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直言曲言 第225回 「塾」

By , 2008年4月23日 12:03 PM

タイトルが「塾」だから慶応義塾の話から始めるのではないが、まずは早稲田・慶応の話から始めよう。慶応義塾大学といえば、昔からお坊ちゃま大学、つまりはお金持ちの子弟が入学する大学だと思われていた。早稲田といえばバンカラ、慶應はスマートというのが定説であった。創設者の福沢諭吉が一万円札の肖像になっているから慶応がお金持ちの大学というわけではない。それなら早稲田の創設者・大隈重信候は貧乏だったということになってしまうではないか。別に授業料にそれほどの差があるわけではなかろうが、長年の間についた校風あるいはイメージであろう。そういえば関西でも関学や同志社は金持ちイメージ、関西大学や立命館は質実なイメージがある。ただしこれは数十年前の私が学生時代のイメージである。今の「関関同立」にそのようなイメージがあるかどうかは知らない。

ところでクイズです。今のお金持ち大学、つまり学生たちの親の所得が一番高い大学はどこでしょう?答えは「東京大学」らしい。「らしい」というのは最近このような調査が行われているのかどうかは知らないからである。私が大学生の頃、つまり約40年前だが「大学生協連」というとところで調査したところによると東京大学の学生の親が最も所得が高かった。このような調査があろうとなかろうと、東京大学の学生の親は「お金持ちである」というのは常識であるようだ。というのは、お金持ちの子どもでなければ、塾や予備校に行ったり、東京大学に入学するだけの学力は付けられないからだそうだ。

私たちが若い頃、まだ大学に入る前の頃は、私立大学というのは入学金や授業料が高く貧乏人の子どもが大学に行こうと思えば、授業料の安い国立や公立にいくのが常識であった。今では国公立大学の授業料も上がったし、日本全体が豊かになったせいか、経済力で国公立か私学かを決めることはなくなったようである。それよりも偏差値の高い大学に入ろうと思えば、塾や予備校に通わなければ入れないというのが常識になり、金持ちでなければ子どもを東京大学になど入れられない時代になった。私は昭和39年に京都大学の法学部に入学したが、おそらく京都大学でも東京大学とたいして事情は変わらないだろう。

東京大学であろうと京都大学であろうと、いまどきの一流大学に入ろうと思えば塾や予備校などのいわゆる補習授業を受けなければならないのは常識らしい。私(63歳)が若かった頃は、まだまだのどかだった頃なので、自慢しているわけではないが、塾へ行く人などめったにいなかった。公立中学や高校へ行くのが普通で、私立高校へ行くのは公立高校に合格できない子だった。いつの頃からか、大学進学したい子(させたい親)は私立高校や私立中学を選ぶ人が多くなった。校内暴力などで公立学校が荒れるので勉学に集中させたいなどと親は言うが、私立の進学教育を選ばせているのが実情ではなかろうか。いずれにしても、受験勉強のためには公立よりも私立の方が有利だというのが定評になっている。しかも高校だけではなく、中学から中高一貫制の学校を選ぶというのが全国的な傾向になってきている。東京では私立中学に進学する人が全体の20%を超えている。もちろんわざわざ選択しているのだから、中高一貫制で、東京大学をはじめ一流大学への進学率の高い超有名校である。私立中学と言ってもいまどき驚くには足らないが、当然小学校時代から受験準備をしているわけで、塾に通うなど当たり前のことである。このようにして小学校時代から塾に通わせられるお金持ちしか東京大学に行けないような社会が出来上がるのである。生活にゆとりがなければ塾にも通わせられないというのは仕方がないかもしれない。

私が子どものころにも学習塾はあったが、勉強ができないから「仕方なく」通わせられるものであった。私の通った中学は大阪でも最貧地区にあったので塾の話など聞いたことはなかったが、お金持ちや商売人の多い地区には塾も多かったであろう。塾に通うことなどは学校では話せない秘密だったのではないか。最近の東京の区立中学では「夜スペ」と称する課外授業が行われているようだ。夜スペとは夜間スペシャル授業のことで、公立中学で毎日夜間に塾の講師を招いて補修授業を行うのである。もちろん有料で授業料は月間1万8千円ほどだそうである。これでは塾は学校公認どころか、公立学校が推奨している有様である。塾を敵視するのではないが、貧乏人の子弟は夜スペなど受けられないではないか。公立教育機関がお金を払える、払えないで、公然と生徒を差別するということには唖然とせざるを得ない。有料かどうか以前に、学校が塾を運営するのは学校教育が不十分だということを認めてしまっているということだ。現に、東京大学の進学者の高校別ランクを見れば有名私立高校が並び、他府県の私立、他府県の公立高校が続いている。これでは東京の公立学校は見切りを付けられ、塾経営に走りたくなるのかもしれない。私も学生時代にアルバイトで塾の講師をしたことがある。だから塾が社会悪だとは思えない。しかし子供の頃貧乏で塾へなど行けなかった私としては、学校で教えてもらえなかったことを教えてもらっている塾は社会的なえこひいきだと思った。

東京都では高校生でお宅が貧乏なため、塾に行けない家庭のために無利子で塾代を貸し付ける制度の検討が始まっているらしい。年間15万円から20万円とのこと。これは塾の年間授業料の6割程度に当たるらしい。小学校やそれ以前から塾に行かねばならないらしい今日、高校生の塾代支援をしても遅きに失したと言わざるを得ない。小学校1年生から高校3年生まで毎年塾代を借りるとすれば250万円くらいになる。まあ、新銀行東京でミソをつけた石原東京都としては、ましな政策なのだろうか。これも格差是正のための政策なんだろう。それにしても塾というものを公認する態度は相変わらずである。塾も企業であり私立学校の一種である。これなら巨額のお金がかかっているはずの公立学校など廃止してしまった方がはっきりする。東京の高校生は塾代を都から借りて受験勉強をし、さぞかし受験競争に励むことだろう。田舎の高校生は、塾代も払えず、高校進学さえ諦めて働く人もいるというのに、何という地方格差の拡大だろう。貧富の格差というが、金持ちはぜいたくをし、貧乏人は質素な暮らしをする。その程度の格差なら許せる。格差のおかげで勉学の機会を得られず、その結果人生の選択肢を狭められたり、老齢で病弱であっても十分な医療の機会を得られないなどというのは基本的な人権の無視である。大学進学率や塾に行く、行かないの問題ではない。そこに人間性を無視した競争社会の縮図がある。

2008.04.23.

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