです。このとき政府や雇用政策担当者はなんと言ったか?「失業者が増えているが、産業構造が変化しており、企業が求める労働者像と現実の労働者の間にミスマッチが起きている。再教育しなければならない。」これは嘘です。企業や政府や社会が自分たちの利益を守ることを正当化して、雇用義務を放棄したのです。まことしやかに語られたものだから、中高年の失業者は「そうだな」と納得した。パソコンなどのIT時代に「自分は適合していない」と思う中高年はたくさんいた。それでは高卒や大卒等の新卒はなぜ採用されないのだ。要するに資本主義・自由主義の名目のもと企業には自己の利益を追求する自由があり、それら企業の利益を擁護する自民党政府の下では労働者の権利は切り捨てられ、若者の将来や希望などは踏みにじられてきたのだ。「現代技術にマッチしていない」とされた労働者・若者は職業教育と称して役に立たない技術や資格を取ることを奨励された。雇用能力開発機構などは如何にもそれらしい名前をしているが、ハローワークなどは「仕事に出会える」ことを期待して行くと失望する。仕事ではなく、職業教育が待っている。若者や失業者に雇用の機会がないのは産業社会の側の責任であって「彼らに能力がない」というのは嘘だ。交通事故を起こした人に再教育をするのならともかく、一度も就職をしたことのない人にどうして再教育をせねばならないのか?誰かは「再チャレンジ」と言ったが、一度もチャレンジする機会を与えずに『再チャレンジ』を勧めるはと何という厚顔だったのか。
就職のために怪しげな資格を求めることにも反対です。それなら私は運転免許の資格を得ることを勧めています。就職に役立つからではなく、就職するための基本的な資質の改善に役立つと思うからです。自動車教習所では先生から運転技術を学ばなければなりません。たとえ嫌な先生でも話し掛ければ返事をしなければいけません。これは社会で生きていく上で基本的な技術です。運転教習中のドライバーと助手席の教師間のコミュニケーション、これさえ取れていれば、後はどれだけ無愛想でも無口でもよろしい。引きこもりだなんておせっかいを焼く人は無視しても構いません。
2009.08.01.