NPO法人 ニュースタート事務局関西

直言曲言 第186回  「異種排除」

By , 2007年3月16日 4:46 PM

いじめは『異種排除』の一種ではないかと思う。誰でも自分と同じ気分や傾向を持つ人に合うと安心するし、親近感を覚える。それは良いのだが、自分と異なる人に出会うと違和感を覚え、不安を感じたり、憎しみを覚える人もいるらしい。 現代のように都市が過密で、多くの人が混在し肩を寄せ合って生きている時代にこんなことで良いのだろうかと思う。現在はグローバル化時代であり、海外旅行も盛ん。言語も食べ物も肌の色の異なる人との交流も盛んである。そんな時代に異種排除などしていて生きていけるものだろうか? 地球の人口は65億人を超えるという。異民族や異文化を排除しては生きていけない時代である。 ナチスドイツはユダヤ人を差別し、民族を抹殺しようとしたしたという。いじめはこうした差別の始まりであり、昔からある各地の『鬼』伝説も異種排除の結果ではないか?

各地に『鬼伝説』がある。大江山の『酒呑童子』 の話もそうだし、『桃太郎の鬼退治』もそうだ。『鬼』 はたいてい大男で赤ら顔、毛むくじゃらで、村はずれや山の中、離れ小島などに住んでいる。風貌から予測するに西洋の外国人で、難破船で漂着した漁師の類ではないか。難破して漂着したた漁師なら受け入れてあげれば良いが、山奥に逃げ込み、作物を荒らしたり、時には里の人を襲ったりもしたのかもしれない。 だから鬼退治をした人を英雄視したりするのであろう。それにしても、おじいさんやおばあさんを虐待されたわけでもないのに離島に隠れ住んでいた鬼を船で襲撃し、財宝を奪ってくるなんて『桃太郎氏』というのはとても残虐な人だ。本人が川の上流から流れてきたという異邦人だから面目を回復しようとしたのだろうか。鬼畜米英などといって米英を敵対し太平洋戦争に突入した軍部も民衆の異種排除の精神を利用しようとしたのかもしれない。

人間(生体)には体内に入ろうとする異物(異種細胞)を排除しようとする本能的な機能がある。アレルギー反応がそれだ。アトピー性皮膚炎はそのひとつ。特定抗原が体内に入るとそれを排除しようとして炎症が起きる。特定の魚種を食べると蕁麻疹(じんましん)が起きたりするのも異種排除の現われである。妊娠初期に悪阻(つわり)が起きたりするが、これも他人の細胞が体内に入り定着しようとするのを排除しようとする動きである。

いじめはクラスの中にある異物(異物だと思う主観的な考え)を排除しようとする考えだし、『村八分』も共同体の規律に馴染まない人々に対する見せしめ的な排斥である。クラスや村といった本来多種多様な人が一緒に過ごす共同体(コミュニティ)がこのような『異種排除』をし始めるということは純粋培養のような変質を遂げ始める兆しである。小学校のときからクラス全体が勉強一辺倒になり始めたり、村長を中心とする権力態勢や村外との交流を否定するような閉鎖体制など滅びに向かう兆候だと言って良い。

精神医学というのも『異種排除』の考えに凝り固まっている。精神異常というのは理解できるが、それが今のような治療法で治療しなければ治せない病気だというのは理解できない。現に精神病の治療方法というのは確立できていないし、どこからが病気だという診断方法も明確ではない。精神的なストレスなどにより、日常的な生活を送っている人より反応様式が違う人がいる。それを『異常』『病気』と便宜的に名づけているだけだ。平均値以上に『脈拍』や『体温』が高い人がいるからといって、それを直ちに『病気』とは決め付けられないのに。精神医学とはこのように科学的には解明しきれていない脳の『異常』に関する医学であるから、治療方法も確立されていない。『病状』診断も主観的な判断であるから、強制入院させるには親族の依頼や同意が必要になる。 さて治療の目的だが、人間の脳に正常と異常の境目などありはしない。仮に境界があるとしても脳波計など機械で測定できるものではない。結局周囲の人間が共同生活をして『迷惑』 を感じないかどうかという主観的な判断が基準となる。精神科医とはこうした主観的な判断をつかさどる『専門家』である。その治療法とは主として薬物療法と隔離がある。他にもさまざまな治療方法があるのだが、未確立であったり時間がかかったりするので一般に広く行われているとはいえない。中には外科的な手術により脳の一部を切除したり、電気ショックにより脳を麻痺またはその機能を死滅させるような非人間的な治療法もある。

さて薬物による治療であるが、何が異常であるかがはっきり分かっていないのだから、どのような薬物が効果を発揮するのかも分からない。 脳神経が『思考』をつかさどり、刺激と反応を伝達する経路としての神経の存在が分かっている。ある種の刺激に対して『過敏』になっているのが『精神病』や『神経症』だと考え、伝達経路としての神経を麻痺させることが考えられた。 精神安定剤とか精神病薬といってもこの程度のものである。 神経を麻痺させているのであるから、刺激に対しては鈍感になる。急性の発作症状に対しては効果がある。しかしあらゆる刺激を麻痺させているのだから、必要な反応も麻痺してしまうことになる。常用すれば『廃人のようになる』という副作用も避けられない。神経症や精神病を半ば廃人のように考えているから、投薬するのにも罪の意識などないのだろう。

もうひとつの主な治療法は『隔離』である。『隔離病棟』に入れてしまうのである。鉄格子に隔てられ、患者が逃亡できないように隔離している。懲役刑の囚人と同じである。隔離することによって、一般人に迷惑をかけないということが治療の『本音』である。精神病者を異常、異種の人間と決め付けているのであるから、治療の放棄や断念に等しい。精神医学というものの『自殺行為』であるともいえる。

分かりにくいものといえば『引きこもり』も分かりにくいものである。 引きこもりの親にしても、すぐに引きこもりを精神病と考えるわけではないが、 どう考えても引きこもりの原因が分からない。精神病だと考えれば、自分が理解できないということに説明がつく。精神科医へ連れて行き、統合失調症などの診断を受ければ、却って安心してしまっている親がいる。もう親としての努力を求められることがないからである。ただし、精神科医に委ねれば異種として排除されたり、廃人にされて文句がいえない。 精神科医といってもそれほど無責任な人ばかりではない。診断を受けた結果『子どもさんは精神病ではありません』と正直に診断結果を伝える医者も少なくない。ならばどうすれば正常な社会生活を遅れるのか医者は教えてくれない。『精神病ではない』と伝えられたときから、親の悩みは繰り返されるのである。

2007.03.16.

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