NPO法人 ニュースタート事務局関西

直言曲言 第147回 「不良少年とヤクザ」

By , 2005年12月21日 4:14 PM

今日は不良少年とヤクザについてお話しましょう。不良少年とヤクザの違いについて、それぞれのご意見をお聞かせ下さい。

『刺青を入れているのがヤクザ、そうでないのが不良少年?』

それは違いますね、刺青をいれている不良少年もいますし、刺青を入れていないヤクザもいますよ。

『博打を打つのがヤクザ。博打をうたないのが不良少年?』

それも違いますよ。ヤクザ=博徒というイメージがありますが、本当はヤクザはばくち打ちではないんです。博打を打つのはむしろ素人衆・堅気の人なのです。その堅気の人の博打を食い物にしているのがヤクザです。ご存知かどうか知りませんが、博打場=賭場では5%のてら銭=手数料がかかります。現代の公営賭博、競馬でも競輪でもボートレースでも同じですが25%の手数料が掛かります。パチンコや宝くじもギャンブルの一種ですが手数料は違います。

いずれにしても素人の博打からプロが手数料を取っているのは同じです。ヤクザは博打のプロですから博打には手を出しません。素人の博打を食い物にするだけです。たまにヤクザも博打を打ちますが、ほとんどお愛想かサクラのようなものです。ヤクザには賭博関連で飯を食っている博徒と、露天商人=香具師、それに最近では金になることなら何でもする暴力団などがあります。この暴力団などの中には不良少年が含まれることがあります。

さて、私が考える不良少年とヤクザの違いですが、人間には反抗期というものがあります。14~15歳、中学2~3年のころです。人間はこのころになると一人前に近くなり、親や学校の先生に反抗します。究極は親に反抗して、家を出ます。この家出少年が不良少年の始まりです。未成年なのに酒を飲みます。タバコもすいます。SEXもします。それが不良少年です。

つまり親としての母親の嫌がることは何でもするのです。酒、タバコ、SEXなんて母親の嫌がるものの最たるものです。『家』というものが持っている道徳性の最たるものです。不良少年とは『家』からの『ドロップアウト』、ヤクザは社会からの『ドロップアウト』なのです。しかし同じ『ドロップアウト』でも不良少年とヤクザでは違います。

不良少年は社会参加をしていず、ヤクザは社会参加をしているといえます。不良少年は正業を持たずカツ上げや万引きやひも稼業などで飯を食っています。ヤクザはそれでは食い続けることができないので博打のてら銭など裏家業ながら安定収入の道を持っています。それが社会参加というものです。

だってパチンコや宝くじを買うことなど普通の堅気のすることですし、ヤクザはそうした社会行為の一環の中で飯を食っているのですから。良いか悪いかを別にすれば社会参加には違いがないのです。裏稼業といって悪ければ言い直しますが、博打で飯を食っている人は多いのです。中央競馬会も地方競馬も公務員のようなものだがギャンブルの手数料で食っている。

他のギャンブルもパチンコ屋さんの店員もギャンブルで食っているのだからヤクザのようなものです。同じように言えば宝くじの売り子だって証券会社の社員だってヤクザのようなものです。証券会社なんて博打場そのものなのです。

今はコンピュータによる取引が主流になりましたが、昔は立会い所なんてのがあり、株式の売り買いをやっていました。安く買って高く売れば儲かります。反対なら損をするわけです。株式は予測のゲームです。株式は儲ける人がいれば必ず損をする人がいるのです。だから博打場と同じなのです。資本主義の総本山といえる株式証券市場とは博打場と同じ仕組みで成立しているのです。

話は変わりますが、皆さんは家出をしたことがありますか?ないでしょう?私はあります。昔はたいてい乱暴な親父というものがいたもので、ちょっと酔っ払うとすぐに『出て行け』なんて怒鳴る人がいました。反抗期の子どもなどはしょっちゅう家出をします。『家出』といってもたいていは友達の家とか近所の公園とかで一日程度で帰ってしまうのですが、中にはその家出が親と子の永遠の別れになってしまうようなケースもありました。

今の親は自分自身家出をしたことがありませんから、自分の子どもにも『出て行け』などとは言いません。昔は『家』とは『出て行く』ところ、今は『家』とは『かじりついて』も出て行かない、究極的に帰ってくるところになっているのでしょうか?だから、引きこもりの子どもは絶対に家を出ようとしないのではないですか?

現代の人々、特に親の世代の人々にとって『家』とは長いローンを支払ってようやく手に入れたわが城です。一昔前までは家は代々伝わっている桎梏であって田舎の家を飛び出して都市に核家族の城を構えた自分にとって、家は乗り越えてきた前近代の象徴だったのです。  それだけに自分たちの立てた『家』は大事にします。『家』というよりは家族、『核家族』のことかもしれない。家族を大事にする代わり、他人はおろそかにする。他人を排除しなければ、家族の幸せを守れないかのようです。

人間というものは、もともと少人数で暮らしてはいけない社会的動物です。お父さんとお母さんだけでは子育てをしてはいけません。ましてや昔以上に経済的な豊かさを大切にする社会です。子育てやご近所付き合いよりも仕事を優先します。だから集落の長老やご近所、おじいさんおばあさんという方が集まって暮らしてきました。

家族から他人を排除する暮らし方は、他人を信じない、他人を敵視する生き方です。家族だけで暮らしていくには無理があります。だから『他人に迷惑をかけるな』とかさまざまな生活倫理を持ち出します。『反抗期』の少年にとってはうるさい限りです。

学校では友だちを作り友情を育もうという時期に『他人に迷惑をかけるな』では『友だちを作るな』と言ってっているに等しいではありませんか?これでは家を出て不良少年になりたくなります。お子さんたちは真面目で頭の良い子ばかりです。反抗期すらありません。だから不良少年にもならなかったのです。

その代わり、今頃になって親に反抗し、遅れてきた反抗期としての『引きこもり』をしています。不良少年になっていれば、母親に逆らってSEXなどし放題であったかもしれないのに3O歳を過ぎても子どもはまだ童貞(処女)であるらしいのは恨めしい限りです。子どもを今更引きこもりから抜け出させるコツは、不良少年にしてしまうこと、家の倫理を自らなくしてしまうことです。

2005.12.21.

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