NPO法人 ニュースタート事務局関西

直言曲言 第137回 「感情転移」

By , 2005年9月12日 3:45 PM

簡単な言葉を難しい言葉に入れ替えれば学問的文章に装えると思っている人が多い。四文字熟語もそのひとつである。妙に難しそうな言葉を使う人がいるなと思うと、どこかの教科書から借用した言葉である。

最近の掲示板にも「転移感情作動装置の破綻」などという何のことやら?と思うような書き込みがある。とはいえ、私の文章でも漢字四文字を使った言葉が結構多い。『直言曲言』のバックナンバーを調べてみても『精神障害』『社会病理』『上昇志向』『対人恐怖』などと結構難しい概念的な言葉が並んでいる。『一発逆転』『人間体験』『競争社会』『放任主義』『回転寿司』辺りになると、私の学問レベルが暴露されていて、決して難しいとはいえないけれど…。しかし、それでも私の文章は結構『難解』だと思われているらしい。文章を一見して漢字が多すぎるという。もっと平易な文章を書こうと心がけているのだが…(『平易』などという漢語を使いすぎるのがいけないのだ)。
ところで『転移感情作動装置』というのは、心理学でいう『感情転移』という概念のことを指しているらしい。カウンセリングなどでクライエントが過去に出会った人物(養育者である場合が多い)に対する感情や態度を、カウンセラー(治療者)に向けることを転移と言う。要するに、父母の年代の人に会えば、相手を父母になぞらえて甘えの感情を抱いたり、逆に嫌悪や敵対の感情を抱くことであり、簡単に言えば『思い込み』による人間関係のことである。これは、カウンセリングに限らず日常的な人間関係の出会いの中でもしばしばあることである。私も60歳になる老人のひとりであるから、若者たちからは父親に似ていると言われることもあれば、死んだ祖父にそっくりといわれることもある。厳しい態度で接しようとすると、小学校時代の怖かった校長先生に似ていると思われたこともある。
こんなことは日常茶飯事のことであるから、何も心理学を持ち出して説明することもないのだが、私の嫌いな臨床心理学ではこの『感情転移』を持ち出して、カウンセリング=臨床心理的治療に用いようとする。過去に出会った人物に対する信頼・尊敬・感謝・情愛・親密感などの感情を想起している相手の、いわば『幻想』を利用して、相手を心理的に操作しようとしているのである。カウンセリングを絶対的な善意の治療活動と考えている人には分からないであろうが、これは本質的な人間関係を裏切る行為である。父親や母親や先生や時には恋人の役割を演じることは出来るであろうが、カウンセラーはその役割を脱する時(治療を終える時)に、それを『治療的演技』であったと告白するのであろうか?私たちは、引きこもり支援活動においてこの『感情転移』による依存的関係を極力避けて、対等の人間関係持続するように心がけている。
『治療的演技』ではなくて、カウンセラーが本格的にクライアントの感情を受け止めて、相手が期待する役割を演じきるのなら、私はそれを許すことが出来る。父親であれ、母親であれ、恋人であれ、先生であれ…。掲示板投稿者が上げている『夜回り先生』や『ヤンキー先生』もそのような人であるかも知れない。私の知っている例では『ねむの木学園』の宮城マリ子さんである。あの人は肢体不自由児たちにお母さんのように慕われて、事実お母さんとしての役割を振舞い続け四十年を過ごしている。おそらく、間違いなく彼女の生涯を通じて感情転移を受け入れ続けるのであろう。
極端な事例を挙げることになるかもしれないが京都府八幡市にある聖神中央教会の主管牧師が少女たちに性的暴行を行った事件をご記憶だろう。おそらく感情転移の最たるものである『神』への転移感情を悪用し、いたいけな少女に対する姦淫を行っていたのである。性的暴行という結果を取り上げる前に、『感情移転』なるものが相手の主体性や人間性を無視した『幻想』の悪用行為であることを非難しなければならない。それは治療行為や宗教行為などという目的の正当性によって許容されるべき行為ではないのである。ついでに言っておくと、催眠療法などと称する行為の大部分も認めることが出来ない。
ところでこの投稿者は『レンタルお兄さん・お姉さんは、お兄さん・お姉さんとしての関係を無意識に重ね合わせることで、ひきこもりがコミュニケーションの糸口を見出そうとする企てかもしれません。転移の利用ですね』と言っている。通称・俗称ではあれ『レンタルお兄さん・お姉さん』という言葉が使われている(ニュースタート事務局関西では訪問活動者のことを正式にはNSP=ニュースタートパートナーと名づけている)以上『お兄さん・お姉さんとしての関係を無意識に重ね合わせ』ているとの批評は甘んじて受け入れよう。しかし『転移の利用ですね』や『企て』との理解は断じて拒絶する。

私はNSP担当者たちに、お兄さんやお姉さんを偽装することも、友達の振りをすることも堅く禁じている。なぜなら、彼や彼女たちは決して対象者の兄や姉になれないし、友達にすらなれないからである。彼らは引きこもっている家庭内から、対象者を(社会に)連れ出してくる役割に徹するべきである。本人が友達を作るか否かは、引きこもりから脱出したあとに自主的に行うべき対等な人間関係である。彼らは、本人たちがいかに善意のボランタリーな意思の体現者であれ、親たちから報酬を得て訪問活動をしている仕事人であり、報酬を受け取る兄や姉や友人や恋人などありえないからである。

NSP活動は、それほど単純な善意の活動ではない。明確な目標を持ち、対象者とニュースタート事務局(関西)が用意するさまざまなシステムや場や人々とを『つなぐ』役割なのである。NSPの中にも、臨床心理学をかじり、カウンセラーのように振舞いながら、善意で人を助けようとする人がいる。そのような人は、この感情転移を仕掛けようとして必ずといってよいほど失敗する。

なぜなら引きこもりは『病気ではない』からである。精神病や精神障害ではなく、理性的な心性の持ち主であり、ただ対人恐怖や人間不信などの神経症に陥っているだけであり、NSPが誰に依頼されて何を目的に訪問しているのかを理解している。仮に、本人が感情転移を仕掛けられることを望んだとしても、永続的な兄や姉や友人や恋人の立場を演じ続けられないことを知っているNSPは「転移感情作動装置」のスゥイッチをONにすることはない。多くの引きこもりも、まやかしのカウンセラーたちのこうした仕掛けの欺瞞性を知っていて、仮に未熟なNSPがそのような仕掛けをしたとしても、頑なにそれを拒絶する。私たちはそうした拒絶に出会って初めて、対等な人間としての対話を始めるのである。

私たちは、引きこもりという人間の心理的葛藤に関わる問題に関係している。従って私たちは『心理学』を無視して活動することは出来ない。しかし『臨床心理(士)』のように人の心理を逆手にとって欺くようなあざとい行為は敢えて禁じ手にしている。

2005.09.12.

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