直言曲言 第176回 「ニートと呼ばれて」
『始めまして。私は26歳になる男の子の母親です。息子は小学生のときは陽気で、成績もよかったのですが、中学2年の頃クラスの友達からいじめを受け、不登校になりました。高校に入学したのですが、やはり2年生の頃からふさぎがちとなり登校もせず、やがて退学をしてしまい現在に至ります。最近では自室に閉じこもり、食事のときだけ階下に下りてまいります。何を聞いても答えようとせず、特に父親とは顔もあわせようとしません。自室ではパソコンに取り組むばかりで就職するつもりもないようです。』
見ず知らずの母親からの最初のメールはこんな内容である。『面談させて欲しい。』というので約束して、お会いしてみると、特に病気などなく、暴力を振るって暴れるなどの気配もない。聞いてみるといわゆる中流の何不自由のない暮らしぶりである。『父親は息子さんについてどんな態度なのですか?』と聞いてみると判で押したように『心配はしているのですが、仕事が忙しいので、係わり合いになる暇がなくて、私に任せるといったまま、諦めてしまっているような有様です。』父親は特に息子に愛情がないわけではないらしい。『では、今日はなぜお父さんと一緒に面談にお出でにならなかったのですか?』『今日はゴルフの予定があるので、どうしても来れなかったのです。』ゴルフの予定で来れないないのだから、息子のことは大して心配していないのかなと思ってしまう。世の父親とはそんなものである。息子の一生に関わる問題より、ゴルフに行く、会社に行くというような日常性に捉われているのだ。
『それで、息子さんにどうなって欲しいのか、どうして欲しいのか』と聞くと『できれば就職して欲しい。せめてアルバイトが出来るようになれば』とおっしゃる。引きこもりの子どもにとって、一番大事な課題は何ですか?例会に参加していた人々にお聞きすると、『家から出るようになれること』『コミュニケーションが出来るようになること』中には『体力がつくこと』などさまざまな答えがあった。どの答えも間違いではない。先ほどの『就職する』ことも引きこもり脱出の究極的な課題としてはその通りである。家に引きこもっていたままでは就職することも働くことも出来ない。しかし、私たちは永年、引きこもりの支援活動をやっていると、就職したりアルバイトをするためには、その前にやることがあることを知っている。もちろん家に引きこもったままではなく家から出なくてはならない。家から出て、他人に接することである。他人に接し、他人と付き合うことが出来るようになることである。人間付き合いも出来ないのに、就職もアルバイトも出来ない。事実、ニュースタートに来て間もない人が、すぐにアルバイトを始めたがる。 家から出られるようになれば、アルバイトは出来る。しかし、1週間も経たないうちに、アルバイト先を辞めてしまう。職場で、同僚とうまくいかない、けんかをしてしまった、というのがその理由だ。どんな仕事でも、完全に自分ひとりだけでやれるような仕事はない。対人恐怖や人間不信を隠したまま就職するのは無理なのだ。
引きこもりからの脱出課題は?と、聞いて『就職すること』と即答する親御さんの話を聞いて、私は『NEET論の悪影響だ。』と思った。NEETとはNot in Employment,Education or Training .の略語で、雇用されていなくて、教育も職業訓練も受けていない人、無業者を意味する。東京大学助教授の玄田有史氏が英国の社会現象として青年の実態を報告したものだが、誤って『社会的引きこもり』に代わる言葉として伝えられてしまった。『引きこもり』はご存知のように少年期の若者が競争から脱落してしまい、人間不信や対人恐怖から親に依存したり家に引きこもってしまう現象である。結果として、学校に行けなくなってしまったり、成人に達しているのに職業に就けなくなっている。状態としては『無業者』に変わりはないが、その病理的な背景や、心理的な影響については配慮されていない。玄田有史氏も大阪での講演会の際『私自身引きこもりになる心配はないが、ニートになる可能性はある』とニートと引きこもりの違いは認めている。ところがニートという言葉は、マスコミを含めて『あっ』という間に普及し、引きこもりに変わる概念として流通するようになってしまった。
引きこもりには病理的な背景があるが、ニートは単なる状態概念で、本人の『働く意志がない』というような『わがまま』のせいだと言うわけである。引きこもりは、単に精神病や心理学的な現象であるだけではなく、若者が働く機会がないという社会的現象である。しかもそれは、企業が利益を守るために人件費の削減を図り、海外の安い人件費を求めて製造現場(工場)を海外に移したことにより、日本の若者への労働需要が急激に減ったことによる。ただし、それによって若者の間に心理的に社会参加へのモチベーションが減ったことを含む。だから引きこもりは社会的な産業運営のある種の被害者・犠牲者であるにもかかわらず、ニートというようなわがまま集団や風俗的な現象にされている。
マスコミがニートという言葉の流通の片棒を担いでしまったので、引きこもりの若者の親たちも無批判にニートという言葉を受け入れ、我が子を仕事をしようとしないわがままな若者として理解してしまっている。政府厚生労働省は引きこもりやニートを生み出した労働政策の張本人であるにもかかわらず、これ幸いとニートという言葉に便乗し、就職しようとしない若者を救済しようとする欺瞞的な政策を打ち出した。それが『若者自立塾』である。若者自立塾は、若者が自立していないのは就職する機会を逃したからだとみなし、3ヶ月の共同生活、その期間の職業トレーニングや就職紹介を行い、これを行う団体に多額の助成金を出している。共同生活や職業トレーニングを行うこと自体は良いが、これを3ヶ月という期間限定で行うには無理がある。引きこもり支援を行っている団体はニュースタート事務局を含めて既にかなりの数に上るが、引きこもりからの回復には数年かかるのが常識である。共同生活を送らせるのは職業生活のための規則正しい生活に慣れさせるためよりは、他人と起居を共にすることによる基本的な社会性を身につけさせることの方が大事である。ニュースタート事務局関西では、入寮後3ヶ月はむしろアルバイトを禁止するくらいである。
社会的なシステム障害により、若者の就職排除の被害を受け、2次的な障害に目を瞑って景況が回復したからといって、職業教育だけで就職に追い立てられるなど、ニートと名づけられただけでまるで難民のように扱われる若者は可愛想である。ニートという呼び名を拒否しよう。あなたは立派な『社会的引きこもり』である。
2006.11.2