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直言曲言 第210回 「少数意見」

By , 2007年11月20日 5:39 PM

議論は長引いていた。AにするかBにするか、意見は分かれた。A派はB派を説得できず、B派もA派に有効な反論が出来なかった。これではどこまで行っても議論が尽きそうにない。議長をしていた私は『仕方がない、多数決にします。』と宣言した。『民主主義(=多数決)はあまり好きじゃないですけれど…』と付け加えた。『民主主義はあまり好きじゃない』と言う発言は後で気になった。参加者全員が民主主義者かどうかは別にして、これまで民主的な運営を心がけてきた。民主主義を否定するような発言はタブーであった。

戦後民主主義という言葉がある。『戦後』と断る以上は『戦前』または『戦中』の何かと比較しての言葉である。第2次世界大戦の戦前または戦中には軍部が独裁し、戦争に突入したと言う苦い思い出がある。軍部だけではなく、特別に神格化された天皇がいたり、天皇や軍部を取り巻く権力者がいて、一般庶民には手の届かないところで政治が行われていた。敗戦後、占領軍は旧日本の政治体制が復活しないよう、民主主義の定着を推し進めた。政治や経済においても勿論だが、とりわけ教育において民主主義の普及に力が注がれた。私(63歳)らよりも年上の世代は、それまでの教育(皇民教育)とは180度違った価値観の教育が行われた。私たちは戦後初めて教育を受けたものだから、民主主義とはかけがえのないもので、絶対不動のものと教えられた。

民主主義なるものに、あえて疑義をはさもうと言うのではないが、今年は参議院選挙で野党が与党を逆転し、来るべき総選挙では衆院でも与野党逆転があるのではないかと期待されている。選挙で何党が勝つのかは知らないが、与野党逆転が起きてもそれほどたいした政治情勢の変化はおきないと確信している。自由民主党にしても民主党にしても、彼らが嘘をついていない限り、彼らの党名には『民主』と言う言葉が入っており、表面的には民主主義を信奉しているのであり、民主主義を堅持していくのであろう。憲法を改正しようと、自衛隊を海外に派遣しようと、国会で多数決して決めていくのであるから、それらも民主主義の手法の一つに間違いないのであろう。

ここまで言えば、私が何を言おうとしているか分かる人もいるであろう。大事なことを決めようとするときに、民主主義つまり多数決と言う手法は必ずしも最良の方法ではない。多数決で、一方の意見を支持するグループに有利なように決めてしまうと言うことは、他方のグループの利益を無視することになりかねない。両者の意見の違いが、単に『好みの差』と言えるようなものなら場合によって良いだろうが、決めようとする事柄が、深刻な利害関係や、譲れない考え方の差に基づくものの場合どちらかが多数であると言うだけで決するべきではない。まして、現在の民主主義というものが、代議制民主主義、議会制民主主義である場合、議決に参加する議員は、その背景にいる民衆の利益を正当に代表しているかどうか不明である。議員を選挙する方法や、選挙をした時期によってもその代表性に疑義を生じる場合がある。利害当事者がその議決にすべて参加しているとは限らない。代表と称する代理人に運命のすべてを預けなければならないのか。エイズにしてもC型肝炎にしても国が治療に責任を持つかどうかの重大事を、関心を持たない人が多数を占める国会の多数決に託してよいのか?多数決とは単に物事を決めるだけでなく、少数者の運命を多数者に委ねることにもなりかねないのだ。

一審、二審で納得できない判決が出された場合、最高裁判所に上告することが出来る。刑事裁判で、無実を主張する被告に死刑判決が出された場合もそうだ。最高裁判所で審理がなされ、判決が出される。一、二審の判決を否定し『差し戻し判決』がなされる場合は別だが、最高裁で下級審の判決が支持された場合はそれが『三審制』の最終判決となる。無実を主張する被告に『死刑』の確定が宣告されることもある。最高裁では最大15人の判事が合議制で審理する。場合によって7:7の 賛否同数で裁判長の採決で8:7 で死刑が決まることもある。14:1なら簡単に決まってしまう。反対意見が一人の判事でも、少数意見として記録される。しかし、記録されることが何になるだろう。死刑判決が執行されてしまえば、少数意見があったことなど何の影響もない。

多数決とはこのように少数者の命運を左右しかねない。それは仕方がないとしても、多数決が最も正しい民主主義的な方法だと信じ込んでいる人が多いのでタチが悪い。戦後民主主義などという言葉があり、それでも保守政治に蹂躙されてきた人々が、民主主義に憧れてきたので、民主主義が最良のものとの誤解や信仰に近いものが生まれて来た。
この夏の参院選で与野党が逆転した。衆院と参院では多数派が異なるので『ねじれ国会』などという奇妙な言葉が流行している。自民党は『国会で法案が通らない』と嘆いている。私は『それはそれでよいのではないか』と思っている。洋上無料石油スタンドの法案など国会で通らなくても、国民は誰も困りはしない。大連立などされた日には、自民党と民主党の共通案件としては憲法改悪などが出てきかねない。政策協議が良いか悪いか知らないが、民主主義政党の野合などその程度の結果が出てくるのが関の山である。国会を解散し、衆院選挙を行えば、ねじれを解消できるかもしれないと言う議論がある。民主党支持者も、衆参両院で多数を占めるチャンスだと、早期解散を求める声が高い。衆院選挙で野党が勝てば、衆参のねじれはなくなる。だが、これまでの民主党の主張を聞いていても、自民党とそれほど変わった政治が期待できるわけではない。総理大臣が元田中角栄の配下の小沢一郎となれば当たり前である。自民党が勝てば、これまでと同じねじれのままである。衆参で多数派が異なるのであるから、重要法案は何も決まらないであろう。それも結構。

憲法改悪は困るが、法案の細部でなかなか一致するまい。衆院で3分の2以上で再可決すれば、参院の反対も突破できると言うが、それは困る。衆院選では、せいぜい、自公の連立や野党の中の日和見主義勢力も含めて3分の2を確保させないような結果が必要だろう。 ねじれ国会の中では、重要法案は通らず、与野党が全会一致で承認できるような『どうでも良い』様な法案だけが通る。それでよいのではないか。私たちは選挙に参加はしても、この国の命運まで国会に託するようなつもりはない。

ほとんどの人が信じている『民主主義』に疑問符を突きつけるようなことを書いた。民主主義を否定しているわけではない。たいていのときは、議論を決するには民主主義を尊重し、多数決で良い。しかし、決しようとする事柄が、饅頭やケーキの分け方程度なら良いだろうが、少数派の命運を左右しかねない場合には慎重になってほしい。特に多数派の横暴と言う結果は怖い。あなた自身が多数派に属するときは、多数決で決すべきことかどうか、もう一度考え直してほしい。この文を読んでいただいている皆さんの中には、国会議員になる心配はないであろうが、家族会議でも友達同士の会議でも、何気なく民主主義をやっているつもりで多数決に頼ってしまうことはないか。自分に絶対の正義があると錯覚してしまうのは怖い。

2007.11.20.

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