NPO法人 ニュースタート事務局関西

直言曲言 第224回 「質屋」

By , 2008年4月14日 11:55 AM

漢数字で一二三四五六七…はどう読みますか?いち、に、さん、し、ご、ろく、しち、…。えっ、あなたは正しく読めるのですね。私は数字の七はついつい「ひち」と読んでしまいます。私の父親は東京出身だったので「ひ」と「し」の区別がつきません。質屋のことも「ひち屋」などと呼んでしまいます。正しくは「しちや」、品質の「しつ」であり人質の「しち」なのですから当然ですよね。ところでその「質屋」のことについてご存知ですか?数字の七と音が同じことから「一六(いちろく)銀行」と言ったりします。大したことではないのですが、今の若い人は質屋のことなどほとんどご存じないのではないかと思い、一度書いておくことにしました。

昔ほど目につかなくなりましたが、今でもれっきとして存在している庶民金融機関です。最近は庶民金融機関といえばサラリーマンローン、つまりサラ金のことを思い浮かべる人の方が多いかもしれません。質屋の方は何か品物(質物)を持って行き、それを担保としてお金を借ります。高度経済成長期以降、インフレが続き、さらには1980年代以後は大衆消費時代になったため、モノの「値打ち」が下がってしまい、質物の価値も低くなり、したがって担保価値が低いので、お金を少ししか貸してくれないので、質屋利用者もめっきり減ってしまいました。庶民金融機関というように、日本中が貧しかった昔は多くの人が質屋を利用していたものです。多くの人といっても、貧乏人に限りますが、昭和30年代(「三丁目の夕日」の時代)ころまではたいていの人は利用し、知らない人などいなかったと思います。文学の世界でも、明治以降の小説を読むなら、質屋の話は頻出してくると思うので、知っておかなければなりません。

江戸っ子気質を詠んだ川柳に「女房を質においても初鰹(かつお)」という句がありますが、女房は質屋では預かってくれません。女房よりも初鰹を食べることの方が大事と強調した句なのでしょう。女房という語が出てきたついでに言いますが、昔のことですから、担保価値といってもそれほど高価なものはありませんでした。金銭的価値よりもその人にとっての必需品度の方が大事だったのでしょう。それこそ鍋釜・布団などといった生活必需品でも質屋さんは預かってくれました。大阪のスラムで「釜が崎」というところがありますが、貧しくてお釜を質に入れたといわれています。生活必需品であれば、「必ず受け出しに来てくれる」という確信がお金を貸してくれる原動力になったのでしょう。大衆消費時代になった今日では、何でもが使い捨ての時代であり、質入れした品物になど執着を持たないでしょうから、質屋さんもはやらなくなってしまったのです。

まず質屋は客が持ってきた質物の値段を鑑定する。新品の市場価格の半額程度、中古品の程度によってさらに下がる。それが質屋で貸してくれる限度額である。貸してくれたお金に対しては年108%の金利がかかる。月利にして9パーセント、月九分(くぶ)の利息である。月9%というのは「高い」とは思わないが、年利108%というのは相当に高い。かつてサラ金が始まったころも、金利の上限は同じ程度であった。しかし、サラ金の方は「サラ金地獄」などと言って高金利が問題になり、その後貸金業法も改正になり、サラ金の上下金利を取り締まる法律(利息制限法および出資法)では20%と定められている。質屋の方は「質屋営業法」で今でも108%(正確には109.8%)まで認められている。質屋の方が高金利でも、実際には「サラ金」の方に無制限貸付とか違法な取り立て『分積み両建て』など様々な悪質な業者手口があり、多額債務者を生み出すなど社会問題になっている。質屋には質物という担保があるため、無制限に貸す(借りる)というわけにはいかず、社会問題にはなりにくいという構造がある。

質屋には「質流れ」という制度があり、借り入れた日から3カ月経つと、質物を質屋の方が自由に処分しても良いという決まりがある。質屋は質流れ品を店頭で販売したり、市という流通市場で処分したりできる。質屋で借金をした人は、質物が流質しないようにするためには3ヶ月目には金利だけでも支払い、質屋に流質させないように約束してもらわなければならない。

質屋は客の質物を「鑑定」すると言った。自分が貸す金の限度額を設定するのだから慎重にならざるを得ない。まずモノの値段を知っていなければならない。こんな品物はどこで、いくらぐらいで売っているのかを知っていなければならない。預かった品物が3ヶ月経って流質すれば3ヶ月分の利息(通常は27%)ともうけを上乗せして売らなければならない。それが市価を上回っているようでは売れない。元々そんな鑑定眼など持っている人はいないのだから、市場や百貨店などを頻繁に見回り、モノの値段に精通するよう努力していたのだろう。着物ならそれが絹製品か木綿かそれともウールなのか即座に見抜けなければならない。宝飾品なら本物か偽物かを見抜けなければならない。真贋を見分けそこなって、市価2~3万円程度の品物に、5万円などという値段をつけてしまえば、その客はたぶん払い出しには来ないだろう。品物にいくら思い出があろうとも、払い出しをするよりも新しいものを買った方が得だからである。中には人情質屋というのもあって、モノの値段以上に金を貸してくれる店もあったようだ。いずれにしても質屋が隆盛したのは、モノの貴重な時代であった。今は担保品などなくても、ずっと低い金利でサラ金がお金を貸してくれる。サラリーマンローンとはよく言ったものだ。サラリーマンとは勤め先がはっきりしていて、毎月の収入が安定しているのだ。たいていは健康保険証など、身分を証明する書類があればよい。モノの担保がなくても、身分が担保というわけだ。

実は私自身質屋に行った経験はない。母はよく質屋通いをしていた。母は質屋に行く時、近所の質屋を避けて、知らない町の質屋へ行っていた。そのころはみんな貧乏だったが、さすがに質屋通いは恥ずかしいことのようだった。近所だと知った人に見つかるとキマリが悪いのだそうだ。それを「顔がさす」と言っていた。さすとは射すの意味らしい。つまり知った人の視線に射すくめられるというのだ。引きこもりの若者にも、視線恐怖という神経症の一種がある。質屋通いで「顔がさす」というのは神経症ではなく、正常な感覚だろうとは思うが、他人の視線に射すくめられるという感覚はいまどきの若者の視線恐怖に似ている。ひょっとするとその当時の質屋通いの主婦に対してよりも、現代における引きこもりの若者に対する視線の方が、辛辣なのかもしれない。

2008.04.14.

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