直言曲言 第194回 雨に唄えば
6月は雨の季節である。今年は暖冬とかで春の到来も早かったけれど、梅雨入りは遅れそうで、6月9日現在近畿地方では気象台からの入梅宣言はまだない。梅雨入りは南方からの停滞前線が高気圧に押し上げられて、ちょうど日本列島の上に居座るようになり長雨が続く。アジアモンスーン気候帯に特有の自然現象である。一般には、雨、特に長雨というものは嫌われがちであるが私は梅雨も身近な自然現象の一部として嫌いではない。ところで6月の旧名は水無月(みなづき)という。雨の季節なのに水無月とはどういうわけだろう。梅雨のことを雨の少ない乾燥月の五月という文字を用いて五月雨(さみだれ)と言うのと同じで、旧暦の呼称だから約ひと月のずれがあるのだろう。
五月雨を集めて早し 最上川 芭蕉
俳句に詠われれば、雨もまた風情があるが、梅雨の大雨も時には洪水や土砂崩れなどの被害を起こしかねない。こんなに水害の多い日本だが、都会での日常生活の中では雨にまつわる話も随分疎遠なものになってしまった。雨が少なくなってしまったわけではないだろうが、人々は雨具をあまり持たなくなってしまったのではないだろうか。傘はどこの家にも何本かあるだろうが、近頃雨合羽・レインコートなどは見かけなくなった。雨靴・レインシューズなどもお持ちなのだろうか。私の家にも子どもや妻のものも含めて全くない。外出するときにも、傘の容易はするがレインコートやレインシューズの必要性は感じない。電車でターミナルへ行き、地下鉄に乗り換えれば会社の最寄まで行ける。道路はほとんど舗装されているので、水溜りなどない。大雨の日に、郊外に出かけるときは自動車で出かける。天気予報はよく見るけれど、特別なイベントでもない限り、現代人は雨が降ろうと晴れになろうと関係がないと言うのが実情だろう。
雨が好きな私だが、最近印象的な雨の光景と言うのは余り記憶がない。いずれも数年前の出来事だが一つは、引きこもりの青年の家に『出張鍋の会』で出かけたとき。神戸市の六甲山の中腹にある団地の一室。窓辺の新緑を塗らす雨の光景に見とれていた。遠景に港が見え、雨に煙る緑の美しさが印象的であった。もう一度は琵琶湖の近くの有機農家に水田の草取りに出かけたとき。夏であったので山中の小屋に泊めていただくことになった。掘っ立て小屋であったので雨露はしのげるけれど、扉はなかったので吹きッ晒しであった。夜中に雨が降ってきた。吹き降りの雨が肌をぬらし、一晩中雨の気配を身近に感じながら夜を過ごした。明け方に雨は止んでしまったが、あれほど雨を楽しんだ経験はなかった。
これほど雨が好きな私だが、いわゆる『雨男』かというとそうではない。記憶をしている都市の光景と雨降りの記憶が結びつかない。つまり特定の都市の雨の光景が思い浮かばないのである。例えば、東京へは何百回も行っているし、長い間滞在して仕事をしていたこともあるが雨の記憶がない。雨の銀座も、柴又の雨も思い出せない。世界の都市でも雨に降られた記憶はない。40歳以降でも20数カ国に行き、ある都市などはお気に入りで6度も訪れたことがあるが雨に降られたことがない。
霧雨の多いと言うロンドンでもテムズ川はピーカンだったし、シャンゼリゼーも青空だった。上海の四馬路(すまろ)も乾いていたし、天安門前は砂埃が舞っていた。私は旅行に出かけるときも傘を持って行かない。雨に降られれば雨宿りをすれば良いし、よほどの長雨なら旅先で傘を買えばよいと思っている。その方が荷物が少なくてすむし、現地で買ったという思い出が一つ増えると言うものだ。
日本はアジアモンスーン気候帯に属し世界でも有数の多雨地帯である。世界では広大な砂漠も存在し、その砂漠も広がっている。しかし日本では雨が多いので、どこにでもすぐに草が生え、じきにジャングルのようになってしまう。最近では都市に限らず、田舎でもあらゆる道路は舗装されており、あれはジャングルに人間の住む街を奪われないようにするための工夫なのかしら。おかげで、都市に振った雨はすぐに下水に流れ、地面に保水性がなくなった。これも地球温暖化の原因の一つなのかもしれない。
雨の多い日本。おかげで緑や四季の彩りに満ちている。だから雨にまつわる言葉やことわざも豊富である。『朝焼けは雨のしるし、夕焼けの翌日は晴れ。』誰もが知っている雨に関する言い伝えだが、多分科学的な根拠があるのだろう。ほとんど外れたことがない。農業国であった日本。農家にとって、雨は大切な水資源。大雨の降る日は仕事が出来ないが、雨が降らなければ作物も育たない。だから雨の降る兆候については敏感だ。蛙の鳴き方、猫の毛づくろい、燕の飛び方までにも雨が近いことを知る。そういえば雨降って地固まるなんてことばもあった。争いごとや喧嘩など悪いことがあった後は却って前より良い状態になると言うことを意味する。掘り起こした土はやわらかくて崩れやすく家を建てることも出来ない。雨が降った後は地盤も固まり強固になるという意味だろうが、今では路面など最初から舗装されていて、雨が降っても側溝に流れていくだけだから、このことわざの意味は伝わらないだろう。晴耕雨読とは晴れの日には田を耕し、雨の日には読書にいそしむと言う昔の君子のライフスタイルを表した言葉だが、今は雨だからといって休日になる会社はない。今の若者からは羨ましがられるかも知れない。
氷雨、霧雨、小ぬか雨。雨の表現も多種多様。にわか雨ということばにしても通り雨、時雨(しぐれ)、日より雨、狐の嫁入りなど多数ある。私の好きな言葉だが驟雨(しゅうう)と言うのもにわか雨の一種である。季節は梅雨時ではない。真冬でもない。小雨でもない。振り出した雨は、路面をたたくようにしぶきを上げている。だが長く続く雨でもない。こんなニュアンスは、現代の青年たちに伝わるのだろうか。きっと聞いたこともなければ、意味も分からないのだろう。吉行淳之介の作品も成瀬巳喜男の映画もわずか50年で過去の遺物になってしまったのだろうか。
やらずの雨と言うのもある。恋人たちの出会いと別れ、朝方の雨で、恋人を帰したくないと言う思いを助けるように降り出す雨。やらずとは帰さないという意味である。これなどは『きぬぎぬの別れ』と言うように奈良時代や平安時代の婚姻形式の名残を示すような言葉で、知ってはいるが私たちの世代にも実感は分からない。50年ほど前には遊郭と言うものもあり、遊女が朝方に変える客を帰さないと引き止めるのをやらずの雨として言い伝えられたのだろう。少し前のことは私たちにも正確には分からない。雨の振り方も変っただろうし、様々な社会風俗も変った。使われなくなったような難しい言葉はどうでも良いが、雨の情感が伝わらなくなったのは困る。親とこの間で生活感が伝えられないようなことがあっても良いのだろうか。ただ単に死語となった言葉を懐かしむだけでなく、文学作品や芸術を後世の人々に伝える努力をしなければ世代を超えた文化は伝わらなくなるのではないか。
2007.06.09.