NPO法人 ニュースタート事務局関西

直言曲言 第156回 「人間の距離」

By , 2006年4月8日 1:27 PM

かなり以前に終ってしまったが、テレビの連続ドラマで「北の国から」というのがあったのを覚えておいでだろうか?北海道・富良野の大自然を背景に懸命に生きていく親子を描いた名作だった。あのドラマでは、毎回場面転換などのときに物陰や積雪の間からキタキツネがチョコンと顔を出すシーンがあった。

このドラマではないが、自然探訪ドキュメントなどで、山の斜面などにニホンカモシカがいて、こちらの様子をうかがっている映像を見たことがあるだろう。ニホンカモシカは天然記念物だが割りと日本中のあちこちにいる動物で、大変好奇心が旺盛だそうである。野犬などに追いかけられて逃げても、逃げ延びると立ち止まって振り返る習癖があるそうである。自分の生命の安全は守らねばならぬが、一方で自分を追ってきた動物の正体を見極めてみたいと言う好奇心があるのだろう。

人間でもそうである。ジャングルや砂漠で見知らぬ人間に出合ったら、人恋しさの反面、警戒心もある。相手が自分に「攻撃」を加えてこないかどうか確かめる必要がある。また防衛上、自分の方から攻撃に出なければならないこともある。だから、誰かに遭遇したらまず物陰に身を潜め、相手の様子を窺うというのが本当であろう。 引きこもりの本質は、対人恐怖であろうと仮説している。だから、引きこもりから脱却するためには、まず友達づくりからはじめる必要があると考えている。

だからと言って、誰とでも闇雲に「友達」になれと言うわけではない。出合った人と誰とでも「友達」になれるくらいなら「対人恐怖」にも「人間不信」にもなるはずは無い。動物たちもいきなり「友達」になれるわけではない。キタキツネでも、ニホンカモシカでもまず相手を確かめて、自分に危害を加える相手ではないことを確認してからでないと近づいては来ない。街角で遭遇する犬や猫でさえ、少し離れたところで立ち止まり、自分より弱い相手か、自分にいきなり襲い掛かっては来ない相手かを確かめてから近寄ってくる。

これらの儀式を省略していきなり下半身の臭いを嗅いでくるなんて、少しお行儀の悪い育ちの犬・猫に違いない。 ニュースタート事務局関西では3つの目標と言うのを設定しており、①友達づくり、②親からの自立、③社会参加であり、②の「親からの自立」とは共同生活寮への入寮、③の「社会参加」とは「仕事選び」や「仕事体験」を指す。しかし、私は入寮してすぐの人には「3ヶ月間は部屋に閉じこもっていなさい。アルバイトは禁止します。」と言う。

「友達づくり」が大事だといい、いずれは「就労」が大事だというニュースタート事務局としては矛盾しているように思われるだろう。共同生活寮に入ると言うだけでも、引きこもり当事者にとっては大変な決意である。本人はどうせ「決意」をしたのだから、「友達づくり」も「就労」も早い方が良いと思っている。 しかし、本人がいくら焦っても「友達」なんてそんなに焦って作るべきではない。誰とでも出合った人といきなり友達になれるわけではない。事実、そんなプレッシャーを感じていては「鍋の会」でも楽しむことが出来ない。

「鍋の会」に参加したら、必ず「友達」を作らなければいけない、と固くなっている人がいる。これでは、できる友達も近づきにくくなる。アルバイトについてもそうである。これまで引きこもっていたのだから、いろんな引け目がある。少しでも働いて、親の負担を早く減らしたいと言う気持ちがある。それは分かる。 しかし、これまで引きこもっていて「就労」出来なかったのは「対人関係」がうまくいかなかったからのはずである。「友達づくり」もうまく行かない内にアルバイトを急いでも、職場の仲間同士や先輩たちとの関係がうまくいくわけが無い。

自分の仕事を見つけるのは一生の課題である。しかし、仲間作りも出来ないうちに、働くことを焦る必要はない。引きこもることは、親の責任ではないが、早くお金を稼いで親に安心させなければならないと思う人がこんなに多いのを見ると、そこまで追い詰めてしまった親の責任を 感じてしまう。 ニュースタート事務局の大事なプロジェクトの一つに農業体験がある。関西では今、事情があって休止しているが、かつて貸し農園で野菜を作ったり、滋賀県の棚田でお米を作ったりしていた。

農業は最も基本的な生産活動であり、働くことの象徴のようなものである。農業にお誘いすると殆どの若者は「二の足」を踏まれる。いまどきの若者に限らないが、土いじりなどとは殆ど無縁の存在なのだ。大体、今の引きこもりの若者の親たちの職業は殆どがサラリーマンか公務員、若者にとって「仕事」とは机の上でやること、少なくとも「手を汚さず」にやることのイメージしかないようだ。長年、サラリーマン仕事に追いまくられてきた大人たちには「農業」に対する≪憧れ≫のようなものもあるが、若者たちは自分の手を汚したり、汗水流して働くようなイメージはないようだ。

中には、「自分は怪我をしているから」とか「アレルギー体質ですから」と「ばい菌が入るといけないので」と泥田の中に入ることを躊躇する人もいた。それでも実際に、農業体験に出かけると大部分の人は参加してくれて、多くの人が満足げに楽しく働いてくれた。 だけどこの「農業体験」に根本的な『誤解』をする人もいた。ご承知のようにニュースタート事務局関西は「社会参加」を重視しているし、実際に「就労支援」も行なっている。最近では、卒寮生を沖縄に出来る農園の研修生として送り出したりもしている。

「農業体験」をしたり棚田で米作りをしていると、ニュースタートは「農業就労」を勧めている と誤解される。もちろん「農業体験」の結果「農業」を好きになって「お百姓さん」になっていただくのは素晴らしいことだが、今の若者や今の社会ではなかなか実現しない。私が「農業体験」を重視するのは、引きこもりにとって「人間の距離」が適切だと思うからだ。

現代生活は競争社会の中で、人間同士が競い合い、しかも過密のなかで、ストレスからいがみ合っている。その中で『人間不信』や『対人恐怖』がエスカレートし、中には神経症や精神病になる人までいる。「農業」が出来る環境とは、適度な人間と人間の距離が取れる環境だ。頭を下げて土に向かい合えば、他の人間は目に入らない。余計な緊張は必要ない。そして、ふと疲れたときや孤独を感じたときに、目を上げれは仲間がいる。人間とはそんな環境を求めているのではないだろうか?

2006.04.08.

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