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直言曲言 第226回 「荒唐無稽」

By , 2008年5月12日 12:06 PM

最近行われた2つの刑事事件裁判の結果について強い違和感を覚えた。一つは東京渋谷の暴力夫バラバラ殺害事件である。ドメスティック・バイオレンスから逃れるためとは言え、夫を殺害し頭部・胴体・手足をバラバラにしてしまうなどかなり猟奇的な事件である。被告の女性に対し、弁護側・検察側双方は精神鑑定を行った。鑑定の意図としては弁護側は精神異常であることを立証して刑事責任のないこと、検察側は逆に精神異常ではなかったとして有罪の根拠としようとしたことは明らかである。ところが、鑑定の結果弁護側・検察側双方の鑑定人は夫の暴力のPTSDの結果、事件当時の被告は心神喪失状態であったという鑑定結果を報告した。検察側には大いなる誤算で、「鑑定結果は信用できない」とした。判決は、鑑定の信用性には直接触れていないが、刑事責任能力ありとして懲役15年が下された。

検察側が「信用できない」とするなら最初から精神鑑定などしなければよいのだが、検察側の立証意図は覆されているのに、検察・弁護双方の鑑定結果を否定するなど刑事訴訟法の手続きを無視した判決はまるで「裁判長こそ神様だ」と言わんばかりの傲慢な判決であると思う。いささか旧聞に属するが、連続幼児殺害事件の「宮崎被告裁判」の際、検察・弁護・裁判所の三方が精神鑑定をし、三方がそれぞれ異なった鑑定結果を出したことがある。医学という自然科学によって、有罪・無罪などの根拠を示そうとしても、結局いずれも恣意的で信頼する根拠などないことが明白になっているのに、このような立証手法がいまだに通用(今回は図らずも通用しなかったが)しているところに、司法制度の信頼性のなさがある。いずれにしても、精神医学というのが、自然科学の名に値しないのは、司法制度も同様だが明々白々である。

もうひとつ強い違和感を抱いたのは、山口県光市の母子殺人事件の差し戻し控訴審判決。事件は有名で、当時18歳の少年が母子を殺害した事件。一審の地裁、二審の高裁ともに無期懲役の判決であったが、最高裁で「刑の量定が著しく不当であり、これを破棄しなければ著しく正義に反するとして、差し戻し控訴審判決を破棄し、死刑の選択を回避するに足りる特に酌量すべき事情があるかどうか」について広島高裁に差し戻された。この最高裁判決そのものが不遜であり、「特に酌量すべき事情があるかどうか」と一応疑問形にはなっているが、その前段で「著しく正義に反する」などと断定的で、下級審に対して高圧的な差し戻し判決である。

一・二審では被告は殺害や死体姦の事実関係について争わなかった。無期懲役の量刑不服として検察側が上告した最高裁において元少年の被告は「死体を姦淫したのは(以前読んだ小説においてそうであったように)生き返ると思ったから」「( 赤ん坊の死体を押し入れに投げ入れたのは)ドラエモンが何とかしてくれると思ったから」と供述し始めたという。最高裁及び差し戻し審の広島高裁は、この供述を「荒唐無稽または合理的な疑い」のある供述として斥け、一二審の無期懲役を翻し、死刑の判決を下したのである。「死体を姦淫すれば生き返る」というのは小説家の空想の設定であり、荒唐無稽や合理的疑いなどと裁判所にご託宣頂かなくても分かる事柄である。ドラエモンが何とかしてくれるとの考えが幼稚かどうか以前に、ドラエモンなる存在自体が荒唐無稽な空想上の産物である。弁護側が被告のこの主張を信じて無罪を主張したなどとは思えない。ただ、被告の元少年はこの程度の無知であり計画的な殺意などなく「傷害致死」の認定を求めたものである。

裁判所は死刑を免れるためにこのような荒唐無稽な弁解をし、反省の情がないとして、無期懲役を覆し死刑判決を行った。元少年は貧しい家庭に育ち、幼児期に母親を自殺で失っていた。母親に甘えるような気持ちが暴行の動機だという。殺人を行った元少年の心情に合理的な理性など存在しなかったとは思う。合理的な殺人など存在しないと思う。不自由なく育ち、大学を出たであろう裁判官に元少年の心情など理解できたであろうか?おそらく理解できないというのが私の推理だが、それを荒唐無稽というのは裁判官の理解力不足であり、無期懲役を死刑に修正する根拠などない。

死刑による殺人を合理的・理性的と呼ぶつもりだろうか?もちろん私も元少年のこの犯罪を無罪などと主張するつもりはない。たとえ無知であれ、荒唐無稽であれ、狂気の末であれ、犯罪を犯した者にはそれなりの刑罰を下すのが当然である。当時少年であったことや、不幸な成育歴を背負ってきたことはそれなりの情状として判断すればよいのである。すべての犯罪に情状酌量の余地などないというなら、はたして裁判など行う意味があるのだろうか?被告の言い分に合理性がなく、荒唐無稽だというなら、精神異常を疑うべきで、今の刑事訴訟法では無罪となるのではないか?裁判官にはその程度の合理的判断さえできなかったのだろうか?

これについてはもう一つの驚くべき事実が伴う。茶髪の弁護士タレントとしてテレビの食べ歩き番組などに出ていたお調子者はこの事件の弁護団に対して懲戒請求をすべきだとしてテレビで呼びかけ、全国から広島弁護士会懲戒請求が殺到したという。弁護士というのは被告の利益を守るのが職務であり、その職務上の主張で処罰など受けない。4000に及ぶ懲戒請求が集まったが、あまりの、反響の大きさに驚いた弁護士自身、やはり彼も弁護士、懲戒の煽動という異常さに気付いたか、弁護活動自体を批判してはいないとか、不満があれば懲戒請求する方法もあると話しただけなどと弁解した。いずれにしても人権を守るはずの弁護士がその弁護士活動を否定するなど法律家以前の人権感覚が疑われる。この裁判については弁護団批判を含めて、インターネット上で様々な論争が繰り広げられている。興味のある人はご覧になればよい。ただ、残念なことに元被告少年や弁護団を批判する発言が大部分である。

母子を殺害して、死体を姦淫したという事実は元少年がいかに弁解しようと重罪であることは事実である。マスコミジャーナリズムにしても、インターネット上の発言者にしても被害者に同情して元少年を非難するのは自然な感情ではあるだろう。自分が犯人の側であったらと想像する人が少ないのは平和な社会だと安心すべきことなのだろうか。想像力の欠如した危険な社会と思うのは私だけなのだろうか。世界のすべてが検察官や警察官など人を取り締まり罰する側の人間になるということは大量破壊兵器の所在を疑ってイラク戦争をはじめて無辜の民を大量殺戮する側の国を支持する人ばかりになりそうな予感がしてしまう。

2008.05.12.

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