直言曲言 第260回 「子ども 」
子ども時代って何だろうか。平均寿命80年として、小学校卒業までが子どもだとすれば人生の七分の一。未成年は子どもだとすれば四分の一。私のように六十歳を過ぎたおじんからすれば子ども時代ははるか懐かしい昔のことだが、はたちそこそこの若者からすればついこの間まで、つまり人生体験のほとんどは子ども時代のこと。三十歳を過ぎていても、まだ子どもの頃の記憶が生々しく、大人体験よりもはるかに長いことになる。この重要な子ども時代のことを考えずに、大人の立場だけで引きこもりを判断してはいけないのではないかと考えた。
私は子どものころ貧しかった。家もなく学校にも行けなかった。父は病弱で生きる意欲をなくしていた。大阪の天王寺公園で野宿しながら浮浪児生活をしていた。10歳ころいろんなことをしながら生き延びるためのお金を稼いでいた。まともに働ける年齢ではなかったので物を拾ってお金に変えることがほとんどだった。金属くずはお金になりやすかった。鉄や銅、真鍮(しんちゅう)などである。真鍮というのは今の若い人はあまり知らないかもしれないが、銅と亜鉛の合金で黄銅と言われる金属でさびにくく硬度もあり高価で取引された。ドアノブなどの真鍮製品が多く、銅の電線などと並んでお金になる拾いものであった。当時はまだ朝鮮戦争の名残なのかカネヘン景気が残っており、金属片を探すだけでも結構なおカネになった。と言っても大人は金属泥棒を職業にする人はいたが、10歳前後の子どもにそんな知恵はなく、金属片を拾い集めるだけでは1日100円程度がせいぜいであった。その頃お金になりやすかった仕事としては流行りかけていたパチンコ屋さんに入って落ちているパチンコ玉を拾うことであった。通路に落ちている玉を拾うだけでなく、機械の受け皿の中に隠れている玉も失敬した。たまに拾った玉で弾いてみると運よく入ったりするので景気の良い時には大人の1日分の日給ほどになったりした。もちろん違法行為なので、パチンコ屋の店員に追い払われたり、出入り禁止されたりした。
私としては生きていくために必死で見つけ出したお金を稼ぐための手段であった。他人の物を盗んだり、人を脅して奪ったりしたことはないが、当時にしても良識者から見れば眉をひそめる不良行為であっただろう。ひもじい思いもしたし、寝る家もなく寒い思いもした、人が殺されるのも見た。何よりもつらかったのは同年齢の子どもたちが学校に通っているのに自分は学校に行けていないことで、生きていく上で違うコースを歩まされているような気持であった。(参考;Voice「自分が自分で何であるかをあるときめた頃」」)
昭和33年釜が埼に住んでいて私は「不就学児一掃運動」というのに救われた。小学校も卒業しないままに中学1年生に編入された。浮浪児から普通の子どもに変身したのだ。当時は喜びいっぱいで学校が楽しくてしようがなかったのだが、いつかもとの境遇に引き戻されるのではないかという不安がよぎった。二度とあんな生活に戻りたくなかった。浮浪児だった12歳までの子どもの頃にいろんな嫌な知識を身につけた。その頃自分の頭の中には子どもらしからぬ嫌な知識が詰まっていた。人間のいやらしさ、醜さ、世の中の不条理、宇宙の不思議さ、神というのは実際には姿を現さないこと。ありとあらゆることはたったの12年間に自分が体験したことであり、この頭の中で考えたことなのだ。私は大人になることを恐れた。これ以上人生の嫌な知識を得たくなかった。他人にはこの感情をどう伝えればよいのか分からなかった。高校生になってようやく「成熟を拒否する」という表現を得た。何か高尚な哲学のように受け取る友人もいたが要するに「大人になって悲しい知識を得ることを拒否する」という意味だった。
共同生活寮を運営していると「万事良好」というわけにはいかない。たいていの若者は入寮したその日から素直で元気になるのだが、何ヶ月経っても寮生活になじめず何をしたいのか分からない人がいる。何を聞いても無気力で友達づくりもせずにアルバイトをする意欲もない。あるとき聞いてみた。「今まで生きてきていつが楽しかった?」すると「ここに入寮する前、親と一緒に住んでいた時」と答える。驚いた。ここに入寮する前と言えば、引きこもりの最盛期で、親は入寮を望み、一番悲惨な時期だったはずなのに…。私たちはこの状況を「看過出来ない」とみなして親の要請によってではあるが、NSPを派遣して本人を救いだしたつもりつもりだが、本人は「一番楽しかった」境遇から、悲惨な環境に連れ出されたと思っているなんて。残念なことだが、親や私たち支援団体と本人の価値観は真逆の方向を向いているのだ。親は大人として自立することを含めて「こうあって欲しい」と考えているが、本人は単純に子どもであった昨日までの自分にしがみ付こうとしている。こうなればどちらが正しいという問題ではない。
子どもはある時期まで無知の存在でいられる。何かを知らないからと言って他人にとがめられはしない。生きていることを邪魔されることもない。無条件にかわいがられる。親もそれはなぜかということを考えはしない。あえて言えば「子どもだから」ということだけだ。多少理屈っぽく考えたとしても遺伝子やDNAのなせるわざと言ったところだ。未来永劫に子どもでいられたらいとは思うのだが、ある日ある時子どもは子どもでなくなる。その子自身の責任ではないはずだ。親が子供を産んだという事実がなくなるわけではない。親が親であり子どもが子どもであった時期を卒業してしまうわけだ。もちろんこれは人間だけに限らない。立派なたてがみを持った雄ライオンが雌ライオンのおっぱいをしゃぶっている姿など見たことがない。ものすごくさびしいことかもしれないが、生き物はみなこうした時期を過ごして種が保存されていくのだ。
それが倫理的に良いことか悪いことかは別にして、子どもの頃の楽しい思い出の中に浸ろうとするのはそれほどいけないことであるとは思えない。子どもが大人になっていけば否応なく悲しいことを知っていく。働かなくてはならないなんて。いつまでも親の懐の中でぬくぬくと過ごしていてはならないなんて。知ってしまった悲しみに打ちひしがれて、震えて泣いているのだ。そんな子どもたちに、人の道を説いて引きこもりから出ておいでなんて、いくら努力をしても無駄なのではないか。子どもたちが引きこもりになってしまったら、無理やり引っ張りだそうとするのではなく、本人がそれに気付いて、自らそこから出てこようとするまで待つしかないのだろうか。知ってしまった悲しみを忘れてしまうまで。
2009.04.21.