直言曲言 第209回 「オタク」
あるときこんなことを言われた。「あなたのマイブームについて話してください」。咄嗟のことで『マイブーム』の意味が分からない。戸惑ってしまった。鍋の会の自己紹介タイムのときのことである。鍋の会では話したくない人は話さなくてもよろしい、と言うことになっている。でもニュースタート事務局の本音としては大いに話してほしいと思っている。自己紹介名人になってほしいと思う程である。話したくない人は、名前と出身地しか話さない。それも蚊の鳴くような小さな声で…。だから半年ほども鍋の会に来続けている人でも名前を知らない人がいる。
自己紹介で出来るだけその人となりも知りたいから、名前以外にもプロフィールを知らせるような「テーマ」を設けている。「私の趣味」「私の好きな食べ物」「この秋やって見たいこと」大体そんなテーマだ。「マイブーム」と言うのもそんなテーマの一つだ。『ブーム』と言うのは『ベビーブーム』とか『海外旅行ブーム』と言うあの『ブーム』だろう。つまり『流行り』と言うことではないのか?私の理解するところでは『流行』と言うのは社会的な現象である。その『ブーム』と言う語に『my』と言う所有格の代名詞がついている。『オタクが今熱中していることは何ですか?』そういう意味だろう。私たちの若い頃には『マイブーム』と言うようなものはなかった。『オタク』と言うのもなかった。個人的に熱中することがないではなかったが、せいぜい「東京から神戸まで東海道線の駅名を全部言える』なんて奴がクラスに1人ぐらいいた。今で言えば「鉄ちゃん」鉄道ファンである。私も鉄道ファンの1人である。急行停車駅なら私も言える。東京・新橋・品川…。特急停車駅ならもっと簡単、東京・横浜。しかしすごい奴は各駅停車の駅名もすべて言えた。東京・有楽町・新橋・田町・浜松町…。
オタクというのは極めて個人的な偏った趣味とその持ち主のことである。万人共通の趣味などというものはありえないが、良くありがちな趣味ならさほど奇異に感じることもない。「こいつなんで、こんなことまで知っているのか?」と思うような瑣末で、さほど重要とは思えないことまで良く知っている人がいるものである。先ほどの東海道線の駅名覚えを例に挙げるなら、駅名までは普通だとしても、各駅の1日列車発着本数や始発・終着時間まで覚えているとしたら異常事態に違いない。薄気味の悪さを感じるとしても不思議でない。一時「カルト」という言葉が流行ったことがあるが、このようなオタクの中には宗教的なカルトという言葉とは別に、「非常識な」と言う意味でカルトっぽいオタクが含まれるのは事実だ。私の子どもの頃、東海道線の駅名を覚えた子どもがいたとすれば、今発着列車本数や試着・終着時間まで知っている子がいたとしても不思議ではない。これらの情報はパソコンで調べればいとも簡単に分かってしまうのだ。要するに私たちの世代が、今の世代の子のオタクに違和感を感じるとすれば、情報量の差ではないか。私たちの世代ではたとえ一つの駅でも、始発・終着の時間が何時何分か?などその駅に直接電話ででも問い合わせない限り分からなかった。
情報量の差があるから、趣味で覚えたりする領域も飛躍的に増えてしまった。それほど情報量が多いのなら、覚えたりしなくても、いつでも情報を取り出せるだろうに。それが一昔前の私たち世代の癖のように、丸暗記してしまうなんて,悪習が遺伝してしまっているのだろうか?いずれにしても、考えて見ればオタクなどそれほど珍しいことではない。特異な興味や趣味を持っているという意味では、独自性や個性があり評価しうることではないか?独自性や個性のある若者を私は好きだ。自分の考えや好みを発揮せず、世間一般の大勢に流されるような若者は支持したくない。
最近のテレビCMの中で大嫌いなものがある。それはある街角が写しだされ、何人かの若者が通り過ぎる。彼らは口々に楽しそうに『社員』『社員』と歌っている。見ると出前配達であったり店員であったりするのだが、『社員』『社員』と歌っている。どうやら彼らはアルバイトや臨時雇いではなく、正式採用の社員であるらしい。出前配達や店員が悪いとは思わない。ただ、なぜ彼らはあんなに楽しそうに歌っているのだろうか?最初は何のコマーシャルだか分からなかった。何度か観ているうちに『就職情報誌』のCMだと分かった。これまでこの手のCMはアルバイト募集の情報誌が主流だった。今回は正社員募集に限定した情報誌らしい。
正式採用の社員が『嬉しい』と言う気持ちが分からないではない。臨時雇用やフリーターは生涯賃金で正社員に比べて3分の1の賃金だと言われている。誰もが正社員としての採用を望んでいる。そんな気持ちに付け込んでの就職情報誌だとすれば『あざとい』と言う気持ちが沸いてくる。出前持ちや店員は社員であるかもしれないが、不安定雇用の職種であることには変わりがないのではないか。若者が望んでいるのは、安定身分の終身雇用の社員である。名前だけ『社員』に変えて、若者の就職意欲を掻き立てようとしているなら、『あざとい』のを通り越して詐欺まがいの行為であるといわざるを得ない。正社員希望は若者たち共通の願望だが、見かけだけの正社員募集に誤魔化せられるのは『大勢』に流される主体性のない選択だとはいえないか。またそんな『正社員』に『我が子もようやく正社員になった』などと喜んでしまう親たちでは、わが子の行く末を冷静に見守っていくことは出来ないのではないか。
繰り返すようだが、出前持ちと言う職業がいけないと言うわけではない。だが『社員』と言うのは終身雇用といわないまでも、ある程度の継続雇用を前提として採用するものだ。それに相応しい適性とか能力を前提とし、それに相応しい費用や手間をかけて採用するだろう。出前持ちにそれほどの能力や適性が必要だとは思わない。今年は、景気がやや持ち直して求人動向も良いという。社員と言う耳ざわりの良い言葉で出前持ちを採用しようとするなど公正な社会的態度とは思えない。料理屋が株式会社であるなら、板前も社員となるだろう。警備会社が株式会社なら、夜警も社員となる。社員が悪いと言っているわけでもない。出前持ちでも、店員でも板前でも夜警でも、誠実に勤めて認められれば、臨時雇いから正式採用になるだろう。社員と言う長期雇用と信用がほしければ、アルバイトから始めればよい。いや人に雇われて身分を保証されたいなどと思わずに、己の個性を大事にしていけば、誰かがそれを認めてくれる時が来るだろう。それがオタクの生きる道だろう。
2007.11.13.