直言曲言 第244回 「棄 民」
棄民(きみん)とは民を捨てること。棄(す)てるというのだから棄てる主体がある。国家が自国民を棄てるのである。先の敗戦時に戦地にいた自国民、中国本土や樺太にいた日本人が現地に置き去りにされた。中には軍の司令によりわざわざ現地に放置された例もある。戦勝国の捕虜にならざるを得ないが、国家は何の対策も打てなかった。つまりは自国民を見捨てたわけである。随分ひどい話だが、敗戦時で占領軍に支配され、国民を救う能力がなかったわけだから致し方がなかったとも言える。尤も弱小国なら仕方ないが、アジア諸国を蹂躙し米英相手に戦争を仕掛けた軍事大国であったのであるから国家の責任は重い。これは国家意思が発揮できずに棄民してしまった例だが、戦後、特に最近は国家の恣意的な意思による棄民が目立つようである。私が一種の棄民であると思うのは若者の引きこもりである。引きこもりは就労問題であるというのがわがニュースタート事務局関西の主張だが、学校を卒業しても、中退もだが、就職できないというのは棄民と同じような若者を見捨てている政策だ。これは国家というより企業の人事政策のせいだが、そんな企業を優遇し企業の海外進出や海外での求人を奨励または放置しているのは自民党政権・すなわち現在の日本国家ではないか。若者の将来を見捨ててしまった国の将来はあるのだろうか。
これは私なりの見方であり、すべての人がにわかに同意してくれるとは思っていないが、もうひとつ「棄民」だといえることがある。「後期高齢者医療制度」である。「後期高齢者」とは75歳以上の老人を指す。日本では65歳以上を「老人」と言い、75歳以上を後期高齢者という。日本人の平均寿命が男79歳、女85歳くらいだから平均寿命間近な人々を「後期」と呼ぶらしい。もちろんこの年代の人に大変失礼な分類の仕方だが、「後期高齢者医療制度」の問題点は制度の呼び名だけではない。マスコミがこの点を問題にしたので却って制度そのものの問題点があいまいになったくらいだ。
そもそも「医療保険制度」とは多数の人々が加入し、相互扶助により医療費の高額負担のリスクを避けようとするもので、この制度は日本が世界に誇れるもので、この制度のおかげで医療が普及し、日本の平均寿命が世界一になったのもこの制度のおかげだといえる。アメリカにはこうした全員加入の公的医療保険制度のようなものはなく、私的な商業保険として有料で加入する保険しかない。だからお金持ちは保険に入れるが、貧乏人は病気になっても保険に入っていないので医者にかかるのに高いお金がかかる。日本の医療保険は大別して国民健康保険と被用者保険に分かれていて、被用者保険には組合管掌健康保険と政府管掌健康保険がある。組合管掌健康保険とは大企業の社員が入る健康保険組合のことで、政府管掌とは主として中小企業の社員などが入る健康保険である。この2つに入っていた人でも退職すると国民健康保険に入ることになる。だから国民健康保険の加入者の平均年齢は被用者保険の加入者より高く、しかも平均年収も低い。平均年収が一番高いのは組合管掌健康保険、つまり大企業社員の組合員で、次いで政府管掌健康保険ということになる。大企業健康保険組合員の年収が高く、福利施設なども充実しているため健康管理も行き届き、病気にかかる率も低い。次いで政府管掌健康保険であり、国民健康保険は企業退職者も含まれ平均年齢が一番高く、自営業者や無職者層も含むため、健康管理も不十分なため病気にかかりやすいため医療保険費も支出過剰になりやすく、赤字になりやすい。最近は医療費の高騰などで、各保険とも赤字が言われており、医療保険制度の見直しや税負担の増額もいわれている。
確かに保険支出が赤字化するのはお年寄りや病弱な人々の医療費が高額化するからであろう。後期高齢者医療制度というのは、75歳以上の人々だけで独立した医療保険制度を確立し、その中で独立採算で運営しようというのである。75歳以上であるから当然罹病率も高く、医療費も多くかかる。そこで75歳以上の人だけを別枠にして、独立採算で運営しようというのである。採算性が悪いので自己負担率も高くなる。そもそも保険というのは健康な人も病弱の人も一緒にして相互扶助により負担を軽くしようとするものである。病気にかかりやすい人だけをひとまとめにしようとする発想法そのものが悪知恵としか思えない。まさに棄民的な政策と言わざるを得ない。国民健康保険という弱者保険枠を設けながら、そこからも排除して高負担を押し付けようとしているのである。福祉国家なら、高齢者はこれまで一生懸命働いてこられたのだから、医療費は無料にして安心して老後を迎えて下さいとしても良いと思うのだが…。
これでは75歳以上のお年寄りが「早く死ねというのか」と言って怒られるのも無理はない。「楢山節考」で知られる姥捨て山と同じ考え方である。健康保険組合は相対的に保険財政が豊かなのであるから赤字の出やすい国民健康保険と一本化して一体運営すべきものである。それを75歳以上を分離して赤字を減らそうとするのは弱者切り捨てでしかない。前回直言曲言で「社会的排除-いじめ」を論じたが、後期高齢者医療制度も弱者を社会的に排除しようとするいじめである。保険制度の改悪をする側の論理は医療費は自分自身の保健努力など自己責任で負えというものであろうが、自己責任で負いきれないから国家責任があるのではないか。これでは日本の医療の発展を支えてきた日本の誇りでもある医療保険制度を崩壊に追い込むものである。本来なら保険制度そのものを一本化して、老人も社会的弱者も社会的に包摂していくのが保険思想である。
「自己責任」という言葉はよほど使い勝手の良い言葉らしい。弱者が破たんした時、それを救済すべき時に安易に自己責任と言われる。「あんたら勝手に努力しなさい」というものだ。それなら今度の世界的金融危機で金融機関を救うための公的資金投入などすべきでない。大企業が金融取引により、ぼろもうけをしてきて資本主義的自由の中で発生した金融危機。危機と言ってもぼろもうけのシステムに亀裂が入っているだけであり、庶民生活には直接には何の影響もない。そこに公的資金を投入して金融機関の倒産を救うというのである。公的資産とはわれわれの納めた税金そのものである。金融機関の倒産危機とは自己責任そのものである。その危機を公的資金投入で救うというのは、国家が大企業や金融機関を自己そのものと認めているのである。一方翻って75歳以上の老人や弱者に対する責任は感じていず、棄民しようとしている。
2008.10.28.