直言曲言 第157回 「親に出来ること」
わが子が引きこもりになってしまった親御さんが相談に見える。具体的な解決策について相談に乗っているのだが、ふと親御さんの社会的経歴や立場が、こちらに見えることがあって、目の前の相談事項とは別に哀しい思いをすることがある。
引きこもりの親に、父親も母親もその違いはないはずなのだが、父親の方がふと見せる態度にその社会的経歴との落差が大きいことがあって、そんな時思わず『哀しいね』と同情したくなる。 元々引きこもりになるのは『中流以上』というのが私の持論だが、実際に相談に見えるのも大企業の部長さんとか、大学の教授とか言うのも珍しくは無い。
別に社会的身分の差で『相談』の質を変えようという気は無いのだが、話をしていてそういう身分が明らかになると、心持背筋を伸ばす方もいるし、「恥ずかしながら」と恐縮する人もいる。私の方はというと、そういう身分の方に対しても特に萎縮するでもなく、平の営業マンだからといって見下すような話し方をするわけではない。ただ、相談を持ちかける方と、受ける立場の違いでこちらの方が多少横柄な態度になってしまうのは致し方が無いかな、と思っている。
お母さんが相談に見えると、何に困っていらっしゃるのだか、分かりにくいことがある。弁解じみたことばが先にたって、なかなか今困っていることが、正直に出てこない。「私は過保護に育ててきたつもりは無いのだが」…とか、「勉強を強制したつもりは無いのだが」…とかという言い訳が先に立つ。私は何もお母さんのそういう態度を指摘したり、責めたりしているつもりは無いのだ。
引きこもりになる多くの優等生など、母親に過保護にされなくても、勉強を強制されなくても勉強をして、有名進学校に行き、 勝手に傷つき、勝手に不登校になってしまうものである。お父さんの場合、そんなことは少ない。 例会などにお父さんが始めて参加される場合、諦めきっておられるのか、本来はインテリとしての誇りがあり、我が子の問題は我が手で解決したかったのだが、身内である我が子の引きこもりを解決するのは非常に難しい。
これはとてもじゃないが、身内では解決できない。専門家に任せよう。そんな割り切りが見て取れて、最初から潔い。弁解や言い訳は二の次にして、こちらのことばを聴いてみようとする態度が見て取れる。 お父さんの場合、当然、一家を支えてきている。最近は、お母さんも共働きであるというケースが増えているが、引きこもりの家庭の場合、「家計が苦しくて」という場合よりも、「家にいても仕方がないので」というような消極的な理由の方が多い気がする。
「子どもが引きこもりになって」妻は夫に相談をするのだが、父親である夫は無関心を装って相手にしてくれない。「家庭のことはお前に任せた。」といわんばかりにまるで何事も無かったような態度である。夫婦で全力で取り組んでも、解決できるとは限らない問題なのに、夫にこんな態度をとられては妻もたまったものではない。我が子と向かい合っていても埒が明かない。
それどころか、自分がうつ病にでもなりかねない。「思い切って、自分が勤めにでも出よう」とパートなどに出かける。最近では、私もそれには賛成し、積極的に外に出るように勧めている。お互いに相手を傷つけるようなことばしか出てこない状態で、煮詰まっているよりは外の世界に出て行くほうがよほど有効だと思えるからだ。そのようにして、解決のきっかけを掴んだ事例を私はいくつも知っている。
さて、そのお父さんの場合だが、今の引きこもりのお父さんは平均的には団塊の世代、若い人だと40代、年配の人で60代ということになる。いずれにしても社会の中堅以上。職場では、部下もいる分別盛りである。職場の様々な問題でも、若い人の相談相手になる。毎日、自信たっぷりに胸を張って生きているといえるだろう。他人に泣き顔を見せたり、相談事を持ちかけたりしたことなど無い。他人からの相談事なら、いつでもにこやかに引き受ける。人生のベテランともいえよう。他人からの信頼性も抜群である。 そんなお父さんだから、我が子の引きこもりでは本当に困ってしまった。思い当たる理由はない。すべての理屈が通らなくなってしまった。
四則、加減乗除、いずれも通用しない。平方根も立方根も微分も積分も通用しない。職場で起こる「普通の難題」なら、少し冷静になるだけで、解決への道筋や因果関係は見えてくる。「目標への到達」が難しいなら、別の目標を持たせることだって出来る。我が子の引きこもりだけはなんとも難しい。
子どもが言っている理屈は、一応筋が通っていると思うのだ。今の競争社会で勝ち抜いていくような戦いはしたくないという。もっともである。学校を辞めるのなら、働きに出るべきだと思うのだが、1時間1000円前後のアルバイトで使い捨て同然の仕事など、一生勤め続ける仕事だとは思えない。だから就職問題でも高望みをしてしまう。
今や大学新卒でも、思い通りの就職など難しい時代である。一度若いときにつまずいた人に、株式上場している大企業など望むべくも無い。しかし、百戦錬磨でもない若い人にとって自分の値打ちの相場など分かるわけが無い。せめて、自宅で引きこもらずに、外へ出て友達を作り、社会人としての付き合いをして欲しいと思うのだが、子どもに言わせれば、友達などうわべだけの付き合いで、人間同士足の引っ張り合いばかり、どこに信頼できる友人がいるのだろう?
いわれてみればその通り、大人たちの付き合いだって、人と人との騙しあいばかりではないか?自分も他人から多少頼りにされる立場になっているが、本当に困っている人を助けてあげたことがあるだろうか?借金の保証人を頼まれた時に引き受けたことがあるのか? 「他人を信用するな」と子どもに教えてきたのは自分ではないか?我が子が言っていることはすべて自分が教えてきたことではないか?
だけど 今更自分の言ってきたことを否定するわけには行かない。だから、自分の子の引きこもり問題は解決できない。黙っている他は無いのだ。 家庭内のことは、子どものことは妻に任せているのだから。妻に押し付けるしかないのだ。別に、ずるく立ち回るつもりではない。そういう態度しか取ることが出来ないのだ。かくして職場では「有能なお父さん」家庭では「頼りにならないお父さん」が出現する。
これをずるいお父さん、卑怯なお父さんといえるだろうか?どんなに立派なお父さんであろうと、我が子の引きこもりに有効なことばを吐ける人などいない。いや、立派なお父さんであればあるほど、子どもたちに言って来たことと、現在子どもが悩んでいることとは、矛盾するのだ。わずか20年、30年ほどの期間に日本という社会が、がらりと変わってしまったのだ。
もし、子どもが納得するような答えを出そうとするなら、お父さんがこれまで生きてくるのに信条としてきた人生観や価値観を100%転換しなければならないだろう。そうすれば、お父さんは多分今の職場や職責に居続けることは出来ない。逆に言えば、その覚悟さえあれば、引きこもり問題は案外簡単に解決できるのだ。親と子の、生き方の違い、時代の変化こそ引きこもり問題を理解するポイントなのである。
2006.04.10.