NPO法人 ニュースタート事務局関西

直言曲言 第193回 「『社会』への疑問」

By , 2007年6月1日 5:04 PM

前回の第192回直言曲言『社会』で「最近の若者は『社会』に対する批判精神や改革意欲を持っていない」という趣旨のことを書いた。なおかつ「最近の若者は保守化しているのではないか」とまで失礼なことを書いた。反省している。しかし十分な理解力を持った若者で素直な人でも、『社会』のことを話すと、いきなり拒絶反応を示し、『社会批判』はまるで『他者批判』のように非道徳的なことだと言わんばかりに顔をしかめる。思い当たることが一つある。今の引きこもりの若者の親は団塊の世代が多い。団塊の世代は全共闘世代が多い。全共闘とは1960年代末から1970年代初めにかけて全国の大学に吹き荒れた『全学共闘会議』運動のことで、多くの支持者や理解者を巻き込んだことで知られる。それまでの政治運動主体の学生運動と違い、学園民主化や学問のあり方への問いかけから始まり、「ノンポリ(非政治的)」と言われる学生層の中にも支持を広げた。

しかしその全共闘運動も敗北と終息を迎え、一部は過激化してゲリラ化したり、悲惨な内ゲバや殺し合いに陥ったりした。傍観者であったノンポリ層は、自らが参加しなかったことに多少の後ろめたさと、一方で安堵の胸をなでおろした。彼らは当然ながら大学を卒業し、やがて平凡な就職と平凡な結婚をするのだが、子どもが生まれたとき、『子どもには絶対に政治的な関心を持って欲しくない』と思った。彼らもその親である祖父・祖母たちから『暴力学生の仲間入りだけはしないで』と泣いて頼まれていたのだが、すんでのところでデモに参加したりするところであった。彼らは我が子が引きこもりになると言う悲劇を経験するのだが、子どもが『暴力学生』になると言う事態は避けることが出来た。『政治』に対して無関心であると言うことは、『社会』に対して無関心であると言うこととほぼ同義である。結果として『保守的』であることはやむをえないだろう。

こう書くと、まるで彼らが社会に対して無関心であるのは、彼らの親のせいであって、彼ら自身には責任のないことのように感じる。考えようによれば、彼らは彼らの親の犠牲者であり被害者のように聞こえるかもしれない。それは一つの事実として、彼らが社会に対して無批判的であるのにはもう一つの理由があるように思う。それは、彼らが見てきた社会とは私たちが見てきた社会とは別物であったのである。

筆者は昭和19年生まれ。引きこもり世代は、現在30歳の人でも昭和52年生まれ、33年の違いがある。私たちが子どもの頃はまだ戦後の色合いが強く、社会は混乱しており安定した社会は未確立であった。社会システムそのものが右往左往・試行錯誤しながら形成されていく時代であった。当然ながら、ある社会制度が登場してもそれは試行錯誤の一つであり、最初から無批判に受け入れていく習慣と言うものはなかった。

昭和31年の『経済白書』において『もはや戦後ではない』と言う名文句が書かれ、人々も安定社会の到来を実感したが、彼らはそれから20年以上経ってから生まれた。今の社会のシステムはほとんど出来上がったものとして彼らの前に登場した。昭和20年代の終わりごろテレビの民間放送は登場した。初期のテレビでは『舞台中継』と言うものが多かった。歌舞伎にしろ、能や舞踊にしろ『完成』した芸能であり、テレビカメラを据えておけばそれなりの放送が確保できた。今はグルメ番組や旅番組、スタジオ収録のバラエティが多く、いずれにしてもあまり制作者の知恵を絞らず、お金をかけなくても出来る番組が主流なのだろう。テレビ番組の傾向など批評する気も起こらないだろう。

テレビにしても映画にしても昔はモノクロであった。カラー映画が始まった頃、わざわざ『総天然色映画』などと断り書きがしてあった。『総』天然色などと言う以上、すべてがカラーではない映画もあった。多かったのはモノクロ映画でありながら、クライマックスに近づくと、ぱっと色がつき、正義の味方が現れてヒロインを救い出すためのチャンバラが始まる、そんな具合だった。パートカラーの映画で感心したのは黒澤明監督の『天国と地獄』。誘拐犯が身代金を奪うのに成功し、身代金を入れていたバッグをごみ焼却場で焼いてしまうのだが、その時高台の豪邸から街を見下ろすと、一筋のピンクの煙があがる。事件を捜査していた警察が、バッグに発煙物質を潜ませていたのだ。モノクロの画面に煙だけが鮮やかなピンク色で立ち昇る。さすが『黒澤』と言えるような鮮やかな演出であった。

カラーと言っても作品により、色合いが違った。イーストマンカラー、アグファカラー、コダカラーなどがあってフィルムメーカーの名前だが、微妙に色合いが違った。アグファカラーと言うのは青味がかった色で、夜景などは特にきれいで幻想的な画面だと言えたが、どこか現実的な色合いとはいえなかった。今はこうした違いもなくなり、映画でもテレビでも、現実の風景と同じ自然な色合いで映し出されるようになった。瑣末な事柄と言えるが、昔は映画の色一つをとっても批評や批判の対象であったが、今では当たり前のこととして受け入れている。

例えば多くの人たちが住んでいるであろうニュータウンについてもそうである。ニュータウンというのは昔からある住宅地ではなく、新しく開発された住宅地である。たいていのニュータウンには、開発規制というのがかかっていて、住宅以外の施設が建てられない。だからどんなに大きな住宅地でも一部の商業地区以外は商店は立てられないし、脱サラしたりお父さんが定年を迎えても商店を開業したり出来ない。たいていのニュータウンには、お豆腐屋さんもないし、八百屋さんもない。若い人ならスーパーがあるし、コンビニエンスストアもあるからかまわないと言うかも知れない。これは実はニュータウンに限ったことではない。どんな町にもあった個人商店がどんどん減っている。町を見回してみればよい。個人商店の看板は残っているのに、どこも半分店を閉めたようで、営業中の店は少ないのではないか。お肉屋さんや魚屋さんはどうか?電器屋さんやうどん屋さんと言ったお店はどうか?どこもスーパーマーケットにお客を取られて、閉店してしまったのではないか。電器屋さんは電器の量販店に客を取られている。どれもナショナルチェーンと言う大資本のお店だ。うどん屋も大手の牛丼店やチェーン店に看板を架け替えてしまったのではないか。何のためにニュータウンでは商店を開店してはいけないのか。人々は新しい土地を買わなければ商店も開けない。自営業に転じることも出来ない。一生人に雇われて生きていかなければいけないのか。こんなことは昔はなかった。若い人は、生まれたときからの当たり前の慣行だから見逃せと言うのか。

私たちの世代は、社会のシステムが未確立な段階から見てきたので、おかしいと思うことには『ノー』と言う。しかし若い世代の多くは、大人になったとき既に確立されていたかのようなシステムだから容認するのか。社会とは、自分たちとは無関係に成立しているシステムだから、批判するのは失礼だと思っているのか。私たちは30年の年齢差があっても、同時代に生きている。いわば同じ船にのっているのだ。沈没するような泥舟に乗っていながら、その船に無関心な若い同時代人を私は許すことが出来ない。

2007.06.01.

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