NPO法人 ニュースタート事務局関西

直言曲言 第162回 「無気力の源泉」

By , 2006年6月8日 1:46 PM

数日前の朝日新聞朝刊経済面のコラムにあった記事である。『日本人の子どもたち、そして若者の勉学に対する意欲や上昇志向が弱い』と言うことが紹介され、『3つくらいの要因が考えられる』と指摘している。『3つの要因』と言うのに触れる前に『上昇志向が弱い』と言うのがなぜ問題なのかと言う点に疑問が湧く。

『上昇志向』と言うのは理解しにくいことばで、私などは『否定』的に使うことが多い。一般的には現在の状況よりも上位のポジションを目指して努力することを意味し、善悪の判断を含むことばではない。しかし、格差社会であり、競争社会である今日、『上位のポジション』とは他人よりも優位な立場に立ちそれを目指すと言うことに他ならない。

特にこの文章の文脈では『アジア諸国に比べて』と言うことであるから「『アジア諸国』に比べて、経済的に優位に立つこと」を目指しての上昇思考が弱い、ということである。アジア諸国は今、中国にしても他の東南アジア諸国にしても、一人当たり人件費は日本に比べてまだまだ低く、そのための日本の生産拠点の移動が続き、これら諸国の経済成長が続き、日本経済の停滞が続いている。私はグローバル化の観点からは、この点は仕方のないことだと思っている。これ以上日本の若者に上昇志向を望むと言うことは、他国の繁栄を足蹴にして、日本の『一人がち』のみを望む狭量な意見だと思っている。
ところで3つの要因と言うのを見てみよう。『第一は教育だ』そうである。そのこと自体には異論がない。『勉強する目的は、いい大学に入り、世間で評判のいい企業に入ることと信じられてきたが、最近ではごく一部を除けばそのような単一的な価値観を持たなくなってきている。』このことには、全くの同感なのであるが、だから『教育や勉強する目的』は何なのだというのだろう?このコラムは朝日新聞の記事であることから『教育基本法』の見直しの動きに対して、何らかの提言をしようとしているのだということは容易に推測できるのだが経済欄の『経済気象台』と題するコラムであることから、現在の社会・経済体制、つまりは『自由主義経済』そのものについては『批判』することが出来ず大変甘い分析しか出来ていないのではなかろうか?
『第二は豊かさと少子化の影響だ』これも私の分析に共通している。『人が健全な上昇志向を持つには、ある種のハングリーさが必要だ。1人あたりの国民所得が世界最高水準となり、家庭に子どもが1人か2人しかいない状況では、ストックの豊かさゆえにハングリーである必然性がなくなる。』ここまでの分析は正しいだろう。

それではなぜ、その『状況』が不都合だというのだろうか?その分析がない。確かに『少子化』は様々な意味でわが国の未来図を見えにくくしている。私は、その点に関して2005年2月7日付けの直言曲言『非婚化・少子化・高齢化』において、明確にその原因と対策を書いている。
『豊かさ』については直言曲言の中でも触れているが、『引きこもり構造図』の中でそもそも『引きこもりの発生する要因』として『豊かで、出口のない競争社会』と指摘している。昔に比べて『豊か』になっているから悪いと言っているのではない。豊かになり、ハングリー精神にかけているのは確かであろうが、それでも出口のない『競争社会』に閉じ込められているのが引きこもりの要因になっていると指摘しているのだ。

勉学に対する意欲や<健全>な<上昇志向>が弱い第3の理由は「『成功者』への思いだ。」という。「わが国では成功者を素直に尊敬し、それに続こうとの思いが弱い。どちらかというと成功者のあらを探し、引き摺り下ろすことに快感を感じる人たちが多い。」だからどうすればよいというのか?「何よりも子ども達の個々の資質を大切にし、自分がオンリーワン的存在であることを自覚させる仕組みが必要だろう」とする。最近の『流行歌』の歌詞ではないが『オンリーワン』などという表現で目指すべき『自己像』を描けるのだろうか?

『オンリーワン』と言うのは競争により競り勝つ『ナンバーワン』ではなく、考えようによっては<誰にでもなれる>部門別「ナンバーワン」を目指そうと言うことで基本的には『賛成』だ。『オンリーワン』の考え方の根底には『かけがえのない』自分と言う自己尊重の考えかたが潜んでおり、それには同時に他人一人一人も「かけがえのない」存在として尊重する態度がなければならない。このことを抜きにしては『オンリーワン』は単なる自己愛やエゴイズムを助長する思想になりかねない。

『成功者のあらを探し、引きずりおろすことに快感を感じる』ことを批判しているが果たしてそうなのだろうか?ノーベル賞を受賞したり、のど自慢に入選したからと言ってひきずり降ろそうという傾向があるとは思えない。あるとすれば「ホリエモン騒動」や「村上ファンド」のことが思い当たる。両者とも株式取引で法令違反を犯して起訴された。そもそも彼らは『成功者』なのか。彼らの功績のひとつは『企業ガバナンスを高めた』と言う。証券市場で無防備な株式会社に対して『防衛対策が必要』なことを教えたというのだ。これでは防犯対策が必要だと教えてくれた空き巣に感謝と言うのと同じだ。もうひとつは彼らが事業の成功とは別に大金を稼いだということだ。それまで一般庶民から見た『大金』とは『億単位』の金であった。もちろん庶民にとっては無縁な金だが『3億円強盗事件』とか『ロッキードの5億円収賄事件』とかであった。彼らが登場して『大金』とは数十億、数百億のレベルであることが分かった。

若者や子どもや一般庶民がホリエモンや村上ファンドを尊敬したかどうかはともかくとして、彼らを引きずりおろそうとしただろうか?良いことか、悪いことかは知らないけれど、彼らが失脚したり、犯罪者として起訴されたのは、証券取引所という彼らの賭場の中のルールにしか過ぎない。つまりはこのコラムの筆者を含む自由主義経済市場の仲間内の争いにしか過ぎない。そんなローカルなルールを持ち出して『若者』を論じること自体がばかげていると言えないだろうか?

『教育改革』や『教育基本法』の論議が大切なことは知っているつもりだ。しかし、単なるイデオロギー的立場の違いを前提にして、本当の意味で若者の現状や将来を憂える論議をしないのでは不毛であろう。

2006.06.08.

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