NPO法人 ニュースタート事務局関西 » 直言曲言 第261回 「NFO」

NPO法人 ニュースタート事務局関西

直言曲言 第261回 「NFO」

By , 2009年4月27日 2:31 PM

NFOとは何か。おそらく今まで目にした人も、耳にした人もおるまい。私が知っている限り今までに公表されたのはニュースタート通信関西の2009年5月号だけで、ニュースタート事務局関西の高橋淳敏氏の「窯(かま)の会」という呼び掛け文の中だけである。私はこの高橋氏の言語感覚(センス)を高く評価し、意味性もまた熱烈に支持するものである。NFOとはNon-Family-Organizationで高橋氏は普通に「非家族組織」と直訳している。

NFOと言えばNGOやNPOという言葉を想起するだろう。NGOは非政府組織Non Governmental Organizationで国際的な活動団体を意味する。NPOは直訳すれば非営利組織でNon Profit Organization、特定非営利活動法人と訳すらしい。いずれも民間団体で国家やその関連団体、株式会社などに限定されていた活動の幅を広げた功績がある。それまでも市民運動団体などが任意団体として様々な活動を展開してきたが法人としての地位が認められていず賃貸や預金口座開設の契約の際、困難が生じていた。1998年に辻元清美氏らによる議員立法で「特定非営利活動促進法」 が施行されNPOに法人格が認められ、この10年間で3万を超える団体が認証を受けているらしい。われわれニュースタート事務局もNPO法人の資格を得て、経済活動の上ではずいぶんと便益を得ているが、純粋に民間の活動としては政府の認証を得ることによって事実上の牙を抜かれた存在になっているのではないかとも懸念している。NGOは非政府組織で国際的な活動を行っているもの。多くは国連関係の活動組織だが純粋に民間の国際平和運動団体も含まれている。こちらは非政府を名乗り、政府を超えるものあるいは政府を認めないものもあるのだから、政府による法人格の認証などとは無縁だ。NGOで法人格を望むならNPOの資格を取って同時にNPO法人になれば良いのである。

NFOにももちろん法人格はない。「家族」は人が生きていく上で重要な単位であることは間違いない。マルクスとの共著『共産党宣言』で知られるフリードリヒ・エンゲルスはその著書『家族、私有財産および国家の起源』の中で家族は経済活動の最小単位だと規定している。つまりは封建的な家族制度の中で、家族が抑圧や搾取の最も基本的な単位になってきたことを指摘しているのだ。もちろん家族には出産や育児という人間の根源的な生命活動の拠点になって来たという重要な使命もある。しかし、家族がその本質を変質させ、人が生きていく上での桎梏(しっこく)にもなりうることを我々も指摘してきた。それはニュースタート事務局の発足時から「家族を開く」というスローガンを掲げてきたことからも知られている。私たちは「引きこもり」の支援を目的にする実践的な運動団体であり、特定思想を啓蒙しようという意図もないので「家族を開く」というテーマを特に解題しようとはしてこなかった。家族には前述したように重要な役割もあり、殊更に家族を敵視しようとは思わない。しかし、人間の個への解体が進み、それを隠ぺいするように家族への回帰とか絆とかが叫ばれ、個の尊厳が脅かされるとき、ときにはあえて「家族解体」を呼びかけてきた。私には家族というものが本質的に悪い存在だとは思えない。家族は原始から共同して人間の生存を支え、共存して生命を育んできた。近代になって、労働力の再生産や徴税の効率性から核家族化が推進され、家族は孤立化や競争の激化にさらされていった。育児をめぐる環境も共稼ぎや少子化、祖父母との別居、コミュニティの解体などで貧弱化し、引きこもり現象の大きな原因になっている。「家族を開く」は家族を競争の主体として孤立化させるのでなく、コミュニティの中に溶解させ、個の連帯を呼びかけるものである。個の孤立化は家族を株式会社による支配の道具に堕落させる原因となる。

NFOの呼びかけは「窯(かま)の会」という集まりの呼びかけとなっている。NPO法人日本スローワーク協会が運営する喫茶コモンズの石窯を借り受けて「何でも石窯で焼いて食べよう」という集まりである。まだ先日第1回が開かれたばかりであるが今後毎月第1と第3日曜日の午後2時から開かれるそうだから参加してほしい。もちろん引きこもりでなくても、ニュースタート事務局やスローワーク協会のメンバーでなくても参加自由だそうだ。第1・第3日曜日というのは第2・第4日曜日が鍋の会の日だから、鍋の会がない日を選んだのだろう。これで第1から第4まで毎週日曜日には鍋の会か窯(かま)の会があることになる。鍋の会と釜の会、愉快ではないか。ここでも高橋淳敏氏のパロデイ精神を感じる。鍋の会は共食共同体であり、食卓さえ共有しない現代人が他人と友達になれる場として千葉のニュースタート事務局が始めた宴会であるが、関西でもすぐにまねをして今では200回以上も続いている。窯の会も共食共同体の精神は同じで非家族組織の恒例行事としては相応しい。窯という字は石窯を利用するからこの文字を使用しているが、釜が埼の釜でもよいし、労働の象徴としての鎌でも良い。婚姻という制度から疎外されているおかまちゃんのカマでも良いではないか。

最初から家族を否定しなくても良いが、家族から疎外された人は家族にしがみ付かなくても良いのではないか。上野千鶴子氏(東京大学大学院教授・社会学)によれば今では家族ではない共住者は大勢いるそうだ。離婚したシングルマザー同士、非婚者同士、性同一性障害者同士の同棲など。家族という形にとらわれないでも人は孤独では生きられない。そういえばニュースタート事務局の共同生活寮でも本来は縁もゆかりもなかったはずの人たちが、家族ではない共同体として暮らしているではないか。

NFOというネーミングがあまりにもニュースタート事務局関西の理念や活動にぴったりだったのでてっきり高橋淳敏氏のオリジナルな発想だと思い込んでいたのだが、高橋氏に聞くと野宿者問題などに詳しい生田武志の言葉だという。生田さんなら私もお会いしたことがある。野宿というのはもちろん失業などの経済的要因で家を失い、同時に家族も解体されてホームレスになってしまうことだがこれもNFOにふさわしい。非家族というのは家族や家を否定するわけではない。家や家族にこだわりそれにしがみつくことはますます家族やその制度を支えるシステムに支配されることにならないか。

 『燐寸擦る束の間の闇に海昏し身棄つるほどの祖国はありや』

寺山修二のこの歌には祖国への決別とともに祖国への痛恨の愛を感じる。寺山の「家出」のように痛恨の愛をこめた非家族ノススメを言おう。

2009.04.27.

コメントをどうぞ
(※個人情報はこちらに書き込まないで下さい。ご連絡が必要な場合は「お問い合わせ」ページをご覧下さい)

Panorama Theme by Themocracy | Login