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直言曲言 第229回 「暴力は親に向かう?」

By , 2008年6月1日 12:12 PM

ニュースタート事務局関西のホームページの表紙には私宛の質問者のためのメールアドレスが表示してある。もちろん相談は無料である。それほど多い数ではないが、年間50~100通くらいの相談メールが来る。たいていは即座にレスポンスメールを出す。「たいてい」と書いたのは、悩みごとの相談であるらしいのだが、よく読むと何の悩みだか分らないことが多いのである。あれこれと自分の置かれた状況が書いてあるのだが、何が一体悩みなのか読み取れない。それと、差出人の名前が書いていない。匿名のメールにいちいち腹を立ててもいられないが、住所も性別も年齢も書いていない。ホームページの掲示板や新聞の投書欄なら匿名も許されるだろうが、相談メールにペンネームも性別・年齢も住所も書いていないのには驚く。年齢も性別もなければ相手の状況もわかりにくい。名前がないので、時折返事を書くときに「名無しの権兵衛様」などと皮肉を込めて書くことがあるのだが、自分の非を棚にあげて「逆切れ」してしまう人がいる。常識とか礼儀とか言う前に、自分の伝えたいことが正確に伝わるかどうかを考えてほしい。

引きこもりの人の悩みというのは何が悩みなのかがわからないという、不定形の悩みであることもあるので、クレームをつけても仕方がない。とりあえず、相手の気持はわかるふりをして返事をして、次のメールを待ち、だんだんと相手の本音を引き出して行こうとするのだが、それっきり返事が来ないこともある。匿名のメールなので、それ以上追いかけようがない。非通知設定で間違い電話をかけられたようで、文句の言いようもない。理不尽なことはなはだしい。メールアドレスの公開などやめようかと思うこともある。

最近もこんなメールが来た。父親の許しを得て、父親と同じ仕事をするようになったという。学生時代から気分が晴れず、抑うつ症状や人と口をきくのが億劫であったという。精神科に通ったり、催眠療法も受けた。両親は息子の状態に同情的であれこれ気を使ってくれるらしい。両親に不満があるのでもないらしい。仕事の種類に不満があるわけでもない。それでも相談メールが送られてくるのだから、何かの不満があるのだろう。この人は、自分の置かれた状況に満足していない。文章を読めば、十分に理性的であり、自覚的であることが分かる。引きこもっている人はこんな人が多いのではないかと思う。人づきあいがうまくできないで、対人恐怖があるようなので、それなりのアドバイスをしたつもりだが、こんな人は自分から道を切り開くことはできないだろうな、と思った。

気の毒だが、全くの無職というわけではない。満足してはいないらしいのだが、日々仕事をしている。親や親族から、仕事をしなさいというプレッシャーを受けることもない。仕事は一人でやる室内仕事らしく、他人と接触することが少なく、報酬もそれほど多く何いのだろう。しかし、報酬の不満を漏らすなどはしたなくて、この人の知性が許さない。人との付き合いがなく、不満ではあるが、そんなことも他人に訴えるべきことなのか?自分自身が引っ込み思案であるだけなのではないかと思っている。要するに他人に訴えるべき突破口が見つからないのだ。強烈な不満や不満の対象があれば、それを相手にぶつけることもできる。私たちの時代の反体制運動もそれではなかっただろうか?暴力が体制に向かったのである。今の時代、若者には自分たち青春の悩みが何であるのか分らない。確かに、今の社会は、若者のエネルギーを活用してくれようとはしない。一見、何不自由のない豊かな社会である。親たちにも子どもたちの不満の内容が分らない。子どもたちの一部は仕方なく、理解をしてくれない親たちに暴力や不満を向ける。親たちはその暴力を怖がるだけで、精神科やカウンセラーに逃げ込もうとする。暴力を恐れるのは分かるが、若者が満たされない不満や怒りを暴力で表そうとするのをすぐに警察沙汰にすべきなのだろうか?少なくとも一度はその暴力を受け止め、その背後にある要求を聞いてあげる必要があるのではないか?

親に暴力を向ける若者はまだ恵まれている。つまり不満のはけ口を見出したのだから。親に簡単に逃げられ、不満のはけ口さえ見つからない若者はどうすればよいのか?先ほどのメールの青年などは、親にも暴力をふるっていない。自分の不満が何であるのかさえ分からないいのだから、仕方がないだろう。これはもう少し自分の不満を熟成する必要がある。不定形の不満を熟成した果てに何がある?それは誰にも分らない。正しい不満のはけ口を見つけたとき、エネルギーは解決の糸口に向かって流れだすだろう。出口を見つけ出せないまま、蓄積されたとき、それはいつかは爆発するだろう。

若者の不定形な怒りが突然何ものかに噴出する時、社会的にも話題にされる悲劇的な事件が起きるのを何度も見てきた。私は若者の暴力を肯定するものではない。しかし、若者が最後の怒りを暴力として噴出させるまで、若者の怒りに無関心を決め込むこの社会にもっと怒りを感じる。彼らの怒りは暴力を恐れる親たちによって警察沙汰にされたり、早めの逃亡によって有耶無耶にされて良いものだろうか?実際には、暴力からの親の逃亡によって、何事も起こらないことが多い。それは、若者たちが不定形な不満や怒りを忘れてしまうからだ。その意味では暴力からの逃亡を勧める二神能基氏の『暴力は親に向かう』は正しい。意外に淡白で忘れっぽい引きこもり青年の特性を経験豊富な二神氏は見ぬいているのだ。

私は二神氏を含めて、ベテランの大人たちに足元を見られてはならないと言いたい。なぜ、あなたは現状に不満なのか?今はまだ分からないのか知れない。それなら、そのことが分かるようになるまで引きこもっていて良い。そのことを言葉で告げられるようになるまで沈黙していればよい。残念ながら、その不満を暴力で表現しても、解決にはならない。今まで、そのためにどれだけの人が傷つき、どれだけの人が殺されてきたのか?そして、暴力をふるった人も死刑にされた人が少なくない。しかし、死刑を賭して行われた暴力も誰からも理解されず、本来狂気の沙汰であるなら、無罪となるはずだが、無残にも半ば狂気の沙汰の犯行として葬り去られてきたではないか?若者たちよ、今の君の不満を恥じることはない。ただ、君の不満は中途半端なのだ。不満の原因をもっともっと深く探り当て、地底から沸き起こる泉のように噴出させよ。君が対人恐怖や人間不信に陥った理由は何なんだ。そのことに目覚めたら、私はあなたのご両親に代わって、あなたの暴力でも、あなたの暴言でも喜んで受けよう。

2008.06.01.

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